第六幕-8
休日の翌朝の事であった。マヌエラの研究所北側に広げられた訓練用の運動場に、訓練生達が2列横隊で整列させられていた。
訓練生全員の視線はその前に立つカイムではなく、その隣に立つギラに集中していた。彼女は野戦服の襟元や肩を強調するように立ち、彼等の視線も主にそちらを向いていたのだった。
「諸君!知っているだろうが、我々親衛隊は商業組合から攻撃を受けた。奴等は無垢な皇女殿下を騙し、富を独占しているこの国のがんである。先の放火も警告のつもりだろうが、同じ帝国の同胞たる我等に刃を向ける者達が同胞なはずがない。
これがこの国の現状である。誰も正さない腐敗が無力な国民を疲弊させるのだ。何よりも、その国民さえ腐敗を正すために立ち上がらなかった。
しかし、今私の前には親衛隊がいる。諸君らはまだ訓練生ではあれど、戦う力があると確信している」
訓練生を前にしてカイムは、淡々とした口調で語り始めた。出来るだけゆっくりとした口調かつよく聞こうとしないと耳に入らない声量であった為に、多くの訓練生は彼の話に深く耳を傾けるのだった。
一通り話したカイムは、ゆっくりとした流れるような動作でギラに手を向けた。
「ギラ訓練生は訓練生志願以前から実戦経験があった。そこで、彼女を訓練生から一時的に二等兵扱いとして諸君らの戦闘訓練教官への特例配属とする!彼女の訓練より後、我等は初の実戦を行う!」
カイムの言うとおり、彼女の左襟には黒色の階級章が付けられ、両肩にも漆黒に白い縁取りと白ボタンの肩章があった。だが、多くの訓練生は階級章よりも突如として大声で彼が宣言して"実戦"と言う言葉に反応していたのだった。
多くの訓練生がカイムの言葉を集中して聞こうとしていた為に、大声とその内容に面食らい困惑の表情を浮かべていた。考えが纏まらない訓練生達の中でも、たった1人であったがアロイスが手を挙げ発言の許可を求めた。
「実戦というと、相手はその商業組合の幹部達…」
「否、否であるアロイス訓練生!宣戦布告された以上、全滅させてこそである!つまりは組合に属する者全てである!
奴らはこの国に巣くう寄生虫である。そもそも、諸君ら親衛隊は私の指揮する救国の軍隊である。ならばこそ、この国を侵す病魔を完全に排除してこそである!
あの悪逆無道の国賊は1人残せばカビの如く増えてゆく。故に、我等の正義の刃にて全滅させねばならないのである!復興の支援で私腹を肥やす者達に正義の鉄槌を下すのだ!」
訝しげに見詰めるアロイスの質問をあえて遮ったカイムの力説が終わると、運動場にはさらなる困惑と沈黙が流れた。その場に整列する訓練生達は、下手に動く事も出来ずにお互いを目だけ動かしてお互いとカイム、アロイスを見るのだった。
「総統万歳!」
朝日の暖かさを凍らせると思える沈黙を破ったのはギラの敬礼と共に挙げられた言葉だった。彼女の叫びにも似た一言は、その場の全員の視線を一斉に集め、訓練生達の思考を再び止めさせた。
言い終わったギラはカイムの1歩前に出ると、"全滅"や"鉄槌"等といった過激な発言の前に尻込みをしている訓練生全員に目で圧を送ったのだった。
「もし、ここで反対や拒否したらどうなるので?」
「その場合、今すぐその野戦服を脱いでもらおう。そして、ここを出てもらう訳だが…多くの事を知られた以上、これから先は言わなくても判るな?」
「おいあんた!命を保証するとか言ってたじゃないかよ!」
ギラの圧をものともしなかったアロイスが、許可を求めずカイムへ露骨に不信感を見せながら質問をした。それに対して含みを持たせる言い方で淡々と返すカイムに、エリアスがカイムの脅迫に対して声を上げると他の訓練生達も不満の声を上げ始めた。
反抗の声が次第と大きくなるにつれて、カイムは肩を落としつつ右足を上げブーツからナイフを取り出したのだった。
「一蓮托生とは言うつもりは無い。そもそも私は親衛隊、もしくは訓練生である限り保証すると言った…私はこの国の英雄らしいが、決して勇者だとか、正義の使者なんて言うつもりは無い!」
