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叱り慣れている女

「加西、ちょっと来い」

 事務所に入るとすぐに、支社長に呼ばれた。工場の件だとは思ったが、それにしては怒りも見えない平静な表情だ。

「羽柴鋼業さんから契約解除の連絡が入った。もう工場に出向かなくていいぞ」

 それだけを静かに伝えると、支社長は仕事に戻った。もう順がいることに関心もないようだ。

 叱られたり、また工場に向かわされたりしなかったことにホッと息を吐いて、順は自分の席に戻った。

 周囲の席の誰もが順がいないかのように仕事を続ける。

まだ昼前だ。社内を見渡すと、営業に出ているものが多い。早々に事務所に戻っているのは午前中でノルマを達成して事務仕事に取り掛かっているやつらだ。みんな社内のエリートたち。どうやったらそんなふうに成績を伸ばせるのか、まったくわからない。だが、それを教示してもらおうとも思わない。

 順はもう仕事をする気もなく、休憩室に滑り込んだ。


 スマートフォンを手の中で弄ぶ。友人がいない順のスマートフォンの中に入っている情報はとても少ない。アドレス帳には実家の母親と義理の弟の電話番号だけ。映える写真を撮ることなど出来ないので画像フォルダも空。ゲームも学習系もFXアプリも入れていない。それでもなんとなく手に取ってしまうのは、世の中の誰もが手放さないところを見ているからだ。みんな、スマートフォンに支配され動かされているかのようだ。それとも依存しているのだろうか。

 支配されてみたい。依存してみたい。誰かの指示に従うだけで生きていけるようになりたかった。

「最下位」

 その言葉に思わず振り返ると、見知らぬ女性が立っていた。小柄で細身、黒いスーツは寒さにも負けずミニのタイトスカート。高いヒールのパンプスを履いた足を大きく開いて踏みしめたさまは、鞭や蝋燭が似合う女王様のようだ。

「最下位、話がある」

「ど、どうして俺のあだ名を……」

 中学時代の不名誉なあだ名だった。『かさい』という名字をもじり、『順』という名前にちなみ、成績最下位という現実を突きつけられた。

「貴様のあだ名など知らん」

 女性は長い黒髪を肩から背中に払い、吊り気味の目で順を見据えた。

「知っているのは貴様が成績最下位で、考査の対象だということだ」

「考査?」

 女性は細く美しい眉をひそめた。

「考査も知らないのか?」

「えっと……」

 順が知っている考査と言えば、学生時代のテストのことしか思い当たらない。回答出来ずにいると、休憩室の隅にいたエリートたちがヒソヒソと話しているのが聞こえてきた。

「首切り役員がいらしてるぞ」

「ああ、もうそんな時期か。死に神様は首切るだけじゃなくて、バクハツするのがやっかいらしいな」

「切られてバクハツか。二度痛いな」

 首切り。つまり、営業成績が最下位の俺をクビにするために本社から派遣されたということか。俺のような出来損ないのために、わざわざ本社から役員が来るのか、御苦労なことだ。ぼんやりしていると、思い切り怒鳴られた。

「聞いているのか、最下位!」

 厳しい声を叩きつけられ、順は首を竦めた。

「これから三日間、貴様の仕事に立ち会う。私のことはいないものと思い、話しかけるな」

 突然の指示に度肝を抜かれて、口を半開きにしていると、女性は眉を吊り上げた。

「返事は!」

「は、……はい」

 消え入りそうな声に、死に神と呼ばれる首切り役員は「ふん!」と荒い鼻息を吐いた。



 午後の予定を入れていなかったのをいいことにサボろうと思っていたのだが、首切り役員の指示でルート営業の電話をかけさせられた。電話が怖くて小声でぼそぼそしゃべっていたが、なんとか三件の予約が取れた。首切り役員は話しかけるなと言ったが、自分はズバズバ話しかけてくる。言い返すことを禁じられている順は、黙って首切り役員の指示に従うしかなかった。


 営業に出かける準備をしながら横目で観察してみると、おそらく首切り役員は、二十六歳の順より少し年下だろうと思われた。二十二、三歳ほどにしか見えない。そんな若さで役員。しかも首切りの考査を任されるなんて、優秀な上にも優秀なのだろう。自分をクビにしたら彼女の成績は上がるのだろうか。自分が消えれば、彼女の出世の役に立つ。それもいいかもしれないと思う。


 社用車の後部座席に乗り込んだ首切り役員は腕を組み、脚も組み、とても偉そうだ。役員というが、順にはその役職がどれほどの地位なのかわからない。聞いてみようかと、ルームミラー越しにちらりと視線を投げかけると、思い切り睨まれた。

「源ヨミだ」

「え?」

 突然なにを言われたのかわからず、ぽかんとすると、また睨まれた。

「私の名前だ。覚えたか?」

「は、はい」

 ヨミは「ふん」と言っただけで、順の視察に戻った。

 三十分もすると運転しているだけの順を睨むことに飽きたのか、ヨミが口を開いた。

「新規開拓もせず、前任者から譲り受けた顧客周りだけとは。いいご身分だな」

 ヨミが言う通りだが、その言われように胃のあたりがどんよりと重くなった。蔑まれたことはなんでもない、慣れっこだ。だが、ヨミの言葉は『貴様も新規開拓をしろ』という意味なのだろう。置き薬の新規開拓はほとんどが飛び込み営業だ。誰のものかもわからない、どんな荒くれ物が出てくるかもわからないのにインターフォンを押せるわけがない。話すなと言われているのをいいことに、順は聞かなかったふりをした。

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