(9)追憶① お二人とも、ちょっと何を仰ってるのかしらっ!?
追憶部分は全3話の予定です。
暗闇の中、ふわふわとした心地で私は漂う。
何も見えない、誰もいない。でも、温かい。
「こっちだよ」
自分がどの方向に向いているのか上下も前後も分からない中で、ふいに声がした方へ手を引かれた気がした。
「きゃっ」
急に視界が開け、眼下には緑に覆われた自然豊かな島があった。
そう、眼下にあるということは、私は何故か空に浮かんでいたのだ。でも、不思議と怖くない。何故か落下しそうな気もしないし、風も感じない。まるで自分だけが、この眼の前の世界から隔離されているような感じだ。
あの島は?どこか見覚えがあると思ったら、地図で見たヘルシーナ王国の形に似ているわ。微妙に海岸線の形が違うし、どこにも街が見えないけれど間違いない。
目を凝らす様にして島を見詰めているとゆっくりと私は下降し始め、やがて島の端にある砂浜に着陸した。
私は砂浜に立っているはずなのに、足元の砂を踏む感覚が無い。微妙にまだ浮いているのか、はたまた本当に隔離されているのか。
砂浜を見渡すと、波打ち際に人影が見えた。うつ伏せで倒れ下半身が波に浸されたその姿は、完全に水難事故にあって打ち上げられた人のそれだった。
生きているのかどうかすら怪しいその様子に、私は恐る恐る近寄った。
よく見るとそれは、まだ年端もいかない少年だった。海水で冷えたのか、顔面は蒼白。髪は黒く濡れていた。
「ちょっと……。あなた、大丈夫?」
私は少年の傍に屈みこみ、その身体に触れようとした。でも不思議と私の手は少年に触れることはなく、打ち寄せる波に濡れることすら無かった。
呆然としていると砂浜に少女が現れた。
その少女は全く逡巡することなく、真っすぐに少年のところにやってきた。まるで、最初からここに少年がいることが分かっていたかのように落ち着いていた。
「おい。お前、生きているのか?」
その少女はどこか威厳のある声で少年に呼びかけた。そして少年は首を少し動かして少女を目端で視認した。
二人のやり取りをすぐそばで眺めているのに、二人とも私に気付かない。まるで私のことが見えていないようだった。
「うむ、少しは動けるようだな。見たところ外傷は無い様だ」
少女は少年の全身を眺めて呟き少年の頭側に屈みむと、少年の両脇に腕を差し込み波打ち際から波の来ない所まで引き摺って行った。
仕方が無いので私もその二人と並行して移動した。よくよく見てみると、その少女の肌は浅黒く溌溂としている。髪は赤茶色で長く、後ろでゆるく一つに束ねられていた。
瞳の色は深い緑色で、面立ちから底知れぬ知性を感じた。
少女は少年を陽の良く当たる砂浜に寝かせると、自分も横にどさりと座った。
「ふう、誰か連れてきていたら集落まで運んでやれたんだがな。すまん。流れ着く者について不確定要素が多すぎて、一人で来てしまった。ところで、お前何者だ?」
少女は急かすでもなく、のんびりと少年の言葉を待った。しばらくして少年が口を開いた。
「お…れ、は……、シュ…ナ……ヴァ、ル…ツ。ヴァン…パ、イア……」
波に晒され冷えたためか、はたまた塩水で喉を傷めたのか、掠れた声で何とか少年は答えた。
シュナヴァルツって言った!ってことは、この子はシーナ様!?
