第七幕-5
帝都デルンの北の街道を少し外れた通りに、一軒の小さなレストランがあった。山猫と看板の書かれた店の外観は、木組みで小さいなりに小綺麗に清掃されていた。復興された帝都では、料理店は大衆向けから高級まで様々な店が増えていた。そんな中でもこの店は他と違い、こじんまりとしながらも、下手な高級料理店以上に不思議と入るのに度胸を試される雰囲気があった。
そんな店の風格に、入口付近でおろおろとするゲーテを横目に、エスコートしていたカイムは気楽な雰囲気でドアのノブに手を掛けを開けた。扉の中はこじんまりとした店ではあったが、出来るだけ広くなるよう建て直された客席は二階への階段さえあった。店に来ていた客は種族も様々であり、スーツやドレスなどと帝国でも最先端である服装が多かった。
ベルの鳴る音と共にカイムとゲーテが店に入ると、カイムの姿が視線に入った客達は驚きと共に慌てて立ち上がった。その驚く客をを見た他の客も、その視線の先である入口のカイムを見ると同様に慌てて立ち上がった。
そんな焦る客達に座るよう手で促したカイムだが、客達はお辞儀の敬礼をし始めたのだった。
「「「「「カイム万歳!」」」」」
一斉にカイムへと万歳の言葉を言い出した客達に、カイムは困ったように口をへの字に曲げた。そんなカイムは横にいるゲーテを軽く見ると、彼女はカイムへの敬意を向ける店の客の状態に驚いていた。そんなカイム達に若いオークのウェイターが近くいてくると、他の客の様に恭しく敬礼をしたのだった。
「突然すみません。格好もこんなですが…」
「どんな格好であれ、"総統"を拒む店が有りますか?」
小さいとはいえどそれなりの料理店である山猫のドレスコードの確認をしようとしたカイムの言葉に、ウェイターは清潔感のある満面の笑みを浮かべながら彼等を歓迎したのだった。そんなウェイターの言葉に、カイムは他の客やウェイターに自分の格好を見せながら自分を指差した。
「自分はただの女の子連れた街の住人ですよ。"総統"じゃ…」
「ウェイター、諸君!確かに彼は街の軟派男だな。今だけだかな!」
カイムは自分の立場を冗談混じりに言おうとするも、彼の言葉は階段の方から響いた豪胆な男の声に遮られたのだった。その声の主は将校の陸軍軍服姿のハクトウワシの鳥人の男だった。
「ペルファル卿!また呑んでたんですか?まだ会議は3日目でしょう?大丈夫なんですか?」
「今は卿じゃなく准尉です総…小僧!それに、ビールは私にとって酒じゃない、水だ」
カイムの冗談に乗ったペルファルは、顔を酒で赤くしながらビールグラスを片手に豪胆に笑うのだった。そんなペルファルの姿に、カイムは泥酔しているように見える彼へ心配そうに声をかけるのだった。
だが、彼の言葉を物ともしないペルファルは、大声で笑いながら冗談を言いながら軽くカイムの肩を叩いた。既にかなり出来上がっているペルファルだったが、カイムは彼の目元をよく見ると確かにそこにはまだ冷静さが残っていた。
「何で准尉なんです?せめて准将とか」
「訓練に参加するものが増えてな。ヨルクや私だけならまだしも、人数が人数だしな。現代用兵を理解しきっていない者が将など名乗るのは可笑しいだろう?」
そんなペルファルへとカイムはふと気になった疑問を投げかけた。すると、彼は頭を掻きながらカイムへ笑って答えた。だが、その笑いが治まると、ペルファルはカイムへと冷静な表情を浮か真剣な眼差しを彼に向けた。
「しかし…小僧、まさか神を信じる気になったのか?」
突然低く冷静な声と怪しむ眼差しで尋ねてきたペルファルに、カイムは後ろで状況に置いていかれたゲーテを肩越しに見た。彼は肩をすくめて返すと、ペルファルは嘴を撫でて頷いた。
「まぁ、軟派男の色恋に軍人が口を突っ込むのも変な話だ。上の奴等にも言っておくから気にせずに上がって来い」
カイムの苦笑いを見たペルファルは改めて豪胆に笑うと、彼は再びグラスのビールを一気に呷り冗談を言い放つと足早に2階へと上がって行った。
そんなカイムは状況に置いていかれて困っていたゲーテを連れて二階の窓際にある個室へ案内された。そこは個室と言うより部屋と言うべき場所だった。その個室に置かれた丸テーブルの席に腰掛けると、カイムとゲーテの間には数分静かな空気が流れた。
