後編
4人からの冷笑を真っ向から受け止め、姫のやっとあらわした優越感たっぷりの蔑んだような眼差しに紫月はにやりと笑みを浮かべた。
「何かといえば文句ばかり、うるさい奴らだな。もうすべての綻びは俺が直しておいたから、お前らが行く必要などない。姫と別れなくても済むのだから、俺に感謝しろよ」
聖女の格好をした紫月から、思いもよらぬ声とセリフが飛び出して5人は驚いた。
当然ながら、何も知らない者たちも。ざわめき始める周囲に紫月はしてやったりと、自分にできる限りの嫌味な笑みを浮かべる。
「初めまして、王子様たち。残念ながら俺は聖女ではありません、何しろ男ですからね。王様曰く俺は救世主でした」
すっと紫月の着ていた服が変わり、この国の男性が着る衣装へと早変わりをした。それに伴い長かった髪が短くなり、さらには女性にしては低い声が特徴的に聞こえるようにした。
「君たちを待っていたら、出発するのが何日かかるかわからなかったので、俺一人で各地を勝手に回らせてもらいました」
「お前、勝手に」
最初に反応したのは王子だった。自分が他人を蔑蔑ろにするのはいいが、自分が他人にいいように扱われるのはお気に召さなかったらしい。
「現に、この地に召喚されてから今日で9日目です。これだけの時間、俺が何もせずにしている理由ってないですよね」
「だが……」
さらりと紫月が返答するので、王子は二の句が継げない。
「王様には許可をもらいましたよ」
「陛下に? お前は勝手に……」
「でなけれ、まだ綻んだままだったよね」
首をすくめる紫月。
ぐうの音も出ぬ王子はとっさに玉座に座る国王へと視線を上げる。その瞳には勝手に許可をした父親への非難が入っており、国王は現状の彼らの行動が自分たちの責任もあるのだとやっと気づけた。
なにしろ王子の瞳には激情があり、国王という頂点に立つ陛下に向ける視線ではない。私情を挟まず王と臣下として接しなくてはいけなかった。子への愛情をはき違えていた気持ちを切り替え、冷静な対応と声を出すように努める。
「仕方がないであろう、救世主殿が一人でも出来ると進言してきたのだ。なにしろ王命であるはずの護衛騎士のお前たちが引き延ばすから、民のために私が許可を出したのだ。現状、すべてが滞りなく済ますことができたのだが、何か都合が悪かったとお前たちは私に言うのか?」
さらりと嫌味を告げる国王に、紫月はふっと笑う。
煮え湯をずっと飲まされていたのは紫月よりも王たち城の者だから。だから誰一人として紫月が一人でそれを執り行ったことに異議を唱える者はいない。むしろたった一人で、しかも最短で救世主として成し遂げたことを感謝している。
陛下の態度に改めて自分たちの行動を考え直し始める4人の顔色は悪い。けれどもう遅いことを自覚しておいたほうが、これからのことに耐えられないかもしれない。
「救世主様」
すっと前に出てきたのは男爵令嬢の姫だ。瞳を潤ませながら見上げてくる姿は、確かに庇護欲をそそられるかもしれない。
そんな姫の姿に、他の4人が紫月を見て違和感を抱き始めていた。先ほどの陛下の言葉が彼らの何かを目覚めさせてくれたのかもしれない。
「何かな?」
「私、貴方になんてことを」
絆されると思っているから、あざといその上目づかいを使っているのだろう。だが紫月はそんな彼女の気持ちを汲み取り、にっこりと微笑んだ。
「別に大丈夫。どっちかっていうと一人のほうが楽だったしね」
「ですが……」
じっと見つめあったまま動かぬ二人。
先に視線を外したのは紫月で、だがすぐに笑顔を作り向き直る。その顔を見て口元をゆがませて自分の勝利を確信する姫の姿があった。
しかし。
「ごめんね、俺に君の魅了の力は効かないんだ。だって俺の力のほうが強いからね」
びくっと体を震わせたのは姫のほうだ。目を見開き、紫月を怯えるように見つめている。
「まさか気づいて」
「気づかないわけないでしょ。君が本当に使いたかったのは王様でしょう? なのにその力を使おうとすればするほど逃げられてしまった。だから作戦を変えて王子に近づき、耐性のない彼を籠絡した」
先ほどまで感じさせていた愛らしい姿とは違い、憎しみの瞳を持って紫月を睨む姫だったが、このままではやばいと気づき一歩後ろへと下がろうとする。けれど姫の足は動くことができず、驚き紫月を見上げる。
