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臨機応変の俺と猪突猛進の親友、医食同源の少女と世界を旅する ~四字熟語を背負う者たちの腹ぺこ放浪記~  作者: 凡夫 成


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11/11

11話 天下無双の噂

【前書き】


四字熟語が真名になる世界。


臨機応変、猪突猛進、医食同源の三人が、今日も腹を空かせて旅をします。


バトルあり、料理あり、ちょっとした言葉の物語あり。


よろしくお願いします。


 百花繚乱の町を出てから、二日が過ぎた。


 西へ続く街道は、少しずつ乾いた土の道へ変わっていく。


 左右には低い丘が続き、ところどころに小さな林があった。


 旅人の数は、百花繚乱の町へ向かう者より、そこからさらに西を目指す者の方が多い。


 商人。


 芸人。


 武者修行らしき者。


 荷を背負った家族。


 そして、なぜか一緒に歩いている昼行灯のどんちゃん。


「なあ」


 シンが振り返る。


「どんちゃん、いつまでついてくるんだ」


 どんちゃんは眠そうな顔で答えた。


「足が向くまでかなあ」


「今すぐ別の方角に向け」


「ひどいねえ」


「お前、飯の時だけ近くに来るだろ」


「偶然だよ」


「偶然で俺の肉の横に座るな」


「いい匂いがする方へ歩くと、自然にねえ」


 イオは鍋を背負いながらため息をついた。


「どんちゃん、働かないなら夕飯は少なめだからね」


「昨日は薪を拾ったよ」


「三本だけ」


「僕にしては大仕事だねえ」


「せめて五本」


「今日は頑張るよ」


「その言い方は絶対頑張らない」


 リンは街道の先を見た。


 百花繚乱の町で聞いた噂。


 天下無双を名乗る派手な歌舞伎者。


 西の宿場町で見た者がいるという。


 芝居小屋の屋根に立ち、喧嘩を止めた。


 十人相手に一歩も動かなかった。


 負けたところを見た者はいない。


 その話を聞いてから、シンはずっと落ち着かない。


「まだか」


 シンが言った。


「何が」


「天下無双のいる町だ」


「宿場町までは、今日の夕方には着くはずだ」


「遠いな」


「二日歩いてるんだ。もう少し我慢しろ」


「強いやつがいるかもしれねえのに、ゆっくり歩く意味が分からん」


「走ったらイオとどんちゃんが置いていかれる」


「リンは?」


「僕も置いていかれる」


「鍛えろ」


「お前基準にしないでくれ」


 イオが地図を確認する。


「次の町は、花道宿って書いてある」


「花道?」


 リンが聞く。


「芝居小屋が有名な宿場町みたい。旅芸人や役者が集まるって」


「歌舞伎者の噂には合ってるな」


 シンが笑う。


「よし。絶対いる」


「噂だぞ」


「噂があるならいる」


「ずいぶん雑な理屈だな」


 どんちゃんが隣で頷く。


「噂って、ないところには立たないからねえ」


「珍しくまともなこと言ったな」


 シンが言う。


「僕はいつもまともだよ」


「どこがだ」


「眠いところ」


「それはまともじゃねえ」


 昼過ぎ。


 三人と一人は、街道脇で休憩を取った。


 イオが小さな鍋を出し、百花繚乱の町でもらった干し魚と炒り豆で簡単な汁を作る。


 香辛料をほんの少し加えると、湯気に柔らかな香りが立った。


「肉は?」


 シンが当然のように聞く。


「干し魚がある」


「魚は肉か?」


「魚は魚」


「じゃあ肉は?」


「ない」


 シンは空を仰いだ。


「肉がない旅は過酷だ」


「昨日、干し肉を食べたでしょ」


「昨日は昨日だ」


「便利に使わない」


 どんちゃんは器を受け取り、ゆっくり汁を飲んだ。


「うん。いいねえ」


「どういいの?」


 イオが聞く。


「歩いた後の足に染みる味だねえ」


「足に?」


「たぶん」


「また適当なことを」


 けれどイオは少し笑った。


 リンも一口飲む。


