私の忘れ物②
チリンとベルの音が鳴って扉が開いた。私とハルちゃんは同時に店の入り口の方へと振り向いた。
「お待ちしておりました、渡辺愛菜様」
店の中に入ってきたのは金色に近い明るい髪色をした長髪の女の子だった。レトロな感じが良いこのお店の雰囲気にはあまり似合わない感じの、だいぶ派手目な格好をしている。
「あたしの名前、知ってるんだね」
冷たい声で、女の子が私の方を見た。おお強そうな子だこと、そんな言い方されたって一歩も引いちゃダメよ、実里。私はにっこりと彼女に笑い返した。視線を逸らした彼女はハルちゃんの方を向く。
「お好きな席に座ってくださいね」
ハルちゃんは変わらない笑顔で彼女に案内をし始めた。完敗だ。大人な対応をしているハルちゃんは凄い。
その女の子、渡辺さんはカウンター席を選んだ。うん、気持ちを切り替えて接客しよう。ハルちゃんが彼女に飲みもののオーダーを聞いている。私の予想だと彼女のオーダーは甘ーいミルクティー。
……おっと予想は大外れで暖かい緑茶だった。何だ、可愛い顔して中々渋いチョイスだ。
準備してきますね、と私は厨房へと向かう。茶葉の種類を細かく覚えていた訳ではないが、棚にはちゃんと緑茶の茶葉が置いてあった。急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ。湯呑みとこれまた厨房に置いてあったお茶菓子をお盆の上に乗せると、お茶を溢さないように……とゆっくり彼女の元へと運んだ。私を見てぺこりと頭を軽く下げた彼女。なんだ会釈とか出来るのか、見かけによらず彼女はちゃんとしている人なのかもしれない。
橘さんが彼女にこの店の説明をしている。
内容は相変わらずだ。私の時と同じで曖昧な説明で、彼女は少し眉を潜めながらも静かに話を聞いている。
私はというと店の隅にあるボックス席へと座った。仕事中とはいえ、今は彼女の邪魔をしないように行動するのが私たちメイドの振る舞いだと思うからだ。ハルちゃんもこちらに来るかな。視線を送るがハルちゃんは珍しくカウンターの中で、点滅している橘さんの隣に立って彼女と一緒に話を聞いている。一緒に聞くんだな、と私は視線を窓の外に向けた。
ガラスの向こうに青い空が見える。
橘さんの話が終わり、彼女が考え事をし始めて、店内はしんと静まった。
しばらくしてハルちゃんが新しく淹れなおしたお茶の急須を持って、彼女の隣に座る。
「渡辺様、何か思い出されました?」
私はこのまま二人の話を聞いていればいいかな、とその場を動くことなく一度動かした視線を元の位置へと戻した。こういう他人と話し相手になる仕事は、お客さんとの相性に合わせて動くのも大事だと思うから。
「うーん、あの人はこの店で忘れ物を探せって言ってたけど。あたしが探しているのは、人なんだよね」
「人ですか」
「そう」
へーあの子、人を探しているのか。家族とか友達とか大事な人かな。
「ご家族ですか」
「彼氏だよ」
か、彼氏。思わず動きを止めて彼女の方に聞き耳を立ててしまった。私は今までいたことないのにあの子にはいるんだ……いいなー。なんだろうこの敗北感。歳が近そうだからこそ、彼女との差を感じてちょっと悔しい。
「渡辺様の彼氏さんは、どのようなお方なのですか」
「あー、あたしのことマナって呼んで。名字で呼ばれるの好きじゃないから」
「そう……じゃあマナちゃんでいいかしら」
「うん」
ハルちゃんが、彼女を名前で呼んでいる。彼女の彼氏発言に少し悔しい思いをして心がざわざわしたのに、ハルちゃんが私以外の子を名前で呼んでいるのを聞いて騒めきが増した気がする。
ハルちゃんも彼女の方を向いて話していて、私にはハルちゃんの背中しか見えないから。少し疎外感を感じるというか、私とハルちゃんだけの特別な関係がまるで薄れてしまったような感じだ。
これは嫉妬心だ。心の中で首を振る。
(私たち接客業だから、そういうの考えるだけ無駄だって分かっているけどさ)
いいんだ、彼女がこのお店を出て行ったら、私はハルちゃんと仲良く一緒にお散歩に行くんだから。ああでも待って、もしも彼女が私たちと同じようにこの店に居続けるとなったら、お散歩は延期?それとも彼女も着いてきちゃったりする……⁈
彼女には申し訳ないけれどできれば早く帰ってほしいな…と彼女を見ると一瞬目が合う。彼女は特に表情を変えることなくハルちゃんの方へと視線を戻して、腕を組み直した。手首の金のブレスレットがキラリと光る。