「王子だけでなく他の3人も同じように籠絡させた。それぞれの父親たちは国に重鎮を置く立派な人間だ、本来なら彼らを籠絡させたがったが無理だった。だから息子である彼らは狙われた。末は宰相や国の重役であることは違いない彼らと、騎士として名高い彼を虜にし、自分の世界を作ろうとした。だけど残念だったね、彼ら4人だけでは無理だよ」
「どういう意味ですか」
「簡単だよ。王様の目は腐っていない、だから彼ら4人を籠絡しても意味がないってこと」
「貴方だって」
「君の力は危険だから、勝手だけど封印させてもらうね。そうそう、王の血筋に今後誰であろうと魅了の力が効かないようにオプションとしてつけておいた」
なんてことないような言い方をしたからか、彼女は理解するのに少しだけ時間がかかった。
「そんなこと、あなたにできるはずない」
「普通の人間ならね。でも残念ながら俺はできるの、救世主様だからね」
にっこりと微笑んでみる。それだけで彼女が不安に揺らぐのがわかった。できるはずはない、できるわけがないと思いながらも、異世界の人間ならできるかもしれないと。
「だからね、君が大切に育てていた4人を、俺は元に戻させてもらった」
「え、まさか」
振り返った姫が見たのは、4人のびっくり眼。それだけで姫は自分の効力が消えたことを理解する。
悔しそうに彼らを見つめれば、彼らは恐怖におびえて視線を外す。もう一度魅了の力を使おうと試みるが、結果は惨敗だった。彼らは二度と、姫に視線を向けようとしなかった。
出来るはずのないことを簡単にやってみせる紫月に、姫はやっと恐怖の念を抱くようになる。とんでもない相手に喧嘩を売ってしまったと理解したものの、時すでに遅し。
「私はいったい」
王子は自分の手を見ながら落胆する。今までどんな重圧にも耐え、父のような立派な国王になることを夢見ていたのに、忘れたくても忘れられない今までの出来事のせいですべてをふいにしてしまったことを思い知る。
「私はなんてことをしていたのでしょう」
腹黒メガネが頭を両手で抱えて震えている。彼も宰相である父の背中を見つめ、親友とも呼べる王子の支えとなれるように幼き頃から努力をしていた。のにもかかわらず、王子を諌めることもできず一緒に落ちてしまった。
「僕は、僕は君のことを」
犬系の彼は青白い顔をしながらとある女性を目にして固まっている。幼いころからずっと一途にその女性だけを思っていたのに、姫のせいとはいえ蔑ろに、あまつさえ彼女を誹謗中傷する言葉を口にしていた。
しかも、彼が見詰めた瞬間に女性が怯えるように柱に隠れてしまったことにも地味に傷ついてしまった。そこまで追い詰めてしまったのだと。
「なんて言うことだ、私はいったい何をしていたのだ」
己の言動や行動を思い出し、騎士の彼はその場に膝をつく。規律厳しい騎士として、己を律して生きていたはずの彼は今までの自分の言動と行動に打ちのめされてしまう。誇りもすべて穢されてしまった。
そんな4人を見つめながら、紫月はいまさらだよねと小さく呟く。その言葉を拾った彼らは、救いを求めるように紫月を見上げた。
「もうね、君たちは詰んでいるからどうすることもできないよ。折角さっき俺が封印を解除してあげたのに、スルーしちゃうのがいけないね」
一応最後の慈悲だったんだけど、と口にする紫月の言葉は、先ほど感じた違和感だったと気づく。おかしいと思いながらも、流れにそのまま身を任せてしまった。楽な道に進んでいた彼らにとって、小さな機微など些細なことだと無視をしてしまった。
「王子様はかわいそうだけど、王位継承権の剥奪。君の妹が女王になれるように進めておいたよ」
誰に、とは各地に飛び回った時に出会った民たちにだ。
優秀な兄のせいで陰に埋もれてしまい、自分にまったく自信のなかった妹。しかし紫月と会った時に違和感を感じさせるほど自分を卑下しすぎていた妹は、驚いたことに兄と同じように優秀であったのだ。
その自信をすべて根こそぎ奪っていったのは兄である王子と婚約者である彼と、元凶である男爵令嬢の3人だ。便乗して腹黒メガネと騎士もさり気なく傷つけていたのには呆れてしまった。
「もしも彼女がただの天然で、無意識で力を使っていたのであれば王子の継承権を剥奪するまでのことはないかなとも思ったんだけど、自滅してしまったのだから仕方ないよね。いくら何でも俺を召喚してから旅立ちまでが9日後っていうのは、さすがに遅いんだから気づいてもいいと思うんだけど。もうそれさえ理解できないほど彼女の力に侵されていたのなら、もうどうしようもないしね。俺がぱぱっと解除するのは簡単なことだけれど、やっぱりここは自分の意志の力で気付いてほしかったなあ」