 確かに、疲れた体に染みる。


 百花繚乱の町で得た食材は、まだ旅の中に残っていた。


 町を出ても、あの町の味がついてくる。


 イオはそれが少し嬉しいようだった。


 食事を終えると、シンがすぐに立ち上がった。


「行くぞ」


「少し休ませて」


 イオが言う。


「天下無双が逃げるかもしれねえ」


「あなたに会う前に逃げる理由がない」


「強いやつは気まぐれだ」


「どんちゃんみたいに?」


 リンが言う。


「僕は強くないよ」


 どんちゃんは木陰で横になろうとしていた。


「休憩終わりだ」


 シンが襟首をつかむ。


「ええ」


「寝るな」


「昼行灯なのに」


「歩く昼行灯になれ」


「それはもう行灯じゃないねえ」


「知らねえ」


 夕方近く。


 街道の先に、大きな門が見えてきた。


 門の上には、朱色の布が何枚も垂れている。


 そこには大きく、四文字が書かれていた。


 花道宿場。


 町の真名というより、宿場としての名らしい。


 門の脇には、旅芸人の一座が描かれた看板が立っている。


 太鼓。


 笛。


 舞台。


 役者。


 町の奥からは、にぎやかな囃子の音が聞こえてきた。


「百花繚乱とは別の賑やかさだな」


 リンが言った。


「こっちは芝居の町ね」


 イオが町の中を覗く。


 通りには宿屋と茶屋が並び、その奥に大きな芝居小屋が見えた。


 赤い幟。


 派手な看板。


 役者の顔を描いた絵札。


 客引きの声。


「今夜、大立ち回りあり!」


「花道座、特別興行!」


「喧嘩、涙、笑い、全部入りだよ!」


 シンの目が輝く。


「喧嘩って言ったぞ」


「芝居の話だ」


「本物かもしれねえ」


「本物だったら困る」


 町へ入ると、すぐに人の波に巻き込まれた。


 宿場町だけあって、旅人が多い。


 商人は荷を降ろし、芸人は衣装箱を担ぎ、役者らしい者たちは化粧をしたまま通りを歩いている。


 道端では、子どもが木刀で芝居の真似をしていた。


「見得!」


 子どもが片足を踏み出し、目を大きく開く。


 シンがそれを見て、真似をした。


「見得!」


 地面が少し揺れた。


 子どもがぽかんとする。


 リンが即座に止める。


「シン、町中で踏み込むな」


「軽くやった」


「地面が揺れた」


「俺にしては軽い」


「町にしては重い」


 イオは通りの屋台を見ていた。


 ここにも食べ物は多い。


 だが百花繚乱の町とは違い、芝居客向けの軽食が多かった。


 串団子。


 焼き餅。


 甘い豆。


 手で食べられる小さな肉包み。


 茶。


 酒。


「芝居を見ながら食べるものが多いんだね」


「肉包みがあるぞ」


 シンがすでに見つけていた。


「お金は?」


「あるだろ」


「少しだけ」


「一つ」


「夕飯前だから半分」


「半分だけ売ってくれるか?」


「売ってくれないと思う」


「なら一つ買うしかない」


「そういう理屈は回るのね」


 リンは宿を探すため、通りの案内板を見る。


 だが、その横に貼られた紙に目が止まった。


 大きな文字で、こう書かれている。


 喧嘩御法度。


 芝居町につき、私闘厳禁。


「シン」


「何だ」


「この町では喧嘩は禁止だ」


 シンの表情が固まった。


「何でだ」


「芝居町だから」


「芝居の喧嘩はいいのに?」


「芝居だからいいんだろ」


「本物の方が面白いだろ」


「そういう人間がいるから禁止なんだ」


 シンは不満そうに貼り紙を見た。


「天下無双と戦えねえじゃねえか」


「会えるかどうかも分からない」


「会ったらどうする」


「話す」


「殴り合わないのか」


「まず話す」


「つまらん」


 どんちゃんが貼り紙を見上げて、のんびり言う。


「喧嘩をしない町で、天下無双の噂が立つのは面白いねえ」


 リンは頷いた。


「確かに」


「一歩も動かず十人を止めた、だったよねえ」


「そうだ」


「殴らず止めたなら、強いねえ」


 シンが腕を組む。


