甘く芳醇な茉莉花茶【神】
ある日、わたしが勤めている宮廷に若い男性が入ってきた。その男性は腰まである黒く長い髪で、目は澄んだクリアブルー、紫色の法衣を纏っていた。そしてわたしたちを見て恭しく頭を下げて挨拶をした。
「ユンジェと申します。しがない占術師をしております。よろしくおねがいします」
艶やかな声にわたし含め、女性陣はみんな目を丸くして喜んでいた。今まであそこまで礼儀正しく挨拶をしてくれた人はいたかしら……いや、いないわ。このユンジェっていう人が初めてだわ。わたしは何度も頷いていると、隣にいた友達がつんつんとわたしの脇を突いてきた。
「ねぇねぇ。あんたも気になる?」
友達は頬を真っ赤にしながらわたしに聞いてきた。確かにうちの宮廷にいる男性陣の中ではトップクラスでかっこいいかもしれないけど……わたしなんかは遠く及ばないわ。わたしは小さく肩をすくませると、友達は「嘘ばっか。顔に書いてあるわよ」と口を尖らせた。そんなことはないと何度も否定をしていると、ユンジェはいつの間にかわたしのすぐそばまで来ていた。
「おや、なにかございましたか?」
やや釣り目なユンジェは純粋にわたしに聞いてきたのだけど、わたしは何も言い返すことができずただ沈黙するしかなかった。不思議に思ったユンジェは首を傾げると友達は「いえいえ。気にしないでください。こいつ、急に言葉が出なくなるときがあるんです。あはははは」と今までにいわれたことのない癖を適当に並べた。わたしは「後で覚えていなさいよ」という気持ちと「ありがとう」という二つの気持ちを抱えながらその場をやり過ごした。
ユンジェの挨拶が終わり、それぞれの持ち場へ戻るときわたしは友達の頭を優しくこつんと叩いた。
「こおら。何適当なことを並べたのよ」
「いたた。でも、あの場はしのげたでしょ? 感謝してくれてもいいのよ?」
「ああもう。はいはい。助かりましたよ。ありがとうございました」
「気持ちが入っていないけど……まぁ、いっか」
こうしてわたしたちは持ち場へ着き、無言で業務をこなしていった。今日も相変わらずに息つく暇もなく右に左に動き回っていると、わたしの頭の中からきれいにすっぽ抜けていたユンジェが庭を歩いていた。その姿はまるで王子のように優雅だった。まるで何かを探しているかのようにあたりを見回していたけど……どうかしたのかな。
「ちょっと! ぼーっとしてないでそれを早く持ってきてちょうだい!」
「あ、はーい! ただいま!」
長年勤めている先輩の声に意識を戻されたわたしはすぐに仕事モードへ切り替え、せかせかと足を動かした。それからは庭を気にする暇は二度と訪れなかった。気が付けば空は暗くなっており、この時期にしては少し肌寒い夜風がわたしの背中をさすった。
「え? もうこんな時間?」
時間を忘れ業務をしていたわたしは、思わず情けない声を出してしまった。その声にみんなはっとし、外の様子を見て「もう終わりの時間じゃない?」と言い出した。その一言にみんな頷きだし長年勤めている先輩は「じゃあ、切りのいいところで終わりましょ」といい、残っていた業務を手早く済ませるとみんなに労いの言葉をかけ、業務終了の礼を始めた。
ようやく解放された頃には、空はすっかり暗くなっており寒さも一段と強くなっていた。わたしはあまりの寒さに急いで自室へ向かうと、扉の下に何かが挟まっているのが見えた。何かと思い拾い上げると、それは小さな封筒だった。誰からだろうと思い、中を確認すると流れるような文字が見えた。とてもきれいな字を書く人もいるんだなあと思い便箋に書かれている文字を読み進めていくと、それは今朝起きた出来事について心配する内容だった。そして、その出来事を知っている人物といえば……。
「ま……まさか……この手紙の主って……ゆ……ユンジェ?」
そんなことってあるの? わたしは頭の中がぐちゃぐちゃになりそうな感覚に足元がふらついたけど、扉の縁をつかんで最悪の事態を免れることができた。体制を立て直し一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから自室に入り再度手紙を読み進めていくと、あのとき─わたしが顔を真っ赤にして言葉が出なかった時のことを本気で心配していたらしい。最後に「もし可能なら、あなたとお話をしてみたいのだがどうだろうか。明日、昼休みの時間に地図の場所で待ってます」とあった。封筒の中をよく見ると便箋とは別の用紙が入っていた。広げてみるとそれは地図だった。宮廷の場所があらかた知っているはずなのだが、地図に書かれていた場所はどうしてもわからなかった。たぶんこのあたりだろうというざっくりとした場所を想像しながらわたしは寝具に倒れこんだ。
翌朝。目が覚めたわたしはぼんやりする頭のまま洗面台で顔を洗い、歯を磨いた。寝癖だらけの髪を無理やり直し、勤めの準備をしているとふと目に留まったのは昨日ユンジェから届いた手紙だった。まだ眠い目で文面を追っていると、「そうだった!」と大きな声をあげた。今日の昼休み、ユンジェに会うんだった。そう思った途端、わたしの眠気は部屋から吹っ飛んでいった。鞄の中に地図を忘れずに入れ、部屋を出た。ユンジェに会うことをみんなに知られないよう、わたしはなるべく平常心を保ちながら持ち場へ入ると、友達がわたしの背中をぽんぽんと叩いた。
「おっはよー」
「あ、おはよう」
「どうしたの? なんかちょっと嬉しそうだけど」
……友達の勘の良さにどきりとしながら、わたしはまるで「そんなことないわ」と平然を装った。それでも引き下がらない友達は「待って。当てるから」と言い、唸りだした。別に当ててほしいわけでもないし、特になにもないんだけど……しばらく唸り声をあげた友達ははっと顔を上げ、わたしを指さしながら言った。
「さては……昨日の夜……」
(え? やばい。バレてる?)
