第六幕-2
親衛隊本部の警備や自分の服装からカイムに会う事を止めたザクセンは、観光ついでにとにかく情報を得ようと街を歩いた。
穴や段差だらけだった帝都デルンの道の多くは修繕され、それ以外では歩道の装飾や街灯の修繕作業が行われ、この勢いなら来月には夜の街でも道で転ぶ住民が居なくなると感じながら、ザクセンは街並みを見回した。
崩れかけた廃墟の多かった街の北側は建物の多くが新たに新築され、長く続いた戦後という言葉を忘れさせる程に都市としての機能を取り戻しつつあった。特に商店やマンション、会社が建ち並ぶ大通りの光景は、ザクセンの知る帝都では無かった。木組みの建物の外壁は鮮やかに塗り替えられ、嘗て白色ばかりで年季によりくすんだ町並みは、青や緑などといったカラフルながら決してあざと過ぎない美しいものとなっていた
「おじさん!新聞要りません?」
「んっ?」
人通りの多い十字路で辺りを見回していたザクセンは足元から掛けられた声に気付き下を向いた。そこには新聞の束が入ったカバンを下げたゴブリンの少年が居た。幼く縮れた茶髪に頬の赤い小柄なその少年を児童労働者と思ったザクセンだったが、その割には身なりが余り悪くないので、見た目だけが若いのかと思った。
だが、ザクセンの膝にも満たないその身長の低さからそれも違うかもしれない等と考え始めたザクセンを他所に、少年はカバンから新聞を取り出した。
「おじさん、東から来た人でしょ?さっき東の偉い人達が城に向かうの見たから。これは友達のお父さんのお手伝い。お小遣いくれるから」
ザクセンへと気軽に話しかける少年の声を聞き流し、彼はこの街の復興は急激にかつ事前準備や綿密な計画の元に行われているのか怪しく感じた。
というのも、都市レベルの復興は無数の人手と予算を必要とする。皇女の膝元であるデルンであるからこそ、予算は問題無いとしても人員については計画性を持って運用するべきである。そう考えるザクセンからすれば、この復興や組織拡大は皇女ホーエンシュタウフェンの予想外の事態であり、彼女の指揮や考えさえ追い付いていないのではと思えた。
そんなことを考えたザクセンは、ようやく少年の話を思い出すと、街の復興やそれを実行した何者か、それに協力する勢力が知れるかもしれない情報の塊ともいえる新聞の価値を改めた。
「さて…それなら1つ貰おうかな?いくらだね?」
「1ガルツベルクだよ」
「山?」
「新通貨だよ。両替が必要なら、良かったら銀行まで連れてくよ?」
早速新聞を買おうとしたザクセンは、少年の笑顔に険しい考え事の表情から笑みを作り直して答えつつ値段を尋ねた。そんな少年から帰ってきた返答は彼の聞きたことのない通貨単位であった。
それに困惑するザクセンだったが、ズボンのポケットから財布を取りだそうとしたとき、少年はザクセンの懐の事情を察すると彼へと提案してみたのだった。その少年の言葉にザクセンは大きく頷くと、そのまま財布を取り出し銅貨を一枚彼へと渡そうとした。
「いいよ、連れて行くくらいでお金貰ってたら恥ずかしいよ」
だが、ザクセンの手渡そうとする硬貨を少年は恥ずかしそうに断った。その言葉はザクセンに衝撃を与えたが、彼がその言葉の真意を尋ねるより先に少年が歩き出した。
そんな少年を急いで追いかけたザクセンだったが、少年の案内する銀行は直ぐ近くだった。
「ババコワ銀行…ババコワの奴が帝都に進出だと…」
「そうだよ。最近できた銀行で、大人はみんな使ってるよ。"きんり"?がいいとか何とか言ってたよ」
驚くザクセンの呟いたババコワという人物は、北方銀行の頭取であるケンタウロスの男だった。ケンタウロスの中では視力が悪く体格があまり良くなく、足も遅かったかったババコワだったが、頭は非常によく金勘定が得意だったことから、彼は一族の資金を使い大規模な金融機関を北方地域に作った資産家だった。
そんなババコワも、今まで首都へと勢力を伸ばそうとした事は一度も無かった。それは勿論、首都での勢力拡大は周辺地域、延いてはザクセン達南方貴族を刺激するからであった。
そんなババコワの大胆な行動はザクセンを呆気に取らせたが、事情を知らない少年は得意げに覚えている言葉を披露したのだった。
「ここまでするとは…奴ら正気か?本気で我等と事を構えるつもりか?」
驚きの余り独り言を呟くと、ザクセンは案内した少年に視線を向けた。その少年は彼の独り言を聞いていなかったのか、ザクセンが急に視線を向けた事に首を傾げた。
そんな少年の頭を優しく撫でるザクセンは、彼に手を振りつつ改めてババコワ銀行と向き合った。
「ありがとう、少年。さて…行くか」
少年に礼を言うと、ザクセンは木組みに白色の外壁の落ち着いた外観の銀行に入っていった。
正面ドアのベルが鳴り響く銀行内は職員や客が歩き回り、ザクセンの予想していた以上に騒がしかった。
止まる事を忘れた様に職員は動き回り、窓口の奥の事務所では無数の書類が宙い、伝票や決済書が山のように積み上げられていく様が見えた。そして、その実務側の忙しさに引けを取らず、全ての窓口に人が行列を作っており、人々は用も済んでいないのに待つことだけで疲れた表情をしていた。そんな銀行の中でも両替窓口は他の窓口より遥かに長い列となっていた。