カイムは訓練生全員の前で被っていた帽子を取ると、自身の考えを苦々しく語り始めたのだった。その口調は表情同様に嫌悪感や負の感情が若干ではあるが混ざっていた。
「正直に言うなら、この国の未来がどうなろうと知らない。皇女も貴様達も、最終的には他人だ。だからこそ、私の未来は私の物だ。味方しない貴様らに使う程バカでもお人好しでもない!あの皇女からすると、私は予想外の失敗作らしい…」
訓練生達との間に立っていたギラの更に前へ立つと、カイムは後ろのギラも含めた訓練生全員に言い放った。
「あの皇女に、この国の貴族をまとめる程の力は無い。いずれ貴族の派閥と皇女の間に内戦が起きる。そうなれば、力無い皇女は平和の理想と共に倒れる。力無い理想は妄想と変わらない。そうなれば、より無力な諸君は貴族達にゴミ以下の存在として扱われる。きっと死ぬより辛いよな」
カイムは露骨に同情する視線を訓練生達に向けると、心底憐れむ様に語りながら構えたナイフを下ろし空を仰いだ。
「皇女の英雄だ。きっと生かさず殺さずの軟禁生活だ…何もなく、何も出来ず、ただ過ぎてゆく日々。伊達に自我がある以上、死にたいと思う日々だろうな。だから、事が起きる前に力が…少なくても良い!より強い軍がいる。この先の内戦で1万が死ぬ。それを千に抑えるために40を殺せと。ついでに自分の自由も手に入るというなら安いものだ。どうせこの先ゴミ以下に成るゴミなら…潰した所で心も痛まん!」
うっすらと敢えて敵意を笑みを浮かべると、カイムは後ろから歩み寄るギラの肩をゆっくりと押し退けた。その行動や作った笑みと口調ながらも独善的な発言には多くの訓練生が若干ながら敵意を剥き始めていた。その反応を前に、カイムは自分という悪に対して親衛隊が敵意を向けたことに内心喜びつつ敢えて悪人に徹しようとした。
カイムは初の実戦と言う事から、訓練生に対して戦争における勧善懲悪を否定し自分達が決して正義の組織でない事を改めて認識させるために悪人を演じようと考えていた。
だが、アロイスやマックス、背後のギラから突然の変化に対して疑う刺さる様な視線に気づくと、戻りかけた素を払うように頭を何度も横に振った。
「何ならギラも嫌ならあっちに行っても良いぞ?」
「閣下の横以外に、私には行く場所はありません…こんな私を受け入れてくれるのは閣下だけです。ならば、悪行だろうと地獄だろうとお供します…それに、私もただ死ぬよりは、総統と同じく人の迷惑さえ知らず最後まで足掻いて死にます」
覚えている悪役のイメージに従ってカイムは笑みを作ったが、突き放す言葉を無視するようにギラもナイフを構えると彼に自分の意見を言い切ったのだった。
「皆戦うのが嫌だと言うなら、もう一度、事が起きる前に同じ事を繰り返すだけだ。換わりはいくらでも…」
「あんたに付いて行けば、俺達はあんたの言うゴミじゃなくなるのか?」
「それはお前たち次第だが、私は平等だ。そして、私も易々とこの世から退場は嫌だからな?貴様らと足掻いてやろう」
カイムの露骨に作った態度と言葉を崩すように遮って、アロイスは前に1歩踏み出しつつ彼に尋ねた。アロイスの意図を見抜いた様な態度に、カイムはもう一度役を思い出しながら覚えているセリフを吐くのだった。
「俺達は…俺は…もう泥を食べるなんて嫌なんだ…」
「このまま私達に殺されれば…或は」
「戦って、生き残って、その内戦で敵だの貴族の野郎を倒せば…」
アロイスは直立し、ただ俯きながらカイムの目の前で呟いた。その呟きへ律儀に答えるカイムやアロイスの態度から、多くの訓練生もカイムの意図を察し始めていた。
それでも悪役を崩さないカイムを前に、アロイスは独り言を一言呟くと決心した様にカイムと向き合うのだった。
「アロイス・ベイアー。君はどうする?そうだな…いっそ私を殺してお前が…」
