四十話 友達
多くの人が行き交う街中で、浮かべた涙を時たま袖で拭っては、がむしゃらに走り続けるナオミの姿があった。ただ感情に任せるように、ただ何かから逃げるように、街行く人達の肩にぶつかりながらもナオミはその足を止めなかった。
急に肩をぶつけられた街の住民が舌打ちをしながら振り返ると、後方からは三人の叫び声が聞こえてくる。
「ナオミさん! 待ってください!」
「ナオミ殿ー!」
「ナオミお姉ちゃ~ん!」
三人の呼び止める声も無視し、ナオミはさらに足を速めて走っていく。そして街中を通り過ぎ、大きな時計台がある公園へと足を踏み入れる。
「こうなったら!」
後方から追いかけるミラは目力を強くすると、握った拳から人差し指と中指を上へと伸ばし、胸の前へと構えて言い放つ。
「『影渡り』」
そう呟いた瞬間、ミラの体は地面へと吸い込まれて消えていった。そして、ナオミの足が向かう時計台の陰から、ミラの姿が地面からせり上がるようにしては現れた。
影を渡ってナオミの前へと現れたミラは、ナオミの進行を止めるように両手を左右へと広げる。
「ナオミさん! 止まってください!」
急に前方から聞こえてきたミラの声に、その姿を視界に映したナオミは徐々にスピードを緩め、その足をピタリと止めた。俯いては小さく、不愛想に地面へと声を零す。
「なんで……追いかけてくるのよ……」
ミラは静かに前へと足を踏み出し、ナオミの目の前まで位置すると、凛とした面持ちでその口を開く。
「あのままお別れだなんて、そんなの私には出来ません」
ミラのその言葉に、涙を浮かべるナオミはキッと顔を上げると、やるせない怒りで声を荒げる。
「足手まといの私なんてっ――! ほっとけばいいでしょ! 付いて行ったって、何にも出来ない事くらい自分でよく分かってるわよ!」
マインとルルもその場へと辿り着き、ヒステリックに叫ぶナオミの言葉に、ミラは表情を変えずに静かに口を開く。
「それが、ナオミさんの”気持ち”ですね」
押し黙るナオミに、ミラは更に言葉を繋げる。
「本当は付いて行きたい……そうですよね?」
その言葉にナオミは顔を背け、小さく言葉を零す。
「なんで……そう思うのよ」
「”付いて行ったって”って言いました。それに……私には、なんとなく分かるんです」
表に出る表情とは違い、普段は心の中にあるがゆえに、裏へと隠れる見えない感情。ミラは表裏一体の超感覚によって、敏感に感じ取っていたのだった。
「ナオミさんはきっと、言いたくても言えないことがあるんじゃないかって思うんです」
「は? あんたに……一体なにが分かるってわけ!? もうほっといてよ!」
ミラを振り切り、その横を通り過ぎようとするナオミ。しかし、ミラも負けじとナオミの前に立ち塞がる。
「ナオミさん、逃げないでください! 私からも、自分の気持ちからも!」
「別に逃げてない! 私達はもうお別れなの! また、元に戻るだけよ!」
ナオミのその言葉に、ミラは涙を流して唇を震わせ、心から声を絞り上げる。
「そんな悲しい事、言わないでください……! 私と、いいえ私達とナオミさんは関わりを持ちました。例えその期間が短くとも、一緒に過ごした時間までは元に戻りません。ナオミさんという存在を、無かったことにはしたくないんです!」
「じゃあ、どうすればいいのよっ!? 私だって、あんた達と一緒にいて、すっごく楽しかったわよ! でも……しょうがないじゃないっ――! 私とあんた達は、住む世界が違うんだからっ!」
ナオミは声を荒げると、涙を流すその顔を、両手で隠すように塞ぎ込んだ。声にならない声で嗚咽を漏らし、限界を超えて解けた感情は、涙という結晶になって地面へと滴り落ちていた。
ミラはそっとナオミに近寄ると、両腕で優しく包み込むように抱きしめ、その頬には静かに涙を伝わせた。
