12
研究所の内部は、数日前から何やらあわただしい雰囲気を漂わせていた。聞いた話によると、貴重な実験体が研究員の隙を突いて脱走したらしい。丁度システムの異常で、メインコンピューターの制御ができなくなっていた時だった。発信器を埋め込んでいたのだが、メインコンピューターがダウンしていたのでは、それを使って追跡することもできない。
とはいっても、それは研究所の中でも上層部に位置する、幹部クラスの所員にしか関わり合いのない話。その他大勢の下っ端所員には、何が起こっているのかすら聞かされていないのだ。だがそれでも、所内の空気がどこかふだんと違っていることくらいは、簡単に察知できる。
丁度その時も、不思議な緊張感を肌に感じながらも、皆は普段の勤務に励んでいた。
――前触れもなく突然、建物が大きく揺れた。
壁がきしみ、床が悲鳴を上げる。突発的な揺れは、数秒と立たないうちに収まったが、研究所の職員たちの心まではそうはいかない。興奮した人々は口々にしゃべりだし、静かだったホールは騒然となった。
そしてその騒ぎの真ん中を、一人の見慣れない服装をした男が一人、わき目も振らずに疾走していた。真っ黒のロングコートをその身にまとい、彼は広いホールをあっという間に駆け抜け、そして皆の視界から消えた。言わずもがな、まんまと侵入に成功した、コウキの姿であった。
コウキはエレベーターを使用せず、階段を三段飛ばしに駆けあがっていた。情報は、ナミの証言のみ。彼女が覚えていること、ただそれだけが頼りだ。
ナミが言うには、彼女が閉じ込められていた部屋は、八階の五号室であったそうだ。あっという間に八階までのぼりつめたコウキは、階段を出てすぐ正面、エレベーターホールの手前に位置する五号室の前に立ち止った。
ナミの言う事が正しければ、ここにこの研究所の施設のメインコンピューターが設置されているはず。意を決し、コウキは拳銃を右手に握りしめ、左手を力の限り振りかぶった。
鋼鉄製の義肢で殴りかかれば、たいていの扉などは、鍵がかかっていようがいまいが、簡単に吹き飛んでしまう。この扉とて、例外ではなかった。あっけなくその部屋の全貌をさらけ出した。
「……なんだ、これは……?」
部屋の内部に足を踏み入れたコウキは、思わずあっけにとられ、ただそうつぶやくだけで精いっぱいだった。
そう、そこにはメインコンピューターなんてものはなかった。薄暗い部屋の内部に、代わりに安置されていたのは、直径二メートルはあろうかというシリンダー。その内部は一様に緑色の水溶液で満たされ、なにやら人の形のようなモノが、どの筒の中にも浮かんでいた。
それは人のような形をしていて、それでいてヒトではなかった。どれもが悲惨な姿をしていた。
手足のないもの、内臓がないために腹がぼこんとへこんでいるもの、頭部がなくカエルのような顔をしているもの、逆に異様なまでに後頭部が膨れ上がっているもの。
だがそれはまだ、人の形をしているという点でいえばまだマシな方なのかもしれなかった。中には、もはや別の生き物にしか見えないような、そんなおぞましい遺体までもが、シリンダーの内部に溶液に浸かって浮かんでいたのである。
しかもそれらはすべて、小さな赤ん坊程度の体しか持ってはいなかった。きっと生まれると同時に殺され、標本にされたのだろう。
こみ上げる吐き気を抑え込み、コウキは部屋の奥へと足を進めた。
「やあ、よく来たね」
突然、背後から声がかかった。
反射的に振り返ると、中肉中背の何の変哲もないただの男が、白衣をまとってそこに立っていた。
「君のことは、良く知ってるよ、コウキ・クロサワ。貧困街出身の賞金稼ぎ。親とは幼いころに死別。以後、親代わりに育てられたルミナ・クロサワから、賞金稼ぎとして生きていくための術をたたきこまれ、今日に至る。その義眼も義手も、ルミナから与えられたものだ」
「どうしてお前が、そこまで俺のことを知っている……!?」
すらすらとコウキの生い立ちをしゃべる白衣の男を、コウキは歯を食いしばって睨みつけた。白衣の男は、そんなコウキの様子を見て、柔らかな笑みを浮かべた。
「そうそう、ボクが名乗らないのもおかしいよね。ボクの名前はアキラ・カスカベ。驚いているようだけど、こんなことを調べるのは、たいして問題じゃない。敵の情報を知っておくのは、重要なことだからね。だけど、ボクは無用な戦いは好まない主義なんだ。だから、単刀直入に言うよ」
「――断る」
「あら」
勝手にしゃべり続けるアキラに対して、コウキは何も言う前から、ぴしゃりと要求を跳ねのけた。
「まだ何も言ってないんだけどな」
「言わんでもいい、見当くらいつくさ。どっちにしろ、俺はお前みたいな男の頼みなんざ、聞きたくもない」
「――これはこれは、ひどく嫌われたもんだね」
この期に及んで笑いながら、アキラは頭をかいた。