「俺は、あんたを殺せない。そんな力も無いし、これからどうすれば良いかも判んねぇ…でも、あんたが俺を強くしてくれるなら…あんたが俺達に生きる術をくれるなら…俺はあんたに従おう。例え、少しは信じてやろうかと思っていた俺達をいきなり脅すようなクズ野郎でもな」
カイムの問いかけに、アロイスはゆっくりとだが力強く右手のにぎり拳を左胸に当てて自分の意思を述べた。
「"忠誠こそが我が誇り"なら、俺は…私は貴方に従う」
呟く様な小声で言うと、アロイスは周りの訓練生へと振り返った。
「お前らはどうする!俺は死ぬのもゴミクズ以下も御免だ!こんな所でクソみたいに死ぬくらいなら、全身血塗れでお前らも、敵全員もぶっ殺した方がましだ!」
そう言うと、素早い動作でブーツからナイフを抜き取りアロイスは全員に言い放ったのだった。
「確かに、死ぬのは御免被るよ。あ~あ、闘争に正義も悪もなし。あるのは私利私欲か…せっかく民を救った何だで褒められても、こんな"お説教"先にされちゃあ良い気にもなれねぇ…とんだ貧乏くじだ」
仲間の行動に訓練生達は困惑しながらも、その中からゲオルグがわざとらしく声を出しながら1歩前に踏み出して敬礼をしたのだった。
「ゲオルグ・カンナビヒ訓練生!"忠誠こそが我が誇り"であります!」
ゲオルグがカイムの意図をわざわざ説明しつつ宣言すると、それに続くようにマックスとツェーザル、エリアスも前に踏み出した。
「殴られるのも、無意味に辛いのも嫌だから…」
「殺されるよりは殺す方が良いね…まぁ、確かにそうだよな。ゴミ以下も嫌だからな」
「今更だけどベッシュ達が羨ましく…いや、何でもない」
それぞれが一様に一言だけ述べると、ゲオルグ同様に敬礼をしたのだった。
「マックス・ブシュシュルテ訓練生!"忠誠こそが我が誇り"です!」
「ツェーザル・オークレール訓練生!"忠誠こそが我が誇り"!ベルトにも書いてますしね」
「エリアス・ボビッチ訓練生!"忠誠こそが我が誇り"!出来る限り頑張りますよ」
ゲオルグによって、このカイムの脅しが感性のねじ曲がったお説教の一環と判ると、彼等に続くように1人、また1人と全員が前に踏み出した。運動場が静かに成る頃には、敬礼をした訓練生全員が並んでいたのだった。
訓練生達の行動を前に、カイムは作った態度を崩しつつ右手のナイフを鞘に戻し力強く敬礼をした。
「ならばよし!我等の完全勝利の日まで、諸君らの命、私が預かる!いいな」
「総統に勝利を!総統万歳!」
カイムの最後の確認に、全員が一斉に声を上げた。こだまするかと思えるその声にカイムが身を引き締めると、何かに気がついたのか横に居たギラが彼を庇いながら背後に立った。
ギラだけでなく訓練生全員が臨戦態勢としてナイフを抜いて構えていることから危機を感じ、カイムはナイフを抜くと背後へ振り返った。
「まっ、ままま待って待って下さい!」
振り返ったカイムの前には、肩口で切られたくたびれたスーツを来た小柄な男が立っていた。
小柄な体躯ではあったが腕に翼の様な物を付け、足は鳥の様であった事からカイムは何をするか予測できず警戒を解かなかった。何よりも、その男はギラの報告にあった銀の首輪の少女を連れていたからであった。
整列していた訓練生もカイムを守ろうと、かなり空いている彼等とカイムの間に入いると2人を睨みつけるのだった。
「私は商業組合の関係者ですが敵ではないですよ!むしろ今の話聞いてました是非協力させてほしいのですが…」
おどおどとした口調でハーピィの男がそう言うと、カイムら親衛隊を見渡し冷や汗まみれになった顔を拭うのだった。
「まずは…話し合いませんか?僕は暴力苦手なので…ほら君も、協力してくれるんでしょ?」
冷や汗の止まらない男は、状況を打開するために少女に話しかけた。すると、少女はその場でコートの下から大量のナイフを無数の金属音を立てながら落とし、両手を挙げたのだった。
「戦いません。お話し合いしましょう。紅茶があると嬉しいです。お茶菓子は…何でもいいです。」
短い腕に余った袖を揺らす少女を横目に、ハーピィ男はため息混じりに降参とばかり両手を挙げた。