「やっぱりナオミさんは、優しい人です。大丈夫ですよ、こうしてお互いに触れ合うことが出来るのですから」
「違うの……、そうじゃないのっ……。私は、この世界の人間じゃないのよ……」
腕の中で震えるナオミがそう言うと、ミラは優しい微笑みを浮かべた。
「知ってましたよ。私には分からない言葉をたまに聞いてましたから。ナオミさんは、別の世界からやって来たんですね」
「……うん。一年前に、突然……ね。こことは全然違う、平和なところだった……」
「ずっと、我慢してきたんですよね。孤独で、辛くて、寂しくて……それでもこの世界は、残酷で……。私にはナオミさんの苦しみの全ては分かりません、だけど……一緒に分かち合うことは出来ます。もう……一人で我慢しなくてもいいんですよ」
ミラはそっと腕を解くと、ナオミと向き合い笑顔を放った。そして、静かに右手を前へと差し出す。
「ナオミさんの望むことでは無かったとしても、こうして私はナオミさんと、世界を越えて出会えたことが嬉しいです。……私と、友達になってください」
ただ純粋に、偽りのない無垢な笑顔でそう言い放つミラの言葉。ナオミにとって当たり前のように、馴染みの深い”友達”というフレーズ。だが、異世界に来てしまった今のナオミにとっては、心に響き渡る懐かしい言葉だった。
家族もいない、友達もいない、元より知っている人など誰もいない世界。自分を認めて対等に向き合ってくれるミラと出会い、ナオミの固く閉ざされたその心に、明るい光が差し込んだのだった。
「向こうの世界では普通なことだったのに……こんなに嬉しい事だったなんて、初めて気付かされた。私……凄くめんどくさい女だからね?」
涙を浮かべながらも照れ笑いするナオミは、差し出すミラの手を握り返し、それを答えとしたのだった。
その光景を静かに見守っていたマインとルルも駆け寄っては、ミラとナオミが握手を交わす上に手を重ね、涙ぐむ瞳で口を揃える。
「私も、友達だ……」
「ルルも、友達だよ……」
その瞬間にナオミは左腕で目元を隠し、頬を伝う大粒の涙を流しては、言葉を詰まらせながらも必死に口を開き出した。
「私……本当は、みんなと一緒にいたい。だけど、この先が凄く怖いのっ……。私は弱いから、すぐ逃げだそうとするから、もしかしたら死ぬかもって思ったら、怖くて怖くてたまらないの……。それに、私がこの先も付いて行ったら絶対邪魔にしかならないって思っちゃって……、私のせいで誰かが命を落とすようになったらって考えたら、それが一番怖いの。だから街で待つって言ったんだけど……もし迎えにこなかったら、戻ってこなかったらって考えたら……グチャグチャになってうまく言えなかった……本当にごめんなさい」
ナオミが心に秘めていた言葉を口にすると、ミラは瞳を閉じて静かに口を開く。
「私達も同じですよ。獣人と人間、例え姿形は違っても、きっと心は同じなんです。勇気を出して話してくれて……ありがとうございます」
寄り添い合い、静かに涙を流す四人を、穏やかに流れる風が優しく包み込んでいった。
すると、その場にジークの声が小さく響いた。
「ナオミ……」
四人のすぐ側の地面に立っては、ナオミを見上げる目玉の姿のジーク。
呼びかけられたナオミは、まだ涙を浮かべ真っ赤に腫らした目と、泣きじゃくった顔を見られまいと、ジークを一瞬視界に映しては顔を背けた。
「なによ……見ないでよ」
ジークはいつもの腕を組む大きな態度とは違い、腕を下げては自然体で、ただただナオミを静かに見上げている。
「ナオミ……すまなかった」
顔を背けたまま押し黙るナオミに、ジークは更に続ける。
「悪いとは思ったが、お前の気持ちはさっき聞いてしまった。俺も……きちんと伝えたいんだ」
ジークはそう言い放つと、人間の姿を解放した。
「え!? なに!? 誰?」