まるで敵陣の中に単騎で飛び込んだ様な状態のザクセンだったが、彼はとにかく他の列に並ぶ者達に上手く紛れようとした。両替所に並ぶ客は他の窓口の客と違い、多くが地方かスラムから出てきた貧民と言った具合の風貌だった。そこでザクセンは整えた髪を部屋の隅で滅茶苦茶にすると、近くの植木の土を一握りして直ぐに落とせるよう軽くシャツやズボンに振りかけつつ磨かれた靴も踵で軽く傷をつけて偽装をすると、彼は列に並んだ。
前に並ぶ3人の老人は談笑しており、ザクセンが並んでも何も言わない事から偽装が効果を発揮していると解った。そんな行列に数十分立ったまま待ち続けた後にザクセンの番となり、窓口担当のインプの女性が彼に声をかけた。
「両替を…お願いしたいのだが…」
「どちらの通貨で?」
敢えて少したどたどしく喋るザクセンに、窓口担当は笑顔と共にレート表を机に出した。その女の業務的な笑顔を前にまだ正体がばれてない事を理解しすると、ザクセンはポケットの布財布を取り出し中の硬貨を貧民が出しても怪しくない最大限で取り出した。
「全財産なんだ。ようやくここまで働きに…」
「シュヴァイク金貨2枚に銀貨10枚ですので、215ガルツベルクと75フェニヒになります」
ザクセンの遠回しに色を付けてくれと言う言葉を無視して、インプの窓口担当は即座に対応した。そんな彼女の浮かべる笑顔はそんな事出来ないと主張しており、そうそうに硬貨を集めると机に紙を3枚並べた。2つは同種であり、現皇女であるホーエンシュタウフェンの横顔が描かれていた。もう1種には初代ホーエンシュタウフェンである魔族の男の横顔が描かれていた。硬貨に関しては全て精巧に作られていたが、全て金や銀などの貴金属ではなく至って普通の青銅、黄銅や白銅などばかりだった。
「これが…通貨か?紙や銅貨にしか見えんぞ?」
「ありがとうございました。次の方!」
そんな見たこともない紙幣と硬貨に驚くザクセンの質問を遮り、これ以上発言させないとばかりに窓口担当は次の客を呼んだ。
その対応にさすがに文句を言おうとしたザクセンだっが、彼の後ろから並ぶカブトムシの昆虫人の男に肩を叩かれた。彼は黙って親指で自分の後ろを指差すと、両替所の列はいつの間にかさらに長くなっており、ザクセンは何も言わずに窓口担当へ礼をすると銀行を後にした。
「両替してもらえた?」
「窓口担当は、随分礼儀を知らないみたいだな…」
「仕方無いよ、総統の大規模復興で仕事が増えてさ。ニースヴァイセンからも人が流れて来るようになったんだ。銀行は出来てから毎日あんなんだよ。捌くので精一杯。父さんも帰るなりソファで寝てるよ」
新聞の少年が銀行を出た彼に声をかけた。その少年の笑みにザクセンは苦笑いをしながら軽く受付嬢への悪態をついてみせた。その発言に、少年は職員を庇う言葉とそれを説明を口にした。
自分の言葉を明確に否定する言葉を久しぶりに聞いたザクセンは少年により感心すると、さらには首都の情報まで貰えたことで彼は新聞の値段に色を付けて渡したのだった。
「はっきり言う…"1ガルツベルク"だったな。私は、手先が不器用だから、誤って2枚渡してしまうかもしれんな?」
「ありがとうございます!」
「良き働きだ。これからも稼げよ、少年」
「それ、すっぱ抜きありますからきっと未来で価値が付きますよ!」
少年に含みをもたせて呟いたザクセンは、交換したばかりのガルツベルク紙幣を渡した。ザクセンから紙幣を受け取るとき、彼は少年の手を取り握手をした。そんなザクセンの激励に、少年はこっそりと新聞の内容を教える彼に新聞を渡し再び歩き売りを始めた。
受け取った新聞を軽く宙へ放ったザクセンは、新ガルツ新聞と名付けられた新聞の表紙を見ると軽く掌で遊ばせてから手に取った。そして、たまたま彼の目に入った"喫茶店"という看板が気になると、その店へ向かった。
軽く偽装として付けた土を払い席へ案内されたザクセンは初めてテラス席に通された。酒場程度なら行ったことのあるザクセンからすると店の外で注文するという行為は異色なもだった。それを"そういうものだ"と無理やり納得したザクセンは、メニューに書かれていたコーヒーを適当に頼むと片手の新聞を眺めようとした。
新聞売りをしていた少年の言うとおり、その表紙のすっぱ抜きは確かにザクセンにとっては価値ある物だった。
「4月4日に首都へ来た北方貴族連合がカイム総統と秘密裏会談していた…5月始め頃に北方貴族連合が親衛隊と共同宣言予定だと!」
北方貴族連合はヨルクが北方権力者を統率して帝国への合流のために急遽組織した物であった。それ故に、ザクセンは北方権力者が自身の身の安全を守るために寄り集まった烏合の衆であると判断していた。
それでも、ザクセンは北方権力者達の不穏な動きの詳細が気になると食い入る様にページを捲り続けた。
「あら、ザクセン=ラウエンブルク卿。皇女殿下をそっちのけで、流行りの喫茶店でコーヒー片手に新聞ですか?なんと良い身分です事」
そんな情報収集に忙しいテラス席のザクセンにからでも少し聞こえる店の騒音と自分に語り掛けられた声で、彼はゆっくりと顔を上げた。いつの間にか来ていたコーヒーと共にテーブルの向かい側に現れたのは、彼が良く知る人物だった。
そのお忍びでの外出のための黒いワンピースに同じく黒いコートを纏うその人物に、新聞を畳みテーブルの上に置くとザクセンはジェスチャーで座るよう促した。
「さて…良かったら一緒にお茶でもどうですかな、ホーエンシュタウフェン殿下?」