その沈黙の中で、オークのウェイターが静かに白ワインとオードブルを運び入れた。彼はオークの大振りな手でありながら器用にボトルの栓を一瞬で開けると、グラスに中身を注ぎ黙ってカイムに銘柄を見せた。そして、素早く料理をテーブルに置くと、空気を一切壊さずに個室を去っていった。
一瞬で整った前菜の席で乾杯をすると、グラスの中身を一気に呷ったゲーテは意を決したように口を開いた。
「カイムさんは…お酒はお強いんですか?」
だが、真剣な表情で尋ねてきたゲーテの話題は、その表情にそぐわない気の抜けたものだった。そんな彼女の直ぐに本題に入らない辺りがドレヴァンツに似ていることに気づくと、カイムはおかしく感じて一瞬吹き出しそうになったワインを無理やり飲み込んだのだった。
「まぁ、そうですね。魔人族ですし、酒も嫌いじゃないですし」
「そっ、そうですか…そう、なんですか…」
「あっ、もう一杯飲みます?開けたばかりみたいですし、残すのはもったいないですから」
ゲーテの素っ頓狂な一言へ律儀に答えたカイムは、その返答に納得した彼女を見つめながらグラスに口を付けた。そんなカイムと空のグラスを交互に見つめるゲーテに気づくと、カイムは彼女に二杯目を勧めた。それに最初は戸惑ったゲーテが再び沈黙すると、少しして彼女は反らしていた目線をワインボトルへ戻すとクラスを差し出したのだった。
「すみません。こういうのには慣れてなくて…その…」
「大丈夫ですよ。私も女性と飲みに行くのは久しぶり…いや、なんでもないです」
ゲーテの少し気弱な発言に、グラスへワインを注ぐカイムは少し新鮮な気分になった。周りの女性はギラやヴァレンティーネの様な、言ってしまえば"我の強い"者ばかりなため、このように自己主張の少ない女性と話すことは彼にとって久しぶりであった。それ故に、カイムの素の言葉が思わず出てくると、彼は不思議そうに見つめるゲーテへ誤魔化しながらワインをなみなみと注ぐのだった。
「あの…カイムさんはワインは赤と白…どちらがお好きなんですか?」
「そうですね、白ですかね。赤も好きですけど…あっ、もしかして白ワイン苦手でした?」
「いえ!私、甘いワインが好きなので…良かったです」
「ならよかった、私もこんな美味しいワインは久しぶりですよ」
「カイムさん、このワインって…とても高価なものでは?」
酒の席というや、普段接しないタイプの女性のこと会話ということもあり、酒の力で会話し始めたゲーテにカイムは仕事という意識もあったが内心では楽しんでいた。そんなカイムの不用意な発言にワインで頬を赤くしたゲーテが不思議そうにしたのだった。
「あの、カイムさん。貴方は…」
「あっと、料理、来たみたいですね」
話がカイムにとって不穏な流れで始まろうとした中、運良く個室にウェイターが料理を運んできた。その機会に、カイムは料理へと話題を移しゲーテの発言のタイミングをきれいにさらって行った。その流れに、ゲーテは酔いの勢いで聞こうとした不躾な質問を一旦忘れると、料理に手を付けようとした。
だが、料理自体彼女の見た事の無い物だった。衣を付け揚げられたブタ肉に白いキノコのクリームソースがかかった料理であり、付け合わせには綺麗に盛り付けられたサラダまでついていた。基本的に麺類を主食としていた南東部出身のゲーテは、カゴに入った黒パンもあることから、この料理をどう食べれば良いのか少し考えた。そして、カイムのナイフで切ってソースを絡めて食べる動作を真似して、彼女は慣れない手付きでその料理を食べてみた。揚げられた豚肉はジューシーで、衣の食感は軽く少しレモンの酸味を感じた。キノコのホワイトソースは味が少し濃いが、衣にかけられたレモンの風味でちょうど良くなっていた。そんな初めての味に、ゲーテはひたすら料理を切っては食べるを繰り返した。黒パンをちぎりソースに付けて頬張り、ワインを口にした時、彼女は目の前のカイムの視線を感じた。料理に対してがっついていた自分を理解すると、彼女は急激に食べるペースを落としていった。