「殴らずに強いって何だ」


「それを確かめに来たんだろ」


 リンが言う。


「殴れば早い」


「禁止」


「じゃあ少し押す」


「それも喧嘩だ」


「面倒な町だ」


 宿を取った後、リンたちは情報を集めることにした。


 目的はもちろん、天下無双。


 まず向かったのは、芝居小屋の近くにある茶屋だった。


 客で賑わう店の中では、役者や旅人が入り混じっている。


 壁には芝居の演目が貼られ、奥では三味線の稽古の音がする。


 店の女将に、リンは尋ねた。


「この町で、天下無双という人を見たという噂を聞いたんですが」


 女将は眉を上げた。


「ああ、またその話かい」


「知ってるんですか」


「知ってるも何も、ここ数日その話ばかりさ」


 シンが身を乗り出す。


「強いのか」


 女将は笑った。


「さあね。少なくとも、立ってるだけで目立つ男だったよ」


「どんなやつだ」


「派手な着物。片肌脱ぎ。腰には大きな刀。髪は風でも吹いてるみたいに逆立っててね」


「強そうだ!」


「声も大きかったよ」


「いいな!」


「そして、飯もよく食った」


「気が合いそうだ!」


 イオが小さく呟く。


「嫌な予感しかしない」


 リンは続けて聞く。


「その人は今も町に?」


「さあ。昨日は芝居小屋の屋根にいたって話だが、今日は見てないね」


「屋根?」


「喧嘩を止めたんだよ」


 女将は茶を注ぎながら話す。


「旅の荒くれ者が十人ばかり、芝居小屋の前で揉めてね。町の者は止められなかった。そこへ派手な男が屋根の上から声をかけた」


「何て?」


 女将は少し笑い、声色を真似た。


「花道の前で血を散らすとは、野暮の極み! 喧嘩をするなら、まず名乗れい!」


 シンが笑った。


「いいな!」


「その後は?」


 リンが聞く。


「荒くれ者たちが怒って飛びかかった。でも男は一歩も動かなかったらしい」


「一歩も?」


「そう。十人が勝手に転んで、気絶して、最後は全員土下座して謝ったとか」


「何をしたんですか」


「見ていた者によって話が違う。刀の柄で弾いたと言う者もいれば、声だけで倒したと言う者もいる。扇で風を起こしたと言う者も」


 リンは考え込む。


 噂は尾ひれがつく。


 だが、何かがあったのは確からしい。


 シンは嬉しそうに拳を握る。


「会いてえ」


「会ってどうするの」


 イオが聞く。


「戦う」


「貼り紙読んだ?」


「町の外ならいい」


「そういう問題じゃない」


 どんちゃんは茶を飲みながら言った。


「天下無双って、名前からして一人が好きそうだねえ」


 リンは彼を見る。


「そう思うのか」


「天下に並ぶ者なし、だからねえ」


「強いって意味だろ」


 シンが言う。


「そうだねえ」


 どんちゃんは茶の水面を見つめた。


「でも、並ぶ者がいないって、隣に誰もいないってことでもあるよ」


 リンは、百花繚乱の町を出る時に老人が言った言葉を思い出した。


 強すぎる者は、時に誰よりも寂しい。


「どんちゃん」


「何かな」


「君は、天下無双を知ってるのか?」


「知らないよ」


「本当に?」


「噂は聞いたことがあるかもしれないねえ」


「どんな噂?」


「強い人ほど、止まれないことがあるって話」


 シンが反応する。


「止まれないなら俺と同じだな」


「少し違うと思うよ」


 どんちゃんは笑う。


「シンは前に進みすぎる。天下無双は、誰も横に並べないんじゃないかなあ」


「よく分からん」


「うん。僕も眠くなってきた」


「考えるのをやめるな」


 茶屋を出る頃には、夕暮れが近づいていた。


 芝居小屋の前には、夜の興行を待つ客が集まり始めている。


 赤い提灯が灯り、笛と太鼓の音が強くなった。


 リンたちは芝居小屋の周りを歩いた。


 屋根。


 花道。


 裏口。


 役者の出入り。


 どこにも天下無双らしき男はいない。


「本当にいるのか?」


 イオが言う。


「いる」


 シンは断言した。


