表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵は胸を揉む  作者: リチャード裕輝
探偵は胸を揉む:『霊感(パイ)コメトリー・オブ・ザ・デッド』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

127/174

『螺旋の断罪:掌が暴く偽りの名探偵』第四章

第四章:断罪の掌、あるいは泥の真実

鴉鳴島に上陸してから三日が過ぎた。外界との通信は完全に途絶し、島は深い霧と、時折叩きつけるような雨に閉ざされていた。

「救済の館」の食堂。連日連夜、ここではミステリーの「教義」を巡る異様な合宿が繰り広げられていた。


「いいかね、探偵は神でなければならない。犯人が仕掛けた混沌を、一筋の光――即ち論理によって切り裂く救世主だ」


座長ポアロが、蝋燭の炎に照らされたワイングラスを傾けながら、教祖のように説く。その傍らでは、アイドルであり助手のクリスティが、陶器のような白い肌を波打たせて彼の腕にすがりついていた。


「素敵……。ポアロ様のロジックは、まるで絹の糸のように繊細で、残酷ですわ♡」


その光景を、ホームズはパイプを噛みしめながら鼻で笑う。


「絹だと? 甘いな! ロジックとは鋼鉄の楔だ。感情という不確定要素を徹底的に排除し、可能性を一つずつ叩き潰していく……。ああ、僕の頭脳が熱を帯びる。僕はなんて賢いんだ!」


一方、エラリーは隅で黙々と、亡きチヒロの遺した草稿を読み耽っていた。時折、彼が漏らす溜息は、この館に漂う死の予感をさらに濃くしていく。


「……ねえ、エラリーさん。この合宿、なんか変じゃないですか?」


ユウキが小声で尋ねる。


「みんな、新作を書くって言いながら、一年前の事故の話を避けるように、必死に『理想の死』について語り合ってる。まるで、自分たちの罪を物語の影に隠そうとしているみたいだ」


久我は、その議論の輪には入らず、ただじっとクリスティの挙動を観察していた。彼女がワインを飲む時の指の震え。ポアロの視線が外れた瞬間に見せる、酷く虚脱した表情。久我の掌は、彼女が纏う「偽りの平穏」の下にある、ひび割れた真実を嗅ぎ取っていた。

だが、その「知的遊戯」の時間は唐突に、最悪の形で幕を下ろした。

翌朝。食堂の重厚な扉を開けた一同を待っていたのは、噎せ返るような死の臭いと、冷え切った沈黙だった。

暖炉の前、ベルベットの椅子に深く腰掛けた状態で、クリスティが事切れていた。昨夜までの傲慢な美貌は土気色に沈み、その首には肉に食い込むほどの紫黒色の索条痕が刻まれている。そして、死後硬直の始まった彼女の指の間には、タロットカード「隠者の逆位置」が、見せつけるように挟まっていた。


「……ッ! これだ、これこそが本格ミステリーの幕開けだ!」


ホームズが、死体という倫理を忘れたかのように歓喜の声を上げた。


「見なさい、この完璧な構図を! 犯人は我々名探偵への挑戦状として、死を芸術へと昇華させたんだ! 素晴らしい、実に知的な現場だ! そもそも『隠者』の逆位置。これは『邪推』や『隠し事の露呈』を意味する。犯人はこの女の偽善を暴いたんだ。ああ、僕はなんて賢いんだ、こんな深い読みができるなんて!」


「ホームズ、不謹慎だよ。……だが、確かに不自然だ」


エラリーが悲痛な面持ちで、しかし鋭い観察眼を向ける。


「この見立て……どこかで見たことがある。……そうだ。これはチヒロさんが生前に書き残していた未発表短編のプロットと、細部まで一致しているんだ。彼女の執念が、この館を呪っているのか……?」


「皆さん、落ち着きなさい」


座長ポアロの声が、舞台の幕を上げるかのように朗々と響いた。彼は懐から銀の懐中時計を取り出し、一同を睥睨する。


「これは悲劇ではありません。一つの『完成された芸術』です。私の灰色の脳細胞は、すでにこの密室の真実を導き出しました。クリスティは……自ら命を絶ったのです」


「自殺だって!?」


ホームズが素っ頓狂な声を上げる。


「ええ。索条痕を見なさい。痕跡は後方ではなく『上方』に向かって流れている。彼女は暖炉の煙突のフックに自らロープをかけ、椅子を蹴った。指のカードは孤独と懺悔の象徴。昨夜届いた『チヒロ』という名に、彼女の繊細な精神は耐えられなかった。自らの罪を、ミステリーの技法に則った『見立て』という形で清算した……。これこそが、彼女なりの美学だったのです。実に本格的な、美しい死だ」


ポアロは、自らの愛人が死んだことへの悲嘆など微塵も見せず、心酔するように論理を積み上げていく。彼にとっては、真実よりも「美しい解決」こそが至高だった。


「……ちょっと、確認させてもらうよ。あんたたちの空想パズルを壊して悪いけど」


その時、久我が無言で死体に近づいた。一同が息を呑む中、久我は跪くと、衆人環視の中で――亡くなったクリスティの胸を、両手でしっかりと、執拗に揉みしだいた。さらに乱れた衣服の合わせ目、内腿の感触までも、職人が粘土を捏ねるような冷徹な手つきで読み取っていく。


