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祖父の死  作者: 松明ノ音
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 式が終わった頃には、親類はみんな疲れていた。火葬場の都合で三十分後に出発ということ、一息吐いていた。

「通夜と葬儀は、忙しさで悲しみを忘れさせるためにある」

 祖父から借りた小説に、そんな台詞があったような気がする。思しだしてみようともしたが、あまり頭が働かず、諦めた。

 喫煙所に向かう。葬儀場でも喫煙者は追いやられ、寒空の下だ。空は、葬儀に相応しいような曇天だった。

 喫煙所にいたのは、二十人ほどだった。その中に、楓兄さんと洪太がいた。従兄弟たちの喪服を見るのも、初めてだ。

 俺が近づくと、楓兄さんは会釈するように首を少し下げ、洪太は手を軽くひらひらと振った。

 楓兄さんは俺の二つ上、洪太は一つ下で、年が近かったから、子どもの頃からずっと遊び相手だった。俺が祖父の書斎に呼びに行くのは、洪太だった。

「お疲れ様」

「お疲れさん」

「お疲れー」

 お互いに、挨拶のように労い合う。

 時の流れは残酷で、あんなにもかわいかった洪太がやさぐれた顔で、煙草を吸っていた。

「菜々子姉さんは?」

 食事と寝る時間以外は煙草を吸っているんじゃないか、と思うほど喫煙所にいる菜々子姉さんがいなかった。

「……じいさんが入院した時に、止めたよ」

 弟である楓兄さんが答えた。絶対に止めない人だと思っていたので、意外に思った。

「じいさんが初めて、孫にお願いをしてな」

 そういえば祖父は、孫娘が煙草を吸うのには、珍しく悲しい顔をしていた。それが珍しかったからか、孫の中で煙草を吸い続けた女性は、菜々子姉さんだけだった。

「まぁ、上手い手だよね。普段は怒りも悲しい顔も見せない人間が、ここぞって時にお願いするのは」

 あぁ洪太、こんなにやさぐれてしまって……。

「葬儀だ。あんまり、そんなこと言うなよ」

「ま、自分も色々やってきた人間だから、怒れないってとこもあったんだろうけどねー」

 止める楓兄さんを無視して、洪太は続ける。

「すみません」

 後ろから声をかけられ、少し驚く。見ると僕たちより一回り上の年頃の青年が、煙草を片手に立っていた。何となく、楓兄さんに似ていると思った。

「ご遺族の方でしょうか」

 青年は、続ける。

「そうですが――、どなたでしょうか」

 薄々と勘付いてはいたが、何と言うべきか頭が回らず聞いていた。

「私も一応、遺族ということになるのでしょうか。孫です」

 彼は、俺たちが正式に結婚したおばあちゃんの孫であるのか、という質問をしているのだということや、自分が戸籍上では孫に当たらないが、血縁上の孫であることを、説明しづらそうに説明した。

 説明に苦労するのも当たり前だ。こんな説明をする経験など、そう無いのだから。悟っていた俺たちは、伝わるか心配する彼に対し「えぇ」「いえ」「わかります」と言いづらくも伝えた。

「どんな方だったのかを、聞いてみたかったんです」

 そう言う彼に、答えたのは洪太だった。

「私たちにとっては、最高の祖父でした」

 彼ははにかんだように、そうですか、と答えた。まぁ、そう言うしかないだろう。はにかんだ表情は、隆一叔父さんに似ているように思えた。

 それから、盆や正月にはどうして過ごしたのか、子どもの頃からどうやって僕たち孫と付き合っていたのか、祖父の昔の酒の失敗談や、訪ねてきたお客さんや友人の関係を、三人で話した。

 何故だか誰も、祖父の書斎での話はしなかった。

「ありがとうございます。実は、孫の方からこういう話を聞いてみたくて、今日は来たんです」

 彼はまた、はにかんだ表情を見せる。剛毅な隆一叔父さんとは違うが、やっぱり、どこか似ていると思った。

「逆に、あなたのおばあ様からは、どういう風に聞いていますか?」

 聞きづらいことを、楓兄さんは訊いた。

「イイ男だったと、聞いています。私たちに、祖父として接させてあげられないことは、残念だと」

 彼の表情は、微笑だった。

 俺たちが謝ることではないと思ったが、つい、申し訳ありませんと言ってしまいそうだ。しかし、彼もそれを望んではいないだろうと思い、結局三人して、黙った。

「教えていただいて、ありがとうございました」

 タイミングだと思ったのか、彼は頭を下げて、灰皿で煙草の火を消した。

 背を向ける彼に、思わず声をかけていた。

「祖父の口癖は――!」

 思ったよりも大きな声になってしまい、恥ずかしくなった。彼も、驚いたような顔で振り向いていた。

「はい」

「今を楽しめ、でした」

 彼は少し、考えるような仕草をした。

「それは――、どんな時に言っていたんですか?」

「どんな時も、です」

 これは、楓兄さんが言った。

「悲しい時も、辛い時も、何でもない時も、その時のお前にしか楽しめないことがある」

 続けたのは、洪太だった。洪太はさらに、いつもそう言っていましたと、加えた。

 彼は黙って、頷いた。もう一度正面から丁寧に頭を下げ、今度こそ背を向けて去っていった。

 沈黙の中、一つ、強く風が吹いた。祖父が、頷いているようだった。

 俺たち三人と、やり取りを見ていた喫煙所にいた人たちが残される。気まずくて三人でそそくさと、火葬場行のバスへと移動した。強い視線をいくつか感じたのは、他にも『彼』がいたからかもしれない。

 俺たちが、彼に喋ってしまったのは、どんな感情だったのだろうか。彼への申し訳なさか、引け目か、憐みか。ひょっとしたら、大好きな祖父を自慢したかっただけなのかもしれない。

 言わないよりも言ってしまった方が、後から気分が悪くならないと思ったのだろう。

 バスには、すでに親類一同が乗っていて、遅いぞ、と父に言われた。


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