幕間
「ザクセン=ラウエンブルク卿!お久しぶりです!」
本来皇女の住むシュトラッサー城の室内は荒らされ、壊されてまともな部屋はあまり存在していなかった。だが、若く凛々しさや勇ましさが含まれるその声が響く部屋は、壁は白く塗り直され、床は新しい木の板で貼り直されていた。さらには、壁の端や支柱、窓縁には金や銀のアラベスク模様で装飾され、絵画やインテリアにも華やかさの限りを尽くされていた。そんな部屋の中には、同じく金や銀で装飾された衣服を纏う様々な種族の老若男女が談笑しながら立食をしていた。
その質素だった面影を遺して崩落しかけていた部屋を修繕して装飾し、数々の豪華な料理を用意させたザクセンは、無数のガルツ帝国南方貴族に囲まれていた。そんな彼の正面に立ち、深々と礼をしたのは黒い長髪の青年だった。外見は人間の20代半ば程の若者であり、鼻が高く褐色の肌に大きな輝く黒い瞳はまさに美青年と言った見た目であった。だが、褐色の肌は若干血色が悪く、その男の声音に反して肌色だけは元気のなさを感じさせた。
「南方貴族全員が予定通り5月1日、1ヶ月遅れで到着しました!」
「テンペルホーフ卿、皆も久しいな!御苦労様だった、大義である!」
テンペルホーフと呼ばれたその青年の報告を聞きつつ、彼や取り巻きの貴族や権力者達に労いの言葉を掛けると、ザクセンは部屋全体を見回した。勇ましいザクセン覇気のある言葉を受けて、多くの貴族が彼に持っているグラスを掲げたり拍手をし始めた。
そんな同郷の同胞から称賛を受けたザクセンは満面の笑みを浮かべて、取り巻きの集団に一歩近づいた。その表情は少し前まで楽しげかつ豪胆に笑っていたものとは打って変わり、冷製で冷たい表情となっていた。
「それで、諸君…首尾の方は…」
勿体付ける様に言ったザクセンの言葉を受けると、彼の取り巻き全員がお互いに頷きあうと背筋を正した。
「全て滞りなく完遂されました。後は閣下の命令が下されるのを待つのみです」
「そうか、それは上々」
テンペルホーフの自信に溢れる言葉ややる気に満ちた表情に、ザクセンは安心したように頷いてみせた。その頷きに呼応するように、取り巻きの青年貴族達はザクセンへと気迫を見せようと肩肘を張って勇ましく見せようとするのだった。
だが、そんな取り巻きの中でシンデルマイサーが気まずそうに手を上げた。取り巻き全員はそんな彼の態度に刺すような鋭い視線を送りつけ、シンデルマイサーは気まずく俯いた。そんなシンデルマイサーの態度にザクセンの微笑みながら、無駄なことをする周りの貴族達に殺意じみた怒りを放つと震え始めた彼等を無視してシンデルマイサーに続けるように促した。
「かっ、閣下…問題という程では無いのですが…廃墟の街と考えていたので、予め仕込んでいた者達が目立つかもと思いまして…」
「ふむ…そうか、そんな奴らもいたな」
そんなシンデルマイサーの絞り出された震える意見に、ザクセンは思い出したように呟くと額から伸びる二本の角の片方を撫でながらゆっくりと思慮を巡らせ始めた。
「それには心配要らないだろう。魔人の私を悪魔と勘違いするような…そう、"愚民"だ」
ザクセンは少し考えた末にそう吐き捨てると、ウェイターの持つトレンチからワイングラスを取った。そのグラスに注がれた真紅のワインを輝くシャンデリアに重ねて見ながら、彼は一瞬だけ言葉を詰まらせるも、見下すような暴言を言い放った。
「とはいえ、私達高貴な者はそんな愚民も導かねばならぬ。そのためにも、皇女には華々しく語り勇ましく散ってもらわなければな…」
人々を見下し尊大な態度を取るザクセンの言葉だったが、彼の放つ猛烈な威圧感やその態度に見合った力を前に、その場の全員が息を飲んだ。