「イェーガー・シュニッツェル。気に入りましたか?親衛隊の訓練所のメニューだったんです。復興の折に店主に教えてあげたら、うちのアマデウスより美味しいから来たかったんですよ」
「あの…おっ…美味しいです」
自分のがっつき具合に顔を真っ赤にしたゲーテに、カイムは軽い口調で料理について話しだした。その内容に恥ずかしがりながら相槌を打つ彼女に、彼は満足そうに頷くのだった。それと同時に、この食事会の本題を話すために、カイムはゲーテの話し出しを待つのではなく自分から振るしかないと理解したのだった。
「お祖父様を御心配為さるなら、未来を見て判断すれば良いのではないですか?」
まるで何気ない酒の会話の様にカイムから振られた本題に、ゲーテは口に運ぼうとしていたシュニッツェルの刺さったフォークの動きを止めた。ついに話題が本題へと移ったことを理解すると、ゲーテはフォークとナイフを置いて真剣な表情を浮かべつつ会談の様相を整えようとした。
だが、彼女の考えと裏腹にカイムは未だに食事を続け、それを見たゲーテも考えを食事の会話として続けるのだった。
「解るのは行動と結果だけです。そこにどのような心境があるのかは、私にも解らないのです。それに…」
カイムの質問にゲーテは少しだけ言葉に迷うと、少し微笑みながらフォークに刺さった肉を一口に頬張った。
「何でも未来を見るのに頼ったら、人生が勿体無いです。そうでなければ、私はイェーガー…この料理を食べられませんでしたもの」
シュニッツェルの肉を飲み込んだゲーテは、少し明るくカイムに笑いかけて言った。その明るい言葉に反する影のある笑顔は、カイムに気まずい感覚を与えた。ゲーテのパニック障害を理解していた彼は、その影のある笑みから彼女が症状を発しないように出来る限りゆっくりと話題を本題に移す事にした。口元を指差し、ソースが口に付いている事を伝えると、カイムは自分の気分を夕飯での家族の会話をするようなものにした。
「そういえば、帝国議会の方はどうなんですか?今日の昼頃に、突然ホーエンシュタウフェン殿下から"明日の議会から参加しろ"とか言われてまして。困った物ですよ」
「彼女はとても頑張ってます。初日も2日目も、今日だって頑張ってました。あの頃とは比べようも無いくらい。でも…」
そんなカイムは世間話として帝国議会とホーエンシュタウフェンのことを出来る限り明るく言った。そのことが功を奏したのか、慌てて口を拭くゲーテから暗い雰囲気は感じなかった。だが、そんな彼女は最初こそ明るく話しだしたが、言葉を言い切らずに濁したゲーテの口調は少し暗い物だった。そんなゲーテの険しい表情からカイムが彼女に詳細を聞こうとすると、ゲーテはその状況を話し出した。
「彼女の議題や発言、あらゆる事に南の貴族方は反発していました。最早あれは議会ではなく、皇女を対象にした一方的な糾弾です。北の方々が擁護すれば、テンペルホーフ卿や多くの方々が更に反発して…今の所、全ての議題で纏まった結論が一つも出来ていません」
議会の状態は、カイムも少しだけファルターメイヤーから聞いていた。それは、昼頃に出頭の書類を持ってきた彼女が愚痴るように現状の議会の流れを話して言ったからだった。
皇女ホーエンシュタウフェンは今までの議題で、東方の納税額の不足について、南方と西方貴族の遅刻常習における理由と罰則、カイムの独断による親衛隊設立とその指揮系統の最上はどこかという点について議論しようとしていた。だが、その全てが南方の言い掛かりに近い発言で皇女の責任問題へとすり替えられようとなった。その度に北方貴族から擁護の声が出て、議会は大荒れと成るのが今の現状だった。そんな議題に出てくる東方貴族は黙っているだけであり、西方の貴族はアンハルトの南方への批判的発言でより場が乱れるという有り様であった。
議会は始まって三日目だったこの日でさえ、最終的にカイムが居なければ話にならないと南方が反発して話にならなかった。そのファルターメイヤーの愚痴は、カイムに帝国の崩壊が秒読みに入ったことを深く理解させた。悠長に構えて居られないと、親衛隊本部の部下達に書類や機材を纏めさせいたことを改めて思い出し険しい表情を浮かべたカイムは、目の前で不安な顔をするゲーテを見ると軽く笑った。