私は思わずその場で立ちすくんでしまった。
「ほう、ヴァンパイアか。なるほど。伝承では聞いたことがあるが、本物は初めてだな」
何でこの少女はこんなに落ち着いていられるのかしら?私は呼吸もままならないほどに取り乱したのに。
「お前、我の血を飲みたいか?今ここで、我を襲うか?」
不思議な少女は、シーナ様の目の前に自身の左手首を差し出し挑発した。
「あ~……、どっちでも」
シーナ様のダルそうな声に、さすがの少女も一瞬きょとんとした。
「くっ、ふふっ、あははは。変な奴だな、お前。シュナ……あ~言いにくいから、シーナでいいな。そんなボロボロなのに、血を拒むか」
少女はお腹を抱えて笑い出した。
「べ…つに、拒ん…で、ない。今は……、眠…い」
そのままシーナ様は寝息を立て始めた。
ええっ!?やっぱり、このころから朝が苦手だったのかしら?それともヴァンパイアの習性?
でもこの幼いシーナ様、何だか可愛い……はっ、いけないわ。絆されてはだめ!この方はヴァンパイアなのよっ!
眠るシーナ様を落ち着いて見守る(観察する?)少女とは裏腹に、私は一人で取り乱していた。
その内に辺りに靄がかかるようにかすみ出し、不安に駆られ身をすくめているとまた急に視界が開け場面が切り替わったようだった。
そこはもう砂浜ではなく、どこかの小屋の中のようだ。
離宮のようなしっかりとした石造りではなく、その辺の木々や藁を組み合わせたような粗末な小屋。大きな葉を組み合わせてつくった小さな開き戸が窓代わりなのか、そこから差し込む陽の光と、屋根と言うには脆そうな天井からぶら下がるランタンのようなもので中の様子が何とか見えていた。
その中の奥に布らしきものが掛けられた台の上にシーナ様は横になっていた。
傍には先ほどの少女が椅子のようなものに腰掛け、その様子を注意深く見ていた。
「ヴァンパイアか……。見た目は何らヒトと変わらんな」
薄明りに慣れてくると、少女の周りには不思議な物がたくさんあることに気が付いた。
窓の近くにはいくつもの束ねられた野草らしきものが上から吊り下げられ、棚のようなところには本とも呼べないような、装丁も何もないただ束ねて紐を簡単に通したような紙のようなものがいくつもあった。そこには文字らしきものが綴られていたが、私が知っているものでは無かった。
「んっ……う…ん、……ここは?」
ようやくシーナ様が目覚めたようで、傍らの少女を見上げている。
「ここは我の家だ。もう声も治ったようだな」
「ん?ああ、そうだね。普通に喋れる」
「とんだ回復力だな。さすがヴァンパイアといったところか」
上体を起こしたシーナ様は、そのまま目の前の少女に聞かれるまま自分の話をし始めた。
「そう、その土地の人間にヴァンパイアってことがばれちゃってさ、何人かで逃げてたんだけど途中ではぐれちゃったみたい。一緒に船に乗ったところまでは覚えてるんだけど、気が付いたらさっきの砂浜にいたんだよ」
シーナ様は大したことでもないように話すが、普通の人間なら即死しているような事案だ。
「ふむ。人間など、お前たちヴァンパイアからしたら何とでも出来たのではないのか?その土地だって、奪って支配することも可能だったのでは?」
「そのあたりのことは俺にはよく分からない。とにかく俺の父さんか、祖父さんか誰かが逃げるって言ったから付いてきただけなんだ。人間ってね、面倒くさいんだよ。一時は駆逐できても、またすぐ大勢でやってくるでしょ。キリが無いから、土地を捨てる方が早いってことは昔聞いたことがある」
「なるほどな」
駆逐って……。確かに、英雄譚の中でもヴァンパイア一人で敵軍を退けていた。力の差は歴然だ。
「ああ、でも思ったより回復に時間がかかっちゃったな。サメにでもちょっと齧られたのかも。全部丸ごといかれたら、俺でも死ぬのかな?さすがにサメのお腹の中で再生はしたくないなぁ」
シーナ様は一人でケラケラ笑っている。話す内容さえ無視すれば、無邪気な子供の様だ。
「お前、自分がどうやったら死ぬのか知らないのか?」
「うん。だって誰も教えてくれなかったし」
「はあ?それでは、危険を回避できないではないか」
「危険?」
シーナ様はきょとんとしている。
本当に、ここまで人間と感覚が違うのね。確かに不老不死で、再生も可能なヴァンパイアからしたら危険なんてあってないようなものなのだわ。
