渦巻く温度
「来たみたいね」
その女性は読んでいる本から目を離さずに呟いた。
「もう、遅いよ~」
待ちくたびれた様子で、もう一人が立ち上がる。そして部屋を出て行こうとして、振り向いた。
「しお姉は? 行かないの?」
「誰か具合が悪いみたい」
「え?」
本から目を離し一息つくと、読んでいた本をパタンと閉じた。
「私はここで待ってるわ。貴女は皆を案内してあげて?」
***
離れに続く長い廊下を大久保は早足に歩いていく。無駄に広いこの屋敷は、目的地に着くまでが遠い。
(重ぇーんだよ、ったく)
ずしりと重く肩に圧し掛かる美月を、大久保はもう一度背負い直し、離れへと急いだ。
「じゃあ僕達も行きますか――」
――ガラガラガラッ!
九条が家に入ろうと引き戸に手を掛けた瞬間、言葉を遮るように扉の方が勢いをつけて盛大に開く。
「ちょっと! 今龍一が女子担いでたんだけど!」
その大きな音と声に驚いた皆の視線は、玄関に注がれた。
そこにはショートカットで活発そうなスタイルのいい女性が息を切らして立っている。さらっと着こなした短いタンクトップからは、引き締まったお腹がちらりと覗き、程よく長い美脚には細身のデニムがよく似合っていた。
(え、女!?)
(誰……?)
突然目の前に(しかも九条の実家だという家の中から)現れた女の姿に、女子達は凍りついた。特に九条の彼女である紘乃の心中は穏やかではない。
「おー。なぎさー」
藤代はその女性を気にする様子もなくズカズカと家に入っていく。
「ひさしぶり~、司」
渚と呼ばれた女性も、ニッコリ笑って応える。
その間に藤代は靴を脱いで、鞄を肩に担ぎ直すと屋敷に歩みを進めた。
(キレイな女性……)
突然現れた美人と彼氏の様子を、紗弥加はぼんやりと眺めていた。
「何やってんだよ。行くぞ、さや」
「え、ちょっと……いいの?」
勝手に入っていく藤代の背中と、美人の横顔を、紗弥加は交互に見比べた。
紗弥加の視線に気付いた彼女は、目が合うとニッコリと微笑む。
(うわぁ……)
紗弥加は女性にこんなドキドキした気持ちになるのは初めてで。そんな心臓に悪い笑顔の美人だった。
「ったく、しょーがねぇな」
「ちょ、待って! 待ってよ司ぁ」
一向に動く気配のない紗弥加に痺れを切らした藤代は、彼女の手を取って歩き出す。紗弥加は引き摺られながら慌てて靴を脱いだ。
「うそ! 司が特定の彼女連れてくるなんて初めてじゃん!?」
二人の様子を見ていた美人は目を見開いて声を上げる。
その後も何か言っていたようだったが、藤代に必死について行く紗弥加には聞こえなかった。
(何この家……広っ)
九条の実家だと知らされ足を踏み入れたその屋敷の広さに紗弥加は唖然とした。今は藤代が手を取りスタスタと歩いているから、それについて行けばいいが、一人だったら迷っていたに違いないと思う。
「ねぇ! さっきの人、めっちゃ美人だったね!」
紗弥加が話し掛けると、藤代は歩く速度を緩めた。
「なぎさ?」
「そう! なぎささん」
「そうかぁ?」
藤代は記憶を漁るように目線を上に向けて、眉間に皺を寄せる。そして言っている意味が分からないといったように鼻で笑い飛ばした。
紗弥加は時々不思議に思う事がある。目を見張る美人をも鼻で笑う藤代のような男が、どうして自分を選んだのか。二人でいると楽しいし、夢中になってしまうし、そんな事を考える余裕さえないのだが。
先程あの女性が言っていた言葉が頭を掠める。
「そういえば……なぎささんの言ってた特定の彼女っていうの、あれって――んぐっ」
大事なところを聞き終わる前に、立ち止った藤代は紗弥加の鼻を摘んだ。
「ぐるじいよー、つがざー」
突然の事に目をぱちくりさせた紗弥加だったが、苦しさと恥ずかしさが相俟ってみるみる顔が赤くなっていく。その様子を見て、藤代はいつの間にか笑っている自分に気付いた。
藤代の中を温もりが渦巻いて行く。
愛しいとか
愛くるしいとか
浮かんだのは、そんなこっぱずかしい気持ちばかりで
(悔しいから言ってやんない)
「もう何だよ~」
藤代が手を離すと、眉を八の字にした紗弥加が上目遣いで見つめる。
「うっせー、とりあえず黙っとけ」
そして何かまだ言いたげな唇を塞いだ。