「な……貴様ッ! 死体への冒涜だ!」


ギルバートが久我を指差し、怒号を飛ばした。


「いいか皆、犯人はこの男だ! 私は昨夜見たぞ、久我がクリスティに言い寄り、『揉ませてくれ』と頼んで無惨に振られていたのをな! その腹いせに殺害し、抵抗できなくなった今、欲望を遂げている! この異物こそが真犯人だ!」


「待って、ギルバートさん」


エラリーが、チヒロの遺稿を思い出しながら声を震わせる。


「チヒロさんの小説にも……あったんです。犯人がアリバイ工作のために、死体の胸を揉むことで死後硬直を物理的に解除し、死亡推定時刻をずらすというトリックが。……久我くん、君はまさか、それを実行しているのか?」


周囲の目が「変質者の犯人」を見る冷たいものへと変わる。ユウキは頭を抱えた。


(チヒロさん、なんてマニアックな小説書いてたんだ……。これじゃ久我さんがただの変態犯人じゃないか。ダメすぎますよ、チヒロさん……)


しかし、久我は揉み終えた手をゆっくりと離し、立ち上がった。


「……Cカップだ。いや、正確にはCのアンダー細め。……だが、そんなことはどうでもいい。ポアロさん、あんたの言う『芸術』なんてどこにもないよ。この掌に伝わってくるのは、もっと泥臭くて、吐き気のするような暴力の記憶だ」


久我の声は、地平線の彼方から届く風のように冷たかった。


「何故、僕が昨夜から彼女の胸を揉もうとし、そして今、実際に揉んでいるのか。……彼女はこの会で唯一の女性であり、チヒロさんの秘密に最も近かったからだ。彼女の体に刻まれた『記憶』を暴きたかった。……まさか、こんな変わり果てた姿で揉むことになるとは思わなかったけどね」


久我はギルバートを、そしてポアロを真っ向から見据えた。


「いいか、よく聞け。ここは嵐の孤島、逃げ場のないクローズドサークル……なんてのは、あんたたちの幻想だ。 すでにこの円サークルは閉じちゃいない。この中にいない『誰か』が入り込んでるんだよ」


「……何だと?」


ポアロの眉が跳ね上がる。


「この中にいない誰かだと……? まさか、ポーか! なるほど、来ないふりをして、先にこの島に潜伏して我々を観察していたというのか!」


「いや、ポアロさん」


ユウキが苦笑交じりに口を挟んだ。


「本物のポーこと釘宮さんは今頃、僕らの代わりに豪華客船で『猫』にされて世界一周の旅に出されてますよ。ある種、監禁に近い状態でね(笑)」


「ならば誰だ! この島にいるのは我々だけのはずだ!」


「……違う….船長だよ。」


久我の声が、低く、重く響いた。


「彼女は自殺じゃない。冷たい甲板の上で殺されてる。この肌には、古いエンジンの油の匂いと、安物の軍用ロープの繊維がこびりついている」


「船長だと!? 船はもう戻ったはずだ。第一、この島は絶海の……」


「戻ったふりをして潜伏していたのさ。初日のあの言葉――『荷物が重いな』。あれはクリスティの体重を『死体として運ぶ』ための下読みだったんだ。……ちなみに」


久我は、死体となったクリスティの、まだ温もりの残る掌を指差した。


「チヒロさんを殺したのは、クリスティさんじゃない。彼女の認識では、あれは本当に悪ふざけが行き過ぎただけの『不運な事故』だったんだ。だからこそ、彼女の掌には、人を主体的に殺めた者特有の重い淀みがなかった。……だが、理由はまだ分からないが、何故かクリスティさんは、船長の手によって物理的に口を封じられたんだ」


「……それよりも、もっと恐ろしいことに気づいてしまった」


エラリーが、絶望に染まった瞳で窓の外の闇を見つめ、力なく呟いた。


「……久我くん、君が言った『チヒロさんの未発表短編』……その結末はね、見立て殺人じゃ終わらないんだ」


一同の視線が、青ざめたエラリーの唇に集中する。


「その小説のタイトルは『漂白された罪』。……犯人が最後に用意した、すべての罪を、そしてすべての証拠をこの世から消し去るための解決策は……爆弾だよ。館の地下に仕掛けられた大量の火薬が、午前零時の鐘と共に爆発し、この島にいる全員を肉片に変えて沈める。……それが、彼女が描いた『最後の審判』だ」


「なっ……爆弾だと!?」


「そんな……ここは本格ミステリーの舞台だぞ! 物理的な破壊なんて反則だ!」


狂乱がサロンを支配した。名探偵たちは、自分たちが巨大な火薬庫の上に座らされている家畜に過ぎないことを知り、無様に震えだした。

その阿鼻叫喚の中、ユウキだけが、遠い目で久我の背中を見つめていた。


(……チヒロさん。あんた、それ……全然推理小説じゃないですよ。 ただのパニックホラーじゃないですか。どこが知的な地獄なんですか、物理攻撃すぎるだろ……)


時計の針は、着実に、そして残酷に「零時」へと近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