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03

 人型の魔物なのだろうか。

 わたしの乗る小舟の船べりを掴む手を見て、初めに思ったのはそれだった。

 次いで思ったのは、このまま船に乗り込んできて、わたしを食べるつもりなのだろうか、ということ。


「い、や……! し、死にたくない!」


 わたしは持っていた櫂でぺちぺちと手をたたく。けれども非力な令嬢がたたいたところで何になるというのか。むしろ櫂をつかまれてしまった。

 なんとか振りほどかないと、と立ち上がり――ぐらり、とバランスを崩した。

 わたしが乗っていたのは、人ひとり分のスペースくらいしかない、小さな船。急に立ち上がったら、転覆くらい、簡単にしてしまう。


「きゃ――」


 ざぶん! とわたしの体は海へと放りだされた。鞄だけは、と包み込むようにしっかり抱きしめるが、これでは泳げない。

 いや、もともと泳いだこともないのだから、必然的におぼれるしかない。

 唐突に投げ出されたので、ろくに息を吸う暇もなく、すぐに苦しくなる。けれど、暗い夜の海の中、まともに目も開けられず、どこに向かえば海面に出られるのか、それすらもわからない。

 ああ、もう死んでしまうのか。

 ――それはいやだ、死にたくない!

 ざわざわと頭の中をめぐる走馬燈。二人分の走馬燈が、わたしの頭を占める。

 そして、一つの活路を見つけた。


「がぼっ……」


 声も出ない中、わたしは必死に頭の中で詠唱をする。


 ――ヴァッサクア様、ヴァッサクア様

 ――我が生を共に、我が鼓動を共に

 ――ヴァッサクア様


 ふわ、と淡く光ったかと思うと、わたしの口元に小さな泡ができる。それはだんだんと広がっていき、わたしを包み込む球体となった。

 球体の中は、地上と何ら変わりなく、呼吸することができる。先ほどのは、水中で活動するための魔術文句。主に暗殺者、諜報者が習得するもので、公爵令嬢が覚えるような魔術ではないが、トゥーリカに何か一つでも勝りたいと必死になっていた時期に手を出したものだ。

 こうして命を救われたのだから人生何が役に立つのかわからない。


「っ、ぐ、げほっ! はー、死ぬかと」


 わたしは息を吸い込む。鼻に水が入ったようで、ツーンとして苦しいが、呼吸できるだけありがたい。

 呼吸も落ち着き、あたりを見回すが、魔物は見当たらない。先ほどの、人型と思われる魔物はどこにも――。


「――え」


 そして、ふと気が付く。

 真っ暗だったはずの海が、ほんのりと赤いことを。初めは、血かと思った。けれど、違う。

 今、わたしが入っている球体より、一回りほど大きな赤い円。


 ――これは、目か。


 気が付いた瞬間、死を覚悟した。今度こそ、逃げられようがない。これほどまで大きな目を持つ魔物。食べられたら、ひとたまりもない。

 わたしの意識は遠のきそうになるが、すんでのところで持ちこたえる。気絶しては駄目だ。気絶してしまえば、魔術は解除され、わたしは再び水の中へ。気絶した体でそんなことになれば、確実に死ぬ。

 恐怖でカチカチと歯が鳴る。

 魔物の全容は分からなかった。ただ、じっとこちらを見ているような気もするし、そうでない気もする。ぼんやりと赤く光るそれは、感情のないものに見えた。

 食べないのであれば、早々に逃げるべきだ。けれども、この魔術、呼吸はできるようになれど素早く動くことはできない。熟練の者はまた別だが、こんなところでも結果が出ないというフィオディーナの実力が足を引っ張る。

 この魔術を使っても、わたしができるのは水中で呼吸ができる空間ができるだけ。

 どう逃げたものか。

 そう、目の前の魔物の動向を探るべく、凝視していたからか。背後から迫るものに気が付かなかった。

 視界に、背後から伸びているであろう手が映ったとき、ようやく気が付く。無論、その時にはもう、遅いのだけれど。

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