「根拠は?」


「俺の勘」


「不安だな」


 リンが呟く。


 その時、芝居小屋の裏手から怒鳴り声が聞こえた。


「だから、出番を譲れと言っている!」


「無理です! 今日はうちの座の大事な舞台で……」


「うるせえ!」


 リンたちは顔を見合わせ、声の方へ向かった。


 裏手の細い通りで、数人の男たちが一人の若い役者を囲んでいた。


 男たちは旅の荒くれ者のようだ。


 若い役者は衣装を抱え、怯えている。


「表で喧嘩は御法度だからな」


 荒くれ者の一人が笑う。


「裏なら見えねえ」


 シンの目つきが変わった。


「喧嘩か」


「待て」


 リンが腕を掴む。


「何でだ」


「まず状況を」


「見りゃ分かる」


「この町では私闘厳禁だ」


「向こうが先だ」


「それでも騒ぎになる」


 イオは若い役者を見ている。


「あの人、怪我してる」


 確かに、役者の腕には血が滲んでいた。


 シンが低く言う。


「リン」


「分かってる」


 リンは一歩前へ出た。


「やめた方がいい」


 荒くれ者たちが振り向く。


「あ?」


「町の決まりだ。喧嘩は禁止だろ」


「旅人が口出しするな」


 男の一人が近づいてくる。


 シンが嬉しそうに鉄棒へ手を伸ばす。


「リン」


「まだだ」


「まだか」


「まだだ」


 荒くれ者がリンの胸倉を掴もうとした。


 その瞬間。


 ぱん、と乾いた音が響いた。


 男の手首に、どこからか飛んできた扇が当たった。


「痛ってえ!」


 扇は宙を舞い、屋根の上へ戻っていく。


 リンたちは見上げた。


 芝居小屋の屋根の上。


 夕日を背に、一人の男が立っていた。


 派手だった。


 とにかく派手だった。


 朱と黒の着物を片肌脱ぎにし、腰には大太刀。


 髪は荒く結われ、風に逆らうように跳ねている。


 片手には大きな扇。


 もう片手は腰に当て、男は屋根の上で堂々と立っていた。


 背中には、白く輝く四文字。


 天下無双。


 シンの顔が、子どものように輝いた。


「いた」


 男は屋根の上から、ゆっくりと口を開いた。


「芝居小屋の裏で弱きを囲むとは、なんとも見苦しい」


 声が大きい。


 通り全体に響く。


 荒くれ者たちは顔を引きつらせた。


「て、天下無双……」


「名を知っているなら話は早い」


 男は扇を広げる。


「この花道宿にて、野暮な喧嘩は御法度」


 そして、目を大きく見開き、片足を屋根瓦へ踏み出した。


「天下に二つと並ぶ者なし!」


 屋根瓦が鳴る。


「咲いて散らせぬこの命!」


 提灯の火が揺れる。


「天下無双のムソウ、ここに見参!」


 シンが叫んだ。


「かっけえ!」


 リンは額を押さえた。


「絶対気が合う」


 イオはため息をつく。


「絶対面倒」


 どんちゃんは、いつの間にかリンの隣で屋根を見上げていた。


「派手だねえ」


「どんちゃん、いつ来た」


「さっきかな」


「気配がなさすぎる」


「昼行灯だからねえ」


 荒くれ者の一人が叫ぶ。


「邪魔するな! こっちは十人いるんだぞ!」


 ムソウは大きく笑った。


「十人?」


 扇で自分の胸を叩く。


「ならば丁度よい。天下無双に数を数えさせるとは、なかなかの無礼者よ」


「何だと!」


 荒くれ者たちが武器を抜く。


 リンが叫ぶ。


「町中で戦うな!」


 ムソウは屋根の上からリンを見た。


「良き声だ、若者!」


「褒めてる場合じゃない!」


「安心せい」


 ムソウは扇を閉じる。


「わしは一歩も動かぬ」


 荒くれ者たちが一斉に飛びかかった。


 屋根へ登ろうとする者。


 石を投げる者。


 棒を振り上げる者。


 ムソウは本当に、その場から一歩も動かなかった。


 扇がひらりと動く。


 一人の棒が弾かれ、隣の男の足に引っかかる。


 大太刀の鞘がわずかに動く。


 登ってきた男の額を軽く小突く。


 男は後ろへ倒れ、下の仲間を巻き込む。