「全く……。研究のし甲斐があるな」
少女はニヤリと笑っていた。
「ねぇところでさ、君だれ?」
シーナ様は寝台らしき場所から身を乗り出して、少女に近付いた。
「フッ、ここにきてやっとか。我はヘラ。この島のシャーマンだ」
「シャーマン?」
「ああ、自然と一体となり星見や祈祷、治療など全てを行う者だ」
「???」
シーナ様は、眉間に皺を寄せて不可解な顔をしている。
「まあ、分かりやすく言うと預言者や薬師のようなものだな。病人がいれば薬草などを使って治すし、星や空の動きから作物の収穫時期を詠み皆に伝える。今回普段と違う星が現れたから気になって行ってみると、見事お前を見つけたという訳だ。まさかヴァンパイアとまでは分からなかったがな」
「ふうん」
「それで、お前…いや、シーナ、これからどうするんだ?仲間と合流しに行くのか?」
「仲間?……ああ、途中まで一緒にいた人達のこと?どこにいるかも分からないし、そもそも生きてるのかも……って、俺が生きてるくらいだから生きてるのかな。っていうか、会う必要あんのかな?」
シーナ様は本気で首を傾げていた。
「お前達に仲間意識を求める方が間違っているのか。本当に無茶苦茶な奴らだな」
「ん?それよりさ、ヘラは預言が出来るんだよな?」
「まあ、そうだが」
「それなら聞きたいことがあるんだけど!」
シーナ様が目をキラキラさせてヘラ様を真っすぐに見詰めている。
「なんだ?急に」
「ねえ、俺の番って探せる?」
「番?番とはあれか?動物のオスとメスが一緒になる」
「そう、それ!」
シーナ様はにっこりと笑うと、再び寝台にしっかり座って熱弁しだした。
「実はさ、一緒にいた人たちに聞いたんだけど。ヴァンパイアには唯一の番がいるらしいんだ。でも、それが同じヴァンパイアなのか人間なのか分からないらしいんだよね。なんせ、番に出会ったことがあるヴァンパイアがほとんどいないんだって。でもその番ってのがすごいらしくって、血はこの世の何よりも美味しいし、わずかでもとんでもないパワーが出るんだって。それこそ、この世界を支配できるくらいって言ってたな。俺、その番に会ってみたいんだ!」
「ほう。ただでさえ伝承のみの存在であるヴァンパイアに伝わる伝承か……。その出会う確率はもはや天文学的な数字だな」
「???、俺、難しいことはよく分からないけどヘラなら見つけられるんじゃないのか?」
「どうだろうな。そもそも、ヴァンパイアに出会ったことが初めてで、そんな伝承を聞いたのも初めてだ。それよりも、シーナは世界を支配したいのか?」
ヘラ様の声は低くなり、警戒が込められているようだった。
「いいや、そんな面倒くさいことはしないよ。ただ、会ってみたいんだ。どんな子かなって。絶対可愛いだろうし、血は間違いなく美味しいし。その子は俺にどんな風に微笑みかけてくれるだろうって思うだけで、あと300年は生きれるよね」
「その感覚は分からんな」
私も分からない。300年って……。
しかも、私ここに来る前にシーナ様に『番』と呼ばれた気が……。この時のシーナ様のご期待に添えることは出来ているのかしら。甚だ疑問だわ。
「そもそも、お前いくつだ。見た目はまだ年端もいかない少年のようだが」
そう、それ!私も思ってたわ。
「え~っと、102歳くらいまでは数えてたんだけど、だんだん面倒になってきて。多分136、7歳くらい…かな?」
「ほう、ヴァンパイアの見た目は寿命に沿ってゆっくり成長するのか?」
「ああ、この姿?違うよ。今回ずっと海の中だったし、ダメージも結構あったから維持と回復の効率を良くするためにこの姿になってたんだ。大人だと必要なエネルギー量が多いし、子供過ぎるとダメージの蓄積が大きくなるしね。通常は……」
その時目の前のシーナ様の身体が一瞬霧状になったと思うと、次の瞬間私の知るシーナ様よりも大人びたシーナ様が現れた。
“ドキッ”
シーナ様のその姿を見た瞬間、私の心臓が跳ねた。
ドキッて何かしら?ドキッて。
ちょっと大人のシーナ様。お顔立ちは精悍さが増し、お身体も一回り程大きく胸板も分厚くなって逞しい。いつものシーナ様も素敵だったけど、もしあの腕に抱かれたなら……。
ハッ、私ってばなんてことを!またしてもはしたなさの度合いが上がっているわ!!
