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哀愛傘の時雨蜜餅【魔】

 かつかつかつ


 揺らり揺れる行燈の明かりの中をゆっくりすぎるくらいに歩く一人の女性がいた。艶やかな唇、漆黒の髪は丁寧に結い上げられ、かんざし一本でそれをまとめている。濃桃色の着物から覗く恐ろしいほど白い脚を見せながら歩くその姿は、ほかに歩いている女性ですら足を止めるほどに美しかった。

 周りからちらちらと見られているのだが、本人はそれを全く気にしている様子もなく、ただ行燈の照らす町を悠然と歩いていた。彼女の名前は八握脛(やつかはぎ)。こうしてふらりと町を歩いてはその雰囲気を楽しんでいる……だけではなかった。時々、男性に声をかけてはどこかへと誘うとその男性は帰ってこないという噂があちこちで広まっている。その原因はこの八握脛の仕業ではないかと囁かれている。だが、その真相を知るものは誰もいないというのが事実であり、本当にそうなのかはわからない。


「今日は……月が隠れてしまっていますね。顔を出したいはずなのに……可哀そうです」

 八握脛は雲に隠れている月を見ながらぽつりと呟いた。晴れ間もあるなか、唯一雲が濃い箇所に月が隠れてしまい、本来の明るさを町にもたらしてくれていなかった。顔を隠している月に悲しみを表していると、一人の男性が八握脛の前に立ち、何かを言いたそうに突っ立っていた。

「あら、こんばんは。どうかされましたか?」

 八握脛が尋ねると、男性はぶるぶると唇を震わせた。そして急に屈んだかと思えば大声をあげて八握脛に求愛をした。

「こんな美しい女子は初めて見た。おらと……添い遂げてくれねぇか!」

 それを見ていたほかの人たちはざわつき始めた。ひそひそ声から徐々に声の大きさは大きくなり、その男性にも聞こえているかもしれないくらいの声量にまでなった。

「あいつ、頭おかしいんじゃねぇのか?」

「こんな堂々と言えるものなのかしら……?」

 もちろん八握脛の耳にも聞こえているであろう言葉もお構いなしに言う周りの人たちを無視し、八握脛はゆっくりとその男性の前に屈み「顔をあげてくださいな」と声をかけた。男性は言われるがままゆっくりと顔を上げ、八握脛の顔をじっと見つめていた。

「嬉しいお言葉ありがとうございます。よろしければ、わたくしの屋敷に来てくれますか?」

「は……はいっ! ぜひ!」

 こうして男性は八握脛と共に町から出て行ってしまった。その二人の後ろ姿を町の人はなんとも言えない顔で見送っていた。


「ここがわたくしの屋敷でございます。暗いところで申し訳ありません」

「いえいえ。そんな……こんな豪邸だなんて……うわぁ……」

 八握脛の屋敷は町から少し離れた場所にあった。竹林の間を抜けて着いた先には真紅色の屋根瓦がついた豪華な屋敷だった。八握脛が入口の扉を押し開けると、そこにはきれいに整えられた庭が男性を迎え入れた。夜でもはっきりと見えるほど磨かれた白い石を並べられて作られた枯山水のほかに、石塔がぽつぽつと置かれた庭にはその間を埋めるように竹が空高く伸びていた。

「さぁ、どうぞ遠慮なさらず」

「あ、はