朝顔のため息
「べ、別に怖くなんか」
「さっきから、ずっと手が震えてますが」
横からの時雨の鋭い視線が刺さる。周りに心配をかけまいと平静を装っていたのに、見られていたのか、とその洞察力の良さに驚く。
「それは……」
俯いた雪菜は、自分の足元をじっと見つめた。どう返したらいいのか、適当な言葉が見当たらなかった。
「いえ、すみません。言い方が悪かったですね。別に、あなたを責めているわけではありませんから。ただ——」
時雨は、そこで一旦言葉を区切って「いいんですよ、別に強がらなくても」と言葉を継いだ。
「怖かったのなら怖いと言えばいい。我慢する必要はありません」
胸に響く低音。時雨の言葉がじんわりと雪菜の心に広がり、心の奥まで染み渡っていく。
「我慢、だなんて……」
口から出た声は、思った以上に震えていた。
見ず知らずの男たちに取り囲まれ、怖くなかったといえば嘘になる。今回はたまたま雪菜を捕らえた男たちが無能であったため事なきを得たが、もしそうでなかったらと考えると、肝が冷える思いだ。
(手の震えがばれないように、気をつけてたのに)
それなのに、そんな雪菜の心の奥まで見透かすとは……と思ったところで、はたと気づく。
(ああ、そうだった)
前世でも同じだった。たとえ冷徹そうに見えても、実は優しい男だったことを思い出した雪菜は、胸がぎゅっと苦しくなるのを感じた。そんな雪菜の胸の内など知らない時雨は、すっと頭を下げた。
「あなたを囮捜査に付き合わせたから、このような事態になってしまいました。あなたを巻き込んで、申し訳ありませんでした」
その声に、息が詰まる。
「違いますっ!あれはわたしも了承した上で参加したもので……、時雨様が気になさる必要はありません!」
「形はどうあれ、あなたを危険に晒した事実は変わりません。暁の隊士として、お詫びします」
そう言って頭を下げる時雨を見て、雪菜は手の平をぎゅっと握りしめた。
今回のことで気づいたことがある。自分の身に死の危険が迫ったとき、思い出すのはいつも浅葱のことだった。もう前世の男のことをいつまでも気にかけていないで、忘れてしまおう。何度もそう思ったはずなのに、自分の中では思った以上に、この男の存在は大きいようだった。
「……謝らないで、ください」
雪菜がそう言うと、時雨が頭を上げた。切れ長の瞳と目が合えば、いつだってどきりと音を立てる胸。恋焦がれて、ずっと愛しく思っていた男と同じ顔の男が、雪菜をじっと見つめ返していた。
「わたしがそうしたいと思ったから、協力すると承諾したんです。怖くなかったといえば嘘になりますけど、今回のことだって、みなさんがちゃんと助けに来てくれたじゃないですか。それに──」
と、そこで一旦言葉を切った雪菜は、ふと笑みを見せた。
「あなたが……時雨様が、わたしを守ってくれたじゃないですか」
その言葉に、時雨は目を見張っていた。だが、それも一瞬。すぐさまいつもの顔に戻り、時雨は小さくため息をついた。
「……あなたがそう言うなら、これ以上は何も言いませんが──」
時雨は歩みを止め、雪菜の目をじっと見据えた。
「私にとっては、あなたも守るべき対象です。今後、どんなことがあってもあなたを守りますから」
その言葉を聞いた瞬間、雪菜の胸は、またぎゅっと掴まれたように苦しくなった。
『今後、どんなことがあってもあなたを守りますから』
それは前世で雪菜の嫁入りが決まったとき、従者として側にいると告げた浅葱の誓いの言葉と同じ。
(ああ、やっぱりわたし、この人が好きなんだ)
自覚した瞬間、自分の気持ちがすとんと腑に落ちた。前世の記憶を忘れていると知って寂しく思ったのも、間者と疑われて腹が立ったのも、その原因を突き詰めていけば、この男が好きだという結論に辿り着く。
そんなことを考えていると、いつの間にか手の震えは止まり、口元には小さな笑みが浮かんでいた。
(前世では叶わなかった恋を、成就させてみせるわ)
心の中で新たな決意をした雪菜は、にっこりと笑って時雨を見た。対する時雨は、急に雪菜の態度が変わったことを不思議に思っているのか、眉間にしわを寄せて「……なんですか、急に」と言う。
「いいえ、なんでもありません」
そうやって笑う雪菜を、時雨は首を傾げて見つめていた。