「嘗てのこの国に攻めてきたヒト族の国の言葉には"散りの美学"という言葉が有るそうです。一瞬の美しさと、それが散る事を美しいと感じるとか…」
ザクセンの取り巻きの一人である青年の悪魔が彼を羨望の眼差しで見つめながら言った。その言葉にザクセンは数度頷くと、顎髭を撫でながらグラスの中身のワインを回した。
「ならば、その"散り"から蘇る帝国は更に美しいだろうな…」
ザクセンの呟きは多くの取り巻きの顔に一瞬だけ影を落とさせたが、テンペルホーフの満面の笑みが希望を持たせた。その笑みに気分を良くしていたザクセンだったが、彼は何かが気になったのか立ち上がり、参列者に挨拶をしながら一人の人物の元に向かった。
「フリッチュ卿!お久しぶりですな!御変わり無いようですな。元気そうで何よりですぞ!」
そう言ってザクセンが声を掛けたのは杖を突いた人物だった。その人物はただ一人並べられた料理を黙々と食していたが、声を掛けられるとザ彼の方へゆっくり振り向いた。
フリッチュと呼ばれた男はオオカマキリの頭をした人物だった。特撮物の怪人の様な外見ではなく、本物の昆虫であるカマキリのような緑色の頭に、甲殻で包まれた腕の手首付近から鎌が伸びていた。大きく背中を曲げたその姿勢や、年齢のせいか劣化の見られる筋張った甲殻、嗄れた声が彼が南方貴族達の中でもかなりの老人であることを示していた。
「なんじゃ、小僧か。今私は食事中じゃよ、後にしとくれ」
ザクセンに話しかけられたフリッチュだったが、ブルストを咥える彼は露骨に彼へと嫌な表情を浮かべると突き放すように呟き食事に戻ったのだった。そのすげなく返されたフリッチュの言葉に、ザクセンは一瞬肩を震わせると大きく咳払いをした。
「フリッチュ卿…貴方は私との爵位に伴う立場というものを理解しておられるのか?」
「たとえお前さんが公爵でも、私にはいつまでも小僧は小僧じゃよ。怒りっぽくて執念深くて、夢見がちで野心家な小僧じゃ」
フリッチュのまるで幼い子供をあやすような態度と言葉に、ザクセンは怒りに震える右手をポケットに隠して、首を軽く振った。そのザクセンの苛立つ動作に軽く溜息をつくと、フリッチュはいつの間にか現れた従者にフォークを渡すとハンカチを取り出し口を拭った。
「それで、一体どうなされたザクセン=ラウエンブルク卿?」
「何故西の連中が居ないのだ?"彼等にも声を掛けて頂きたい"と言ったずなのですが?」
「彼等は今頃姫様と食事会だろう。何も全員が君を尊敬して付い来ている訳では無いのじゃよ」
気だるく尋ねたフリッチュに、ザクセンはゆっくりと歩み寄って肩を寄せた。そんな彼は、フリッチュの耳があるであろう頭側部に口を寄せると静かながらに湧き上がるような怒りをもって問いただした。だが、フリッチュは辺りを見回しながら黙るのを見ると、彼は足で床を軽く何度か蹴りながら急かすように目を細めた。すると、フリッチュは突然喋りだし、ザクセンは驚いた。だが、それより彼の表情は不思議と満足そうにみ見えるとフリッチュは訝しむようにザクセンを見つめたのだった。そんな視線に気付いたザクセンは顔を隠すようにグラスのワインを呷ると、彼を片目にフリッチュがゆっくりとその場を去った。
「まぁ、お前さんが何を考えているかは知らんし、だいたい察しはついているが…私は帝国の存続の為に居るだけだ」
フリッチュ去り際の言葉に、ザクセンは窓際まで歩き眼下の街を見つめた。そこにはあちこちに街灯と街の明かりが輝く再建されつつあるデルンの夜景が見えるのだった。
「そうだ。全ては帝国と…散っていった者の為に…」




