イチゴのクリームフラッペドリンク【魔】
メデューサは今日も一人、屋敷の中で本を読んでいた。息を潜めるように、ただただ静かに。本当は声をあげて読んでいたいけど、それができない理由があった。
それは、どこからか流れた噂だった。その噂というのは、なんでも目を見ると石になってしまう魔物がいるというものだ。そしてその魔物というのが、メデューサだった。完熟イチゴのような真っ赤なに、少しくすんだ銀色の髪はまるで生きているかのようにうねっていた。いや、実際は本当に生きているのだ。彼女の髪のいくつかはヘビが住んでいるのだ。そのヘビたちは侵入者には容赦しないが、大好きなメデューサには甘えたり、一緒に甘いものを食べて時間を共有している仲である。
「はぁ……」
もう何度読んだかわからない本を静かに閉じ、窓の外を見た。窓の外には大きな丸い月がふわりと浮かんでいた。まるでできたてふんわりなチーズケーキのようなまあるい月はただそれだけでメデューサの視線を奪っていた。
「こんなにまあるいお月様。久しぶりに見ました」
本棚に本をしまい、窓に張り付くように月を眺めているメデューサ。目を輝かせながら見ている姿は、まるで動物園で大好きな動物を目の当たりにしたかのようなはしゃぎっぷりだった。だが、そのきらきらした姿はすぐにしぼんでしまった。メデューサはとあることを思い出してしまったからだ。
「わたしは……誰かと目を合わせてはいけないのです……でも……もし……目を合わせてお話ができたら……楽しいのかな……」
自身にかけられた呪いをどうにかできたのならと願うメデューサ。ぎゅっと唇を噛みしめていると、何事かと心配したヘビたちがそっとメデューサに寄り添った。
(大丈夫だよ。ぼくたちがいるから)
(ぼくたちに聞かせておくれ。あなたの苦しい気持ち)
優しく頬にすり寄るヘビに気が付いたメデューサは「ごめんなさい」と小さく謝り、心配してくれたヘビたちの頭をそっと撫でた。気持ちよさそうに撫でられているヘビを見てふっと表情を柔らかくしたメデューサはふと窓の外へと視線を移した。ひと際輝いて見えた月に呼ばれたような気がしたメデューサは、月をじっと見つめているとまるで眠りについたように意識を失った。
「……っと、ちょっと。メデューサったら。大丈夫?」
誰かに呼ばれている声に気が付いたメデューサはゆっくりと目を開けた。瞼に刺さる何かに手で目元を覆いながらゆっくりゆっくりと目を開けると、そこには時々お茶を楽しむ仲のエキドナが心配そうにメデューサの顔を覗き込んでいた。ブドウのような赤紫色の髪にマスカットのような若緑色の瞳に、赤い鱗がついたにょろにょろボディ。ちょっぴり舌足らずなしゃべり方が特徴な彼女は、いつだって元気に溢れている。お茶をするときはいつもメデューサを励ましたり勇気づけたりとお世話になっているのに、そんなエキドナとぱっちり目が合ってしまったのだ。
「あ、気が付いた! よかったぁ」
「ひゃっ!! だめ! わたしの目を見ちゃ!」
「え?」
慌てて目を隠すメデューサに首を傾げるエキドナ。いつもならものの数秒で石になってしまう……のだが、確かにエキドナと目が合ったのにも関わらずエキドナはいつになっても石になることはなかった。不思議に思ったメデューサは一体何がどうなっているのか理解できずにおろおろとしていた。
「どうしたの?」
「あ……えっと……わ、わたしの目、見たよね……?」
「うん」
「じゃあ、なんで……」
「わかんない。でも、それはそれでいいことじゃない?」
「そ……そうかもしれない……」
「ほらほら。そんな顔しないでさ、行こ!」
「え? 行くってどこへ?」
「決まってるでしょ? 観光よ! か・ん・こ・う!」
聞きなれない言葉に首を傾げるメデューサ。そんなメデューサを見たエキドナは「えへへぇ、じゃーん」と言いながらメデューサの額にハートの形をした眼鏡をかけた。ポップなピンク色のレンズに可愛らしい小さなラメが入っていた。
「えへへ。お揃いなんだー」
そういってエキドナもバッグから形は一緒だがカラーリングはビタミンカラーのものだった。エキドナのイメージにぴったりなその眼鏡を見たメデューサはなんだかわくわくした気持ちが溢れていた。
「か……可愛いです……」
「メデューサだって可愛いわよ」
普段目を合わせることができないメデューサ。今、こうして目を合わせても誰も悲しい思いにならないことに喜びを感じていた。
「ねぇ、この眼鏡を買うときに見つけた美味しそうな飲み物屋さんがあったの。行きましょ!」
「え……あ、うん!」
エキドナはメデューサの手を引き、おしゃれなカフェへと入った。中はたくさんの人で賑わっているにも関わらず、とても静かだった。こんなにたくさん人がいるのに不思議だなぁと思っているメデューサに、エキドナは小さく耳打ちをして何を飲むか尋ねた。するとメデューサは顔を真っ赤にしながら慌てふためいた。まだ何を飲むかを決めていなかったメデューサはどうしようかと考えた末、季節限定のイチゴのドリンクを注文した。爽やかな笑顔の店員さんにお金を払い、カウンターでドリンクを受け取り店を出た。心地よい日差しの中、ドリンクを吸い込むメデューサとエキドナは同時に「おいしい!」と声を張った。