 投げられた石は、ムソウの扇に当たり、跳ね返って空の桶へ落ちた。


 桶が転がり、別の男の足元をすくう。


 十人が、まるで自分たちで勝手に崩れていく。


 ムソウは、笑っているだけだった。


「見事に転ぶのう!」


 シンは感動していた。


「すげえ」


「確かに強い」


 リンも認めざるを得なかった。


 力だけではない。


 相手の動き、地形、間合い、道具。


 すべてを見切っている。


 しかも、本当に一歩も動いていない。


 最後の一人が震えながら後ずさる。


「ば、化け物……」


 ムソウは扇を肩に乗せた。


「失礼な」


 屋根の上で、再び見得を切る。


「化け物ではない。天下無双よ」


 荒くれ者たちは這うように逃げ出した。


 裏通りに静寂が戻る。


 若い役者が腰を抜かしている。


 イオが駆け寄った。


「大丈夫?」


「あ、ありがとうございます……」


「腕を見せて」


 イオが傷を見る。


「浅いけど、洗った方がいい。少し待って」


 シンは屋根の上のムソウを見上げていた。


「おい!」


 ムソウが見下ろす。


「何だ、赤き気配の若者よ!」


「俺は猪突猛進のシン!」


 シンの背中に、赤い四文字が浮かぶ。


「お前、強いな!」


 ムソウは笑った。


「当然!」


 シンも笑う。


「俺と戦え!」


 リンとイオが同時に言った。


「やめろ!」


 ムソウは一瞬驚き、それからさらに大きく笑った。


「よい! 実によい!」


「いいのかよ!」


 リンが叫ぶ。


「ただし!」


 ムソウは扇を広げた。


「この町は喧嘩御法度! 花道を血で汚すは野暮!」


「じゃあ町の外か!」


 シンが言う。


「早いな」


 リンが呟く。


 ムソウは屋根の上から飛び降りた。


 大きな体が地面へ降り立つ。


 だが音は軽い。


 見た目の派手さに反して、身のこなしは静かだった。


 ムソウはシンの前に立つ。


 シンよりも背が高い。


 体格も大きい。


 けれど威圧感より、妙な明るさがあった。


「猪突猛進のシンよ」


「おう」


「そなたの目、よいな。前しか見ておらぬ」


「褒めてるのか?」


「半分な」


「残り半分は?」


「危なっかしい」


 シンは笑った。


「よく言われる」


「だろうな!」


 ムソウは豪快に笑う。


 リンは前へ出た。


「僕は臨機応変のリン」


「ほう」


 ムソウがリンを見る。


「よい目をしておる」


「そうですか」


「考えすぎる目だ」


「それもよく言われます」


「だろうな!」


 次にイオが立ち上がる。


「医食同源のイオです。今、怪我人を診ています」


「医食同源!」


 ムソウは目を輝かせた。


「それはよい! 食は命、命は花よ!」


「分かってくれるんですか」


「うまい飯は大体正しい!」


「少し違う気もするけど、まあいいです」


 ムソウの視線が、最後にどんちゃんへ向く。


「そして、そちらは?」


 どんちゃんは眠そうに手を上げた。


「昼行灯のどんちゃん」


 ムソウは一瞬、動きを止めた。


 ほんの一瞬。


 だが、リンは見逃さなかった。


 ムソウはすぐに笑顔へ戻る。


「昼行灯とな!」


「うん」


「三文字か!」


「そうだねえ」


「珍しい!」


「よく言われる」


 ムソウはどんちゃんを見つめたまま、扇をゆっくり閉じた。


「……面白い旅連れを持っておるな、リン」


「僕たちも昨日会ったばかりです」


「そうか」


 ムソウは、どんちゃんへ向かって少しだけ頭を下げた。


 それは礼にも見えたし、警戒にも見えた。


 どんちゃんはただ、いつも通り笑っている。


「派手な人だねえ」


「そなたは地味すぎるな!」


「昼行灯だからねえ」


「なるほど!」


 シンは我慢できなくなったように言う。


「ムソウ!」


「何だ、シン!」


「戦おう!」


「よかろう!」


「よくない!」


 リンとイオがまた同時に叫んだ。


 ムソウは大笑いする。