「ボクの研究は、人類を救うためのものなのに。そのために、あの『純潔体』が必要なんだ。純潔体のクローンを生み出し、今の僕たちが持っているポンコツの遺伝子を全世界から駆逐する。そうすれば、何もかもが上手くいく」
そう言ってアキラは、周りに立つシリンダーを見回した。
「あれは、ボクが二十年以上かけて生み出した、傑作だよ。途中、何度も失敗したけどね。元の遺伝子を復元するための遺伝子操作は、予想以上に困難だったのさ」
「その失敗の過程が、この子たちか……?」
「ああ、そうさ」
少しも悪びれることなく、アキラは肯定する。
「偉大なる工程には、犠牲はつきものなのさ」
その時ようやく、なぜこの男が気に入らなかったのか、コウキは気付いた。この男、人の命というものを理解していないのだ。ただ大義名分を掲げ、それだけに固執する、狂気の塊なのだ。
それを確信し、コウキは再び訪ねた。
「あの子を、どうするつもりだ?」
「ああ、純潔体ね」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、アキラは自慢げに口にする。
「彼女は大切に扱うつもりさ。何せ、貴重な純潔体のオリジナルだからね。細胞の老化を防ぐために、冷凍睡眠にでも、掛けておくつもりさ」
まるで買ってきた肉が傷まないように冷凍保存しておくかのような、そんな何気ない言い方だった。
「狂ってる」
「そう思うかい?」
「ああ、少なくとも俺はそう思うさ」
「……、そうか、残念だね」
そう言って、さびしげな笑みを漏らしたのもつかのま、一瞬でアキラの姿が視界から消えた。
この感覚には、覚えがある。
とっさに後ろに飛びのき、構えた拳銃を撃った。
丁度、コウキがさっきまで立っていた場所、そこにアキラの拳が突き刺さっていた。もうもうと立つ土煙。そしてコウキの放った弾丸は、予想通りにアキラの体を傷つけることなく、床に落ちて散らばった。
「ふうん、いい動きだね。さすが、賞金稼ぎとして生きてきただけのことはある」
すっとコウキに向き直るアキラは、両手をはたきながら賞賛の言葉を述べた。
「あんただって、なかなかのもんじゃないか。デスクワークのくせにここまでの動きをされちゃ、賞金稼ぎの名が泣くぜ」
コウキも負けじと、皮肉で返す。
「それよりも、どうしてあんた一人しかいないんだ? ここには警備兵とか、いるはずだろう?」
「いいのさ。あんな集団を呼んだ日にゃ、ボクの研究の成果達が、みんな壊れてしまうだろ?」
それは言外に、おまえを倒すのに助けなどは必要ない、という意味を含んでいる。舐められたものだ、とコウキはそう感じた。
だが、手だてが何もないというのも事実ではある。あの動き、そしてマグナム弾の通じない体。おそらくあれは、トウマ・アラキ確保の際に戦ったサイボーグと同じ体なのだろう。しかも、性能はこちらの方がはるかにいいはず。
あの時は、特殊弾があったからどうとでもなった。ただし、今回はそれがない。相手の生死は問わないこの戦い、勝つためには危ない橋を渡る必要がある。
「なにをぼうっとしてるんだい?」
息つく間もなく、ただ愚直に突っ込んでくるアキラ。明らかに素人戦法ではあるが、それに莫大な戦力が備わっているから、逆にたちが悪い。戦闘時におけるセオリーが通じないのである。
体勢もまともじゃないままで殴りかかってくる体は、通常なら少し力を加えるだけで、簡単に吹き飛ばすことができる。だが、今のアキラに対して同じことをやっても、吹き飛ばされるのはこちらだろう。それほどまでの力とスピードが、彼にはあるのだ。
紙一重のところでかわし続けるコウキだが、それもいつまでも続かないことは、先の戦闘で証明済みだ。コウキは腹をくくった。
「何の真似だい? とうとうあきらめたとか、そんなことかな?」
アキラはコウキのとった行動を見て、勝利を確信したのかほくそ笑んだ。
コウキは無防備にも両手を下げて、ただその場に棒立ちになっていたのだ。そんな体勢では、アキラの突進をかわすことなどできずに、正面からぶつかってしまう。しかしコウキは、顔色一つ変えず、ただすっと、左手で手招きをした。
「――――っ!」
コウキの態度に腹を立てたのか、その瞬間アキラの姿は視界から消えた。
――この時を、待っていた!
コウキは両足を大きく広げ、左拳を斜め前へと突きだした。
金属製の拳と拳がぶつかりあう。
「があっ!」
叫び声を上げたのはコウキだった。肩を覆ってほぼ全身を義体に変えているアキラとは違い、コウキのそれは、せいぜいが肩甲骨あたりまで。激突の衝撃を受け止められるほど、コウキの体は丈夫ではない。
コウキの義肢は、ガードが吹き飛び、人工筋肉が裂け、油圧式オイルが飛び散った。
それでもコウキは、その場からびくともしなかった。
そして、同時に拳銃を持った右手を上げ、笑った。
「これで、チェックメイトだ」
放たれた弾丸は、寸分たがわずアキラの口内に飛び込み、延髄をぶちぬいた。