まあ女性に騙されていたい気持ちは、わからなくはないのだけれどね。
元の世界にいる大好きな彼女、現在片思い中の相手を思い出しうんうんと一人で頷く。
「待ってください、姫君」
犬系の彼がずっと機会を窺っていた女性へと体を動かそうとすれば、それに気付いた彼女が逃げ出すために背中を向けたものの、縋るような懇願めいた声で引き留まる。
「逃げないでください、お願いします。僕は君になんてひどいことを」
王子の妹である、正真正銘のお姫様。
顔立ちは整っているのだが、髪形や服装でやや地味な印象を受ける彼女は、唇を噛みしめて背中を向けたまま振り向く勇気を持てない。
かつて甘い言葉をくれた彼の口から徐々に飛び出してきた暴言は、たとえ彼の本心ではなくても、彼女の心を傷つけるだけ傷つけ、その自信と誇りを失わせた。会話を交わすどころか、同じ部屋にいて顔を合わせることさえ恐怖を覚え、その存在自体に怯えるようになってしまった。
大好きな彼だったからこそ、心の奥底まで言葉のナイフは突き刺さり恐怖の対象と化した。
「……もう終わったことです。だから気にしないでください、私は平気です」
ずっと好きで、変わってしまってからの彼の姿を見るのが辛かった。
ひどい暴言を吐いてきても、彼の意志ではないと思って耐え抜いてきた。
それが紫月のおかげで正常に戻ったのだと気づいても、根本から傷つけられてしまったことで彼を受け入れることができないことに、彼女は気づいてしまったのだ。
昔のように向ける眼差しを感じることが素直に嬉しいと思えるのに、もう気持ちに整理がついてしまったのか彼をかつての恋人だったと、今はすでに他人なのだと思えた。
「私は貴方をお慕いしておりました。ですが今はもう、貴方のことを愛しているのかさえ、わかりません」
震えながらもそう伝えた彼女はしっかりと彼と視線を合わせる。ぎこちないながらも笑顔を作った、決別するために。
感情が吐露してしまっている痛々しい笑みに、彼は過去の自分を責める。自分の腕の中で幸せそうに笑ってくれた彼女がもうどこにもいないのだと痛感して。
けれど簡単にそれを認めることはできない。今のこの感情はかつての情愛を忘れてはいない、今や彼女の瞳から失われてしまった熱情がなくても、愛おしいと感じるのだから。
「取り戻してみせるよ、これから」
「お好きになさいませ。できるものなら、ですが」
並々ならぬ努力が必要だが、きっと彼ならやり遂げれるような気がしてしまうのは、彼を知っているからだろうか。けれど、それをやるほどの価値が自分にあるのか彼女にはわからなかった。
じっと見つめてくるその視線には、最近まであった辛辣でいて冷たい瞳ではない。それをわかっていても、もう一度そちらに視線を向けることが彼女にはできない。どのような思いがこもっていても受け止められないから。
けれどこうも思うのだ。できるものならばやってみればいい、今の私には彼のその言葉は睦言ではなく体を脅かす毒のように聞こえ、傍によれば震えるほど恐怖の対象なのだから。
「おやおや、何を言っているのやら。そう簡単に彼女は渡せないけど?」
二人だけのやり取りに、紫月がわざとらしく介入する。
心配をして話しかけてくれた彼女は、彼からの言葉を諦めの色をした瞳で聞いていた。きっと魅了の力で彼が侵され続けていても、忘れることもできず甘受しており、それでいて視線の先には彼がいた。
それに気付いていたからこそ、元の感情を取り戻して彼女を思っていることを伝えている彼のやり方が気に入らない。もちろん彼だけが悪くないことも知っているし理解もできるけれど、彼女の心理を思いやれば邪魔をしてやりたくなる。
あれほどのことをしたのだから、簡単に絆されてほしくない。
最終的に彼女は彼を許してしまうだろう。今でさえゆらゆらと揺れる天秤のように感情がぶれている。けれどもそれで簡単に許しては元も子もない。彼女が受けた傷をしっかりと返済を終えるまでは、彼には待てを覚えさせたい。
それをやるためには、悪い男が必要だ。紫月は極悪人が浮かべる笑みを浮かべる。