「私の見た未来…もしかしたら、皇女が暗殺されるという未来なのかも知れません」
再び語るゲーテの言葉に、明るさはなかった。伏せられた顔は何も無くなった皿を見つめ、瞳からは光が無く、その肩は少し震えていた。負の雰囲気を出す彼女への言葉を探していたカイムだったが、ゲーテは突然顔を上げた。
「カイムさん!率直に聞きます。貴方はこの国をどうしたいんですか?」
数秒前まで力ない瞳をしていたゲーテの突然力のこもったの言葉に、カイムは少し返す言葉に迷った。その間にもゲーテから穴の空きそうになるほど見つめられると、彼は数回頬を気恥ずかしそうに掻いてテーブルの上で手を組んだ。
「どうしたいと聞かれると、具体的な事は言えません。言えないというか、解らないです」
カイムはその明確な答えのない答えを恥ずかしがるように言うと、ゲーテの視線から逃れるように窓の外の曇る夜空へ視線を向けた。
「自分は英雄としてここに召喚された。でも、彼女は私を役に立たないと放り出した。そんな私に、この街の貧する民が、苦しむ者が助けを求めたんです。苦しむ目で、見知らぬ私にですよ。何も知らない赤の他人にですよ」
悲しげな口調でそう言うと、カイムは組んだ手に視線を移した。その手を数度揺らすように動かすと、彼はゆっくりと話を続けた。
「召喚前、私は力も無ければ何もない…無力な子供でした。でも、彼等はそんな私にすがったのです!それしか無かった…なら、せめて彼等ぐらい救って見せるのが英雄…いえ、人間カイムの使命だと思った。これ以上は上手く言えません」
曖昧ながらも力強い覚悟を持って語るカイムが顔を上げると、そこには幼い顔の少女は居なかった。肌の見えるところが金色の毛に包まれた、目をつぶる人狼がいた。いつの間にか晴れた月の光が、窓から射してゲーテを照らしていたのだった。カイムの目の前で金毛が光輝く光景は、彼にまるでファンタジー映画のような幻想的光景と思わせた。
ドレヴァンツが"見とれる"と言った言葉が脳裏を過ると、カイムは目の前のゲーテと目があい、彼女は軽く息をついた。
「使命…ですか」
小さく呟くいたゲーテの言葉に、カイムは首を傾げて彼女よ様子を伺った。だが、彼女は暫く黙ったままだった。
「私は、迷っていたのです。どうすれば良いのか解らなかった。でも、貴方は解らないながらも歩み出した。未来を見る事も出来ないながらに…私も歩み出せるでしょうか?」
沈黙するゲーテに何かまずいことを言ったのではと焦るカイムに、彼女は唐突に力強い宣言をした。その唐突な内容に、カイムは少しだけ言葉を選ぶとゲーテを見つめて頷いた。
「貴方ならきっと出来ます。未来が見えるとか関係無いですよ。過去を引きずっているなら、周りと状況が悪かった。それだけです」
カイムの励ますような一言に、俯いたゲーテが顔を上げると、彼は真面目な顔から少し笑顔を向けた。
「それに、あれこれ考えるより行動した方が人生は楽しいですよ。何より、貴方を助けてくれと随分若い格好の老人に頼まれましたからね」
その言葉に、月の光から離れいつの間にか元の姿に戻っていたゲーテは少し笑った。そして、深く息をついた彼女は憑き物が取れた様に再び笑うと席を立った。
「決心つきました。カイムさん、ご馳走さまでした。私は行きます」
そう言ったゲーテは、部屋の扉に向けて力強く歩き出した。それをカイムは一瞬止めようとしたが、彼女の何か大きなことをしようとする決意の表情に無言で手を振り見送った。
「最後のデザートあったのに」
「何だ小僧、振られたか?」
ゲーテを見送るカイムの独り言に合わせるように、ペルファルが個室の扉から顔を出した。そのまま部屋に入りゲーテの座っていた席につくと、持っていた陶器のジョッキにワインを注いだ。
「それで、あの教皇様は信用出来るのか?」
ペルファルの質問にカイムは力強く頷くと、グラスのワインを一気に呷った。
「きっと…彼女はこの国の為に動ける人ですよ」
曖昧だったカイムの言葉に口を開いたペルファルだったが、力強い言葉の前に黙ってジョッキを傾け中身を口に流し込んだのだった。