それから二人は大きな塔のようなものの前で記念撮影をすると、そこには見慣れない格好をした三人が小さく映り込んでいた。拡大してみてみると、その正体にエキドナは「あー」と驚きの声を漏らした。
「ほっほっほ。これはこれはエキドナにメデューサではないか。こんなところで何をしてたんだい」
「ゼウスのおじさま。こんにちは。今日はメデューサと一緒に観光にきました」
「なんと。ぬしたちも観光か。これは偶然じゃの。ほっほっほ」
オリンポスの主神であるゼウスはたっぷりとした顎鬚を撫でながら豪快に笑った。丸太のように太い腕は着ている服から悲鳴が聞こえてきそうなほどにみちみちだった。プリントされているのは……確か知恵の女神─メーティスのお供の豚の妖精とんすけ……だったか。可愛らしい豚の妖精なのだが、今では左右にひっぱられ何とも言えない絶妙な表情をしていた。
「あ、メデューサとエキドナだ。やほー」
「っく……眩しくて目が開けられん……ったく、どこへいくかと聞いたら『来れば分かる』って……来てもここはどこだか全くわからん……」
遅れてやってきたのは冥界の王ハデスに共生の蛇竜テュポーン。闇のように黒い髪に同じ色のポロシャツに濃い緑色のパンツ、強い日差しを遮るサングラスをかけていた。一方テュポーンは薄紫色のワンピースに白いサンダル、金色の髪を二つに分けてそれぞれ赤いリボンで結んでいた。ピンク色の眼鏡をメデューサたち同様額にかけていた。
「観光もそうじゃが、本当はテュポーンの買い物に来たんじゃよ。それと、うまいものを食べるというのもな」
「美味しいもの。気になるわね」
「ほっほっほ。こうなったら、わしが奢っちゃうから、遠慮せずに食べるといい」
「え……おじちゃん。いいの?」
「うむ。もちろんじゃ」
「やったー。あ、ひげじょりじょりはダメ」
こうしてテュポーンとエキドナはゼウスたちと合流し、気になるグルメをこれでもかと食べ始めた。スイーツはもちろん、濃い色をしたソースをつけた「みそかつ」と呼ばれる食べ物を食べたり横幅が広い麺─きしめんを食べたりと、自分たちが暮らしている世界では味わうことのできないグルメに舌鼓を打っていた。他にも巨大な金色の魚が飾られた建物を見学したり、透明な楕円形の屋根が取り付けられた建物の中に入ったりと観光を満喫した。
やがて日も暮れてきた頃。一人を除いて満足そうに建物を出ると、メデューサはどこか寂しそうな表情を浮かべていた。楽しい時間というのはこうも早く過ぎ去ってしまうものなのかと感じたメデューサは、瞳にうっすらと涙を浮かべていた。
「? メデューサ? どうしたの?」
テュポーンがメデューサの顔を覗き込むと、メデューサは首を横に振りながら更に溢れてくる涙を袖で拭った。ゼウスたちに会うことは難しいことじゃない。会おうと思えばいつでも会える。だけど、今日と決定的に違うことがある。それは、目を合わせてはいけないということ。今日はなぜか目を合わせても誰も石にならないという不思議な現象があり、こうして充実した一日を過ごすことができた。美味しいものをたくさん食べて、普段とは違う空間で普段とは違う側面を持つ仲間たちと会話をして……。これがもう終わってしまうのではないかと思ってしまったメデューサは胸が張り裂けそうな思いでいっぱいだった。
「そんなに悲しむことはなかろう。わしらはいつだっておぬしの味方じゃ。心配はいらん」
ゼウスの大きな手がメデューサの頭に置かれる。大きくて暖かなな手の温もりにメデューサはまた胸が苦しくなった。
「もう。そんな悲しい顔しないの! いい? メデューサはあたしの大事な大事な友達なんだから。メデューサはをいじめるやつは、パパからもらった剣でやっつけるんだから。いじめられたら、いつでも言ってね」
エキドナの言葉に勇気づけられたメデューサは「うん」と小さく頷くと、ごしごしと袖で涙を拭うと少し無理やりに微笑んで見せた。その微笑みを見たゼウスは「メデューサは笑顔が似合うの」と言うと、テュポーンも「うん」と小さく頷いた。
「ねぇ、記念にみんなで写真撮りましょうよ。ほら、ハデスもこっち来て」
「……気安く呼ぶな。……仕方ない」
「ほらほら。みんな笑って笑って。撮るわよー!」
ぱしゃっ
みんなで撮った一枚の写真。この一枚がメデューサのかけがえのない宝物となったのは言うまでもなかった。できればこのままみんなとこうしていたいという願いもあるのだが……急にやってきた眠気がそれを許さなかった。意識がだれかに引っ張られるような感覚に襲われたメデューサはそのまま深い闇へと落ちていった。
目が覚めたメデューサ。外はすっかり晴れており、あのまんまるな月はもうベッドの中で休んでしまっていた。
「ん……朝?……それに、あれは夢だったのかしら」
夢にしてはずいぶんと現実味があったなぁと思っていると、メデューサの足元に何かがひらりと舞った。何かと思い拾い上げると、それは……。