「彼氏はね、二つ歳上だったんだけど」
歳上彼氏か。いいな憧れる。そういえば私小さい頃からお兄ちゃんが欲しかったんだよね。そのせいか歳上の人を格好良いと思う事が過去に何度かあったな。憧れるだけで結局恋に発展することはなかったけれど。それでその彼氏がどうしたんだろう。
「去年の夏に死んだの。だからどうしても会いたくて、追いかけたんだ」
……恋人が死んでそれをあの子が追いかけた?私は思いきり顔を二人の方に向けた。
「あの頃に、戻りたいな……」
「もし戻れるのなら、いつがいいの?」
「んー、二つあるんだけど」
「いつ?」
ハルちゃんと彼女の会話は続く。私は宙に浮いた手を下ろすことなく、そのままの姿で二人の話を聞き続ける。
全身の血の気が引いて、肩が寒い。手が震えていく。
「一番戻りたいのは高校の頃。あの頃さ、彼氏とマジ仲良くて本当毎日楽しかったんだよね。人生の中での幸せのピーク」
「いいじゃない、幸せの一番がある人生って素敵よ」
「うん。それで……、いやそれが一番なんだけど。次に戻りたいかなって思う時があって」
「それはいつ?」
「死ぬ、直前」
「直前に戻りたいの?どうして」
「理解できないかもしれないけれど、あたしは死んだら会いたい奴に会えるようになると思って死んだんだ。
あの時はまだ怖いもの知らずで飛び込んだから、だからあの時に戻りたいって思う。
何も知らずに夢見ていた方がずっとマシだったから」
こんなに冷たく感じる事ってあるのかと疑いたくなる程に、身体の全てが冷たい。どうしてこんなに冷たいの。それは怖いから、認めたくないから? ……違う。私がもう既に死んでいるから、だからこんなに冷たいのか。
ハルちゃんと彼女の話し声は何も変わらず穏やかで、暖かだ。どうして。私はこんなに寒くて仕方がないのに……。
「あのね、あたし生きていた頃、あいつに会いたくて仕方がなくて毎日寂しくて哀しくて苦しかった。死んだら天国があると思っていて、そこに行けばあいつに会えると信じて疑わなくて。だから追いかけようと思って死んだのに。
ねえ、あたしなんで今ここにいるのさ。なんであいつはここにいないの。この店を出たら、今度こそちゃんとあいつに会えるのかな」
「……」
「こうやって死んでからやっと思い出したんだ。あいつがよくあたしに言っていたこと。ちゃんと前を向いて生きろって。
その時は足元に気を付けろだとか、そういう意味で捉えてたんだ。あたしたち、ずっと一緒にいられると信じていたから。なのにあたしあいつが死んでから後ろばかり向いて生きてた。いない人の背中を探してさ、あいつとの思い出ばかりに浸って」
「仕方がないわ。それだけ貴女にとって大事な人だったのでしょう?」
ハルちゃんと彼女がずっと話している。そんな二人のやりとりを私はただ茫然と見ていることしかできなかった。
だって彼女は何と話したていた?
彼女の話をもう一度思い出そう。えっと、彼女には大好きな彼氏がいて、その彼が死んでしまって、彼女は彼を追いかけて、……死んだの? 死んだ、死亡した。それで彼に会いたいのに会えていないと言っている。
彼女が死んでいる。つまりこの店に来たお客さんは皆死んでいて。それはつまり私も死んでいるって事? 嘘だよね、私死んじゃったの?
視線の先に映るのは、薄紫色の着物姿の背中だ。オレンジ色の簪がキラキラと日の光を浴びて光っている。ハルちゃん。ハルちゃんも死んでいるの。ねえハルちゃん、さっきと何も変わらずに彼女の話を聞いているけれど、それって一体どういうこと。驚かないのはなんで、普通にしていられるのはなんで。彼女が私よりもずっと大人だから? 分からない。
ハルちゃん、と声をかけようとした。でも喉が震えて声が出せなかった。じゃあ近くに行こう、そう立ちあがろうとしたがどうにも足に力が入らない。
嫌だ、私が死んだなんて信じたくない。手が足が更に震える。こんなにも身体が震えるのに、この身体はもう死んでいるの。次第に視界が暗くなって店内の照明が点滅し始める。どうしよう、このまま勢いよく立ち上がったら倒れてしまうかもしれない、頭がくらくらする。
その時、頭上から橘さんの声がして私はソファーの背もたれに勢いよく寄りかかった。
「実里、今はここに座っていなさい」
目を瞑りテーブルに肘を付いて頭を伏せた。私が死んだなんて嘘だ、嫌だ嫌だ、こんなの。夢なら早く覚めてほしい。そう繰り返し祈ったものの、目の前に広がる景色は変わらないままだった。