「安心せい。今夜は芝居がある」


「芝居?」


「わしは助っ人で舞台に上がることになっておる」


「お前、役者なのか?」


 シンが聞く。


「違う!」


「違うのかよ」


「だが、頼まれれば花道を歩く。それが歌舞伎者よ!」


 リンは頭が痛くなってきた。


「つまり、今日は戦わないんですね」


「そうだな」


「よかった」


「だが、明日の朝ならよい」


「よくなかった」


 シンは拳を握る。


「決まりだ!」


 イオが冷たく言う。


「怪我しても治療しないからね」


「何でだ」


「町に来た初日に、自分から怪我しに行く人を治すほど暇じゃない」


「暇な時ならいいのか」


「そういう意味じゃない」


 ムソウはイオに向かって笑う。


「医食同源の娘よ、心配するな。天下無双は負けぬ」


「それが一番心配なんです」


「なぜだ」


「シンがさらにやる気になるから」


「なるほど!」


 裏口から、芝居小屋の関係者が顔を出した。


「ムソウ殿! そろそろ支度を!」


「おう!」


 ムソウは大太刀を担ぎ、芝居小屋へ向かう。


 去り際に、振り返った。


「リン、シン、イオ、そして昼行灯のどんちゃんよ!」


「何だ!」


 シンが答える。


「今夜の舞台、見るがよい!」


「金がない」


 リンが言う。


「ならば立ち見で入れてやろう!」


「本当に?」


 イオが少し驚く。


「芝居は多くの目で見られてこそ花!」


 ムソウは扇を広げる。


「天下無双の花道、しかと見届けよ!」


 そう言って、派手な男は芝居小屋の中へ消えた。


 しばらく誰も動かなかった。


 シンが最初に口を開く。


「最高だな」


「最悪の間違いじゃない?」


 イオが言う。


「強い。派手。飯も食う。いいやつだ」


「判断が単純すぎる」


 リンはどんちゃんを見た。


「どんちゃん」


「何かな」


「今、ムソウさんを見て驚かなかったか?」


「派手だったからねえ」


「それだけ?」


「それだけかなあ」


「向こうも、君を見て何か反応した」


「三文字が珍しかったんじゃない?」


 どんちゃんは欠伸をした。


「それより、芝居を見られるなら嬉しいねえ。座れるかな」


「立ち見って言ってた」


「残念」


 リンはまだ引っかかっていた。


 天下無双のムソウ。


 昼行灯のどんちゃん。


 二人は初対面に見えた。


 だが、ムソウの一瞬の間。


 あれは何だったのか。


 考えても答えは出ない。


 芝居小屋の方から、太鼓の音が鳴る。


 夜の興行が始まる合図だった。


 シンはすでに走り出しそうになっている。


「行くぞ!」


「走るな!」


 リンが追う。


 イオは怪我をした役者に薬草布を巻き終え、立ち上がった。


「無茶な町に来ちゃったかも」


 どんちゃんはのんびり歩き出す。


「賑やかなのはいいことだよ」


「どんちゃんは本当にそう思ってる?」


 イオが聞く。


「たぶんねえ」


「たぶん?」


「静かすぎる場所は、少し寂しいから」


 イオは少しだけ、どんちゃんを見た。


 だが彼はもう、いつもの眠そうな顔に戻っていた。


 花道宿の夜が始まる。


 提灯が灯り、太鼓が鳴り、人々が芝居小屋へ流れていく。


 その中に、三人と一人の旅人も混ざっていった。


 彼らはまだ知らない。


 天下無双という真名が、ただ強いだけの言葉ではないことを。


 天下に二つと並ぶ者なし。


 その言葉が持つ孤独を。


 そして、昼行灯のどんちゃんが、その孤独を誰よりも深く見ていることを。

【後書き】


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


リンは考え、シンは突っ込み、イオは鍋を握る。


そんな三人の旅を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。


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