するりと彼女の体を抱き寄せて、愛おしそうに紫月は右の頬を撫でる。びくりと体を震わせ、彼女の頬が熟れたリンゴのように赤く染まる。彼以外の男性に抱きしめられ、見つめられることなかったから体が嫌でも反応してしまう。
「君が俺を倒すまでは、彼女は誰にも渡さない。それだけのことを君は、君たちはしたのだから簡単に許されるとは思わないことだね」
魅了の力とはいえ、臣下たちの信頼を落とす行為をし続けたのは彼らだ。
折角最後の最後に手助けをしてあげたのに、気づくこともせず騙され続けたのだから。
せめて少しでもおかしいと感じさせてくれれば、皆の怒りも和らいだかもしれないが、もう関係のないことだろう。
「頑張ってくださいませ……その、私を取り戻すために」
紫月からの抱擁のせいで体の力が抜けてしまい全身で支えられてしまう彼女だったが、必死の形相で虚勢をはる。紫月からの激励だと感じているからこそ、自分を叱咤して繕おうとした。
だがしかし彼はそこを見てはいなかった。自分ではない誰かのせいで表情を変えたことに嫉妬を覚えた犬系の彼は、怒りを押し隠して頷く。
「必ず君を取り戻してみせる」
這うような声に驚いたのは、彼女だけでなく紫月もだった。
周囲で紫月たちに注意を払っていた者たちも息をのむ。
面白い。そう思いながら他の3人を見れば、それぞれの思いで立ち直ろうと足掻いているのがわかった。
もうこれ以上の干渉は必要ないだろうと見切りをつけ、紫月はそっと妹を隣にいた彼女へと引き渡す。よろよろになりながらも自分の足で立った彼女に微笑み、頭を撫でてしまう。
「とりあえず、俺はあっちに戻るから。でもどうなったかすぐ見に来るつもりだからな、お前らはしっかり励むんだぞ」
そういうと、紫月はささっと元の世界へと戻った。同時に消えた者もいるが、誰も気づいていなかった。
消えた紫月に魔術師たちが驚いていたから。彼らは何もしていなかったとわかる表情に、周囲の者もさざ波のように広がっていく。
「本当に何でもできるのだな、救世主殿は」
深いため息をついて、国王だけが理由を理解でき呟いた。だが事実を知っているからといっても現実として突きつけられてしまえば、他のものと同じように驚くのも仕方ないだろう。
最初の光の球体で、国王にだけ紫月は真実を話しておいた。話を聞かれないようにと魔法を使われたことに国王は最初に驚いた。対外召喚した異世界人は驚きを隠せずにあたふたとするだけだと記述されていたから。そんな驚く国王を無視して、紫月は要件を手短に話し出す。
まず第一に紫月が話したのは、自分は聖女ではなく男であること。
この格好は偶然の産物ではあったが、彼らを騙すにはちょうど良かったこと。
それらを聞き、国王はこの召喚の儀が間違っていなかったのだと確信を得た。
だからこそ、王命であるはずの護衛騎士として選ばれていた王子たち4人が愚図愚図と色々な理由をつけて出発を先延ばしにしている間に、聖女としてではなく救世主として国を救いに出ていったこと。
そのすべてを国王はやっと他の者に伝えられた。
そうだったのかと安堵を浮かべる臣下たちとは対照に、何もできずにいたことがしっかりと浮き彫りとなり4人は項垂れるしかなかった。
もう後の祭りだと理解しながらも、このままでは終わらせてはいけないと、どん底から浮上し奮起するのであった。
元の世界に戻ってきた紫月は、あの時と同じ時間が流れ始める。
「本当に紫月は女装が似合うよな」
同級生のからかう口調を気にも留めず、紫月は決して近づいて来ない彼女に視線を向ける。
淡く笑みを浮かべながら頷いている彼女は、紫月と目があいぱっと頬を染める。
「えっと、その、似合うよ、とっても」
本心からにじみ出たであろうその言葉に、紫月の気持ちが急降下する。
きっと君のほうが似合うよ、と伝えても社交辞令だろうと交わされてしまう。
好きなんだけどな、君のこと。
そんな思いを乗せて見つめていると、彼女は自分を見つめていると思っていないらしく首を傾げてから背中を向けてしまった。
近づきたいのに、近づけないこのもどかしさが憎い。あの犬系と妹姫のような関係だと思うと、余計に。
一気に近づいて、怖がらせて逃げられるのが一番こたえるから。
だから今はまだその時ではないのだと自分に言い聞かせる。
がっくりと肩を落とす紫月に、そっと振り返った彼女が小さく笑んだ。
「お疲れ様です、救世主様」
to be continued...?