朝顔のため息
◇◇◇
「囮、捜査……?」
倒れてしまった千里を医務室へ運び、琥太郎から事情を聞いた雪菜は、「なんだ、そうだったんですか」と胸を撫で下ろした。
つい先日間者かと疑われ、時雨のことはもう気にしないと決めたばかりだったのに、ここのところよく出会う。しかも、今回は知り合いの隊士に迫っているような姿を目撃してしまい、無視することなど到底できるはずがなく、思わず声をかけてしまった次第である。
(実は今世では男色になったのかと思った……)
それはそれで複雑だと思っていたところだったので、疑惑が晴れてよかった。
琥太郎の説明によると先ほど時雨が千里に迫っていたように見えた光景は、きちんと演技ができるかの試験だったらしい。
あのあと、千里はすぐ目を覚ましたのだが、「もう一度」と時雨が近づき試してみると、やはり顔を真っ赤にして倒れてしまい、こうして医務室まで運ぶことになったのだ。その結果、残念ながら千里に囮捜査の相手役は難しいとの結論に至った。
(それにしても男同士とはいえ、二人が並ぶとすごく絵になってたわ……。女のわたしとしては複雑だけど……)
がくりと肩を落とした雪菜の頭の中には、そんな複雑な思いが生まれていた。小さくため息をついてあと、彼らの方に向き直ると、時雨と琥太郎は今後のことについて話し合っていた。
今度は千里の方を見ると、申し訳なさそうに横になっている姿が目に入る。そんな千里を見て、雪菜はふと笑いかけた。
「……あんまり落ち込むことないよ、千里君。人には得手不得手があるんだから。千里君には、千里君にしかできないことが、きっとあるはずよ。そこで挽回すれば大丈夫だって」
にっこりと笑う雪菜に、「ゆ、雪菜さん……!」と瞳をうるうるとさせる千里。捨てられた子犬のような眼差しに、雪菜は思わず手を伸ばし、その頭をよしよしと撫でてやる。
「それにしても千里君が難しいとなると、他に適任者はいるのかしら……」
と、雪菜が呟いたところで、ふと視線を感じた。その視線の出どころを追うと、こちらをじっと見つめる時雨と目が合う。
「あ」
こちらを見つめる時雨に、雪菜はただならぬ空気を感じ取り、「え……?」と一歩後ずさった。
「……いました、適任者」
時雨はそう呟くと、いきなり雪菜にずいっと近寄ってきた。そして「な、なんですか?」と、顔を引きつらせる雪菜に時雨が手を取り、一言。
「私と恋仲になってくれませんか?」
すぐ近くで聞こえた低音の声に、雪菜の胸はどきりと音を立てた。染まる頬。切れ長の瞳が、ただ雪菜だけをじっと見つめていて、握られている手にさらに力をこめられる。
だが、雪菜はすぐにはっとすると「って、それって囮捜査に協力しろってことですよね!」と、冷静なつっこみを入れた。
「ええ、もちろん」
真顔でそう返す時雨に、雪菜は顔を赤らめながら「ややこしい言い方しないでくださいよ!」と握られた手を振り解いた。
「あなたに剣術の心得があるのは調査済みですから。千里さんの素振り練習にも付き合っていたでしょう」
「素振り練習って……見てたんですか⁈」
「猫の餌やりに行こうと思ったときに、たまたま見かけて。なかなか姿勢がきれいでしたね」
「ですよね!すごいんですよ、雪菜さん!竹刀の振り方も教え方も、すごく上手だし」
「へぇ〜。俺は見たことないですけど、興味ありますね」
三人からの言葉に雪菜は複雑な表情をし、ひくひくと頬を引きつらせていた。
(こんなことで褒められたって全然嬉しくないわ……‼︎)
だが、そんな雪菜の心中とは裏腹に、またずいっと近づいてくる時雨。前世の想い人と、そっくりなその顔に、雪菜は「うっ……!」と声を詰まらせた。
「捜査に協力していただけないでしょうか」
切れ長の瞳が、じっと雪菜を見つめてそう言ってくる。その距離の近さに、また雪菜の頬が赤く染まった。
(囮捜査で恋仲の男女役って、こっちは前世のことを忘れようとしてるのに……)
と思いかけたところで、気づいた時雨の目の下にある隈。多忙な時雨は、やはりここのところ寝不足らしい。
「囮捜査っていわれても……」
頭の中で「時雨とは関わらない」と決めた自分の気持ちと、時雨の体を天秤にかける。関われば、どうしたって前世のことを意識してしまう。だからこそ、ここは思い切って断って、時雨との繋がりを絶った方がいいのではないか。副隊長と女中など、そうそう接点があるわけではない。いまその繋がりを絶っておけば、このまま浅葱の、前世のことは忘れて新たな道を歩むことができる。
(ここは、しっかりと自分の意見を伝えなくちゃ!)
と、思って雪菜は時雨に向き直った。けれど、またもや目に入った時雨の目の下の隈。
(もう関係ない……もう関係ない……)
唇をぎゅっと真一文字に結んで、しばし逡巡した。時雨との、浅葱との縁は断ち切るという決意がここで揺らいではないけないと、雪菜の頭は十分に理解していた。ところが、そのあと口から出てきた言葉は、決意とは真逆のものだった。
「〜〜〜っ!きちんと特別手当は支給してくださいよねっ!」
時雨から目を逸らして、投げやりにそう言った雪菜。やってしまった、と思っても全ては後の祭りである。
「ありがとうございます。助かります」
「俺からも感謝します、雪菜さん!では副隊長。早速、囮捜査の準備を進めていきましょうか」
「ええ、よろしくお願いします」
二人の会話を聞きつつ、ちらりと時雨の方を見た雪菜。
(……何してるんだろう、わたし)
関わらない、と決めたはずなのに、やはり前世の想い人に似ている時雨を放っておくことなどできなかった。
「雪菜さん」
今度は千里に名を呼ばれた。雪菜が千里を見ると、またもや申し訳なさそうに眉を八の字にした千里の姿があった。
「僕の代わりに……その、ありがとうございます」
先ほどまで雪菜の剣術を絶賛していた千里だが、自分の代わりに囮捜査に参加することになった件については悪いと思っているのだろう。そんな千里を見て、雪菜の頬がふと緩んだ。
(まあ、いっか。千里君の力にもなれるし……)
雪菜はまた千里の頭をくしゃくしゃと撫でると、「大丈夫!雪菜さんに任せなさい!」とにこりと笑う。
こうして雪菜は囮捜査の協力者として、時雨の恋人役を務めることになったのだった。