ナオミは振り返ると、突然現れた人間の男の姿を目にするなり、驚きの表情を隠せずにいた。
「本来の姿は目玉だが、これは俺のもう一つの一面だ。今までお前には隠していたが、ちゃんと向き合う為にも隠すのはやめる」
「あんた、人間……なの?」
「元……な」
ナオミはミラ達から手を離し、ジークと真正面で向かい合うと、きちんと話し合いをする覚悟を決めたようだった。
「私、ミラ達と友達になったの。この世界で、やっと自分の居場所が見つかった。もう逃げない、私はこの子達と一緒にいたい。どうすればいいのか教えて」
「そうか……友達……か。俺はここにいる仲間達を死なせるわけにはいかないんだ、それと、お前もだ。それは分かってほしい。反りが合わないこともあったが、だからと言って嫌いなわけじゃない。むしろお前とミラ達が楽しそうに話すのを微笑ましくも感じる。この先は俺にとっても不安だ……だからここで別れた方が、俺達にとってもお前にとっても最善だと思ったんだが……どうやら間違いだったようだ。お前を傷つけるつもりはなかったが……俺の言い方が悪かったせいで、お前とミラ達を傷つけてしまった……」
ジークは目を閉じて少し沈黙すると、ゆっくりとその目を開けて再び口を開く。
「付いて来るならば、お前も含めて全力で守ろう。怖いと言うならば、本物の居場所を提供することも出来る」
「本物の居場所?」
「そうだ。俺達は旅をしているが、本来はある村に住んでいる。今では独立国となり、そこならば安全性も高く、俺達との繋がりも維持されるだろう。そこにお前も移り住めばいい。そうすればこの先、一緒にいられるだろ?」
ナオミは目を丸くしては身を乗り出す。
「え? いいの?」
「構わない。俺の国じゃないが、そのくらいは出来る権限は持っている」
「マジで!? じゃあさ、この次の神之欠片のとこは一緒に行く! 私じゃ無理だと思ったら、帰ってきたらその国に連れてってよ!」
「あぁ、それでも構わない」
「ちゃんと守ってよ?」
「分かってる」
ナオミは明るい笑顔でミラ達へと振り返ると、四人で顔を見合わせては抱き合い、喜びを分かち合っている。
その光景に安堵の息を漏らし、軽く微笑むジークだったが、ふと何かを思いついたのかナオミへと声をかけた。
「そうだナオミ、一つ約束してくれ」
「ん? なに?」
泣きじゃくっていた先ほどまでとは打って変わり、無邪気な笑顔をジークへと向けるナオミ。
ジークは真剣な面持ちでナオミを見つめると、一つ呟くように静かに口を開く。
「無茶だけはするな、遠慮せず俺を頼れ」
何気なく放つジークの言葉を耳にしたナオミは、顔を赤くしては硬直していた。
「やった~! ナオミお姉ちゃんと一緒だ!」
「これからもよろしく頼むぞナオミ殿」
ルルとマインに声をかけられて正気に戻ったナオミは、再び三人でワイワイし始めた。
ミラは静かにその場から抜け出すと、ジークの隣に位置しては両手を後ろ手で組み、その光景を二人で微笑ましく見つめ出した。
「ジークさん、ありがとうございます」
「いいや、礼を言うのは俺の方だ。俺は、考え方が偏り過ぎていた」
「えへへ」
ミラは照れたようにはにかむと、ジークの前へと踏み出しては振り返り、明るい笑顔を向けた。
「私達のことも、ナオミさんのことも気遣ってくれて嬉しいです! ジークさん、少し変わりましたね! カッコイイです!」
ミラはそれだけ言い放つと、ナオミとマインとルルの元へと駆け出し、その輪に混ざっては楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「カッコイイ……か」
きょとんとしていたジークは一つ微笑みの息を漏らすと、腕を組み、明るい笑顔を振り撒く四人の姿を、ただ微笑ましく見つめるのだった。