「美味しいもの食べた夢見たとか?」
がくっとしながらわたしは友達の頭を叩いた。
「そんなわけないでしょ。昨日は忙しかったんだから、夢なんて見る暇なかったわよ」
「……それもそうか。あたしもすぐに寝ちゃったし」
「はいはい。それじゃあ、今日もお勤め頑張りましょうかね」
「そうね。始めましょうか」
そういってからわたしと友達は一言も発さず、業務に集中した。
遠くで鐘が鳴る音が聞こえた。これは昼休みの合図であるのと同時に、わたしはユンジェに会いに行く合図でもあった。わたしは友達に「昼ご飯、先に行くね」と言い、足早に作業場から出ていくとポケットから地図を取り出し目的地へと向かった。わたしの予想が合っていますように……。
「たぶん、ここで合ってると思うんだけど……」
見たことのない建物の間を歩いていると、遠くで水の流れるような音が聞こえた。わたしはその音を頼りに進んでいくと、そこには腰まである長い髪の男性が座っていた。風に遊ばれている髪はそのままに、男性は静かにその場に佇んでいると、わたしに気が付いてにこりと笑いながら手をあげた。昨日とは雰囲気が異なっており、少しリラックスしたような装いだった。髪を下ろし、動きやすい服装のユンジェは少し悪戯っぽく微笑みながらわたしを迎えてくれた。
「やあ。来てくれてうれしいよ」
「ど……どうも……」
改めて見るととてもきれいな顔立ちをしているユンジェ。一体何を食べて育ったのか気になるところだけど、今はそれどころではなかった。
「わかりにくい場所を指定してしまって申し訳ない。ここを知っているのは限られた人だけなんだ。君も含めて……ね」
まるで秘密の場所なんだと思っていると、ユンジェはわたしを手招きし隣をちょいちょいと指さした。
「そんなところではなくて、もっとこっちへ」
嬉しいやら恥ずかしいやらで言葉が出ないわたしを、ユンジェはただ静かに待っていてくれた。指定された場所に腰を下ろすとユンジェは高級そうな茶器からふわり甘い液体を注いでわたしにくれた。
「さ、これをあなたに」
「こ……これは……ジャスミン?」
わたしはゆっくり口に含むと、香り豊かなジャスミンの花がぱっと開いていくのを感じた。そして開いたかと思えば儚く散っていくような余韻に思わず空を仰いだ。程よく冷えたジャスミン茶にうっとりとしていると、ユンジェはくすっと笑った。
「ようやく笑ってくれましたね」
「え……わたし……?」
そういえば、ユンジェの前だとなんでかずっと緊張していたのを思い出した。それは、きっとユンジェのことが気になっているということなのだろうか。ユンジェを前にしていると……なんだか胸がざわつくというか……。
「最初にあなたを見たとき、私も同じ気持ちでした。これは何かのめぐりあわせではないかなと。占いでも今日は最高な日になるでしょうという結果が出ていましたので、きっとこのことなのでしょう」
そっか。ユンジェは言ってたっけ、占術師だって。まさかこのことも占いで予知してたのかな……そう思うとちょっと恥ずかしいな。でも、わたしなんかで……。
「あなたはきっと数多くの困難を目にします。でも、安心してください。あなたは一人ではありません。私も助力いたしますので、どうか逃げずに立ち向かってください。困難を乗り越えたあなたは今よりももっと魅力的になります。もし、すべての困難を乗り越えた暁には……」
その先はうまく聞き取ることができなかった。ただ、わたしは今までにこんな気持ちを抱いたことがなかったから嬉しいというのは間違いない。そうだ。きっとジャスミン茶が美味しすぎて頭がふわふわしているせいだ。そうだ。きっと……。わたしは夢見心地になりながら、ユンジェの艶やかな唇から紡がれる言葉に身を委ねた。今は……ちょっとだけでいいから、夢をみさせてください。