しっかりしなさいセシリア!目の前のこの方はどんなに素敵でも、どんなにタイプでも、ヴァンパイアなのよっ!!
私の血を狙って…………そう、美味しそうって思われてるのよね、きっと。
そこまで考えて、何だか胸の奥がツキンと痛くなった。『番』と呼ばれても何だか食糧扱いをされたような。
「ねぇねぇ、そんなことより。俺の番、探してくれる?」
私の感傷的な気分も、シーナ様の底抜けに明るい声にかき消された。
「ん?ああ、まあ、やってみないことには分からないがな。なんせ、ヴァンパイアについて星見を行ったことがないからな。そもそも、自然の摂理から外れた存在を自然界の理で預言できるものなのか……」
ヘラ様は顎に手をあてて考え込んでいる。
「え~、じゃ、結局無理ってこと?」
「いや、そうは言っていない。まあ、試して検証するのもまた一興だな」
「じゃ、やってくれるんだね」
「そういうことだな。ただし、こちらも条件がある」
ヘラ様は真剣な眼差しでシーナ様を見据えていた。
「なになに?俺に出来ることなら何でもするよ。番のためだし!」
「フッ、何でもか。言ったな」
ヘラ様は不敵にニヤリと笑った。
シーナ様はおそらく最強の存在だと分かっているのに、こんなに安請け合いをしてとつい心配になってしまう。
「では、ヴァンパイアについて色々調べさせてもらうぞ。自然界から逸脱した存在を研究できるなんて、二度とない機会だからな。お前の不老も不死も、そのメカニズムを出来るだけ暴いてやる」
「う~ん、まあ、死なない程度にやってくれるなら」
この方、本当に大丈夫かしら?まあ、大丈夫だったから1000年以上後もご存命なのだけど。
「もちろんだ。貴重な検体を死なせるものか。あと、我と子を作れ」
さらっと、とんでもない条件が来た!
「子?」
「そう、子供だ。ヴァンパイアでも出来るだろ?一応シーナにも父や母がいたからこそ、ここにいるのだし」
「そうだね」
シーナ様はうーんと首を傾げている。
「これまで作ったことはないのか」
何か、料理を一品作るような気軽な感じで話すのはどうなのかしら。
「無いよ。だって別に欲しくなかったし、必要も無かったしね」
130年も生きて、子供の必要性を考えたことも無い……。本当に、人間とは感覚が違うのね。
「そもそも、ヴァンパイアの子作りは人と同じなのか?もしかして、咬んで増やすのか?」
「あ~、咬んで増やすと子供じゃないよね。眷属?的な?俺もよく分からないけど、多分人間と作り方は一緒だと思うよ。実際人間とのハーフに会ったこともあるし」
「やはり存在するのか……ダンピール」
「うん」
ダンピール……初めて聞いたわ。ではヘルシーナ王国はダンピールの治める国ということになるのね。
そんなことを考えていると、またもや靄に包まれ視界が変わった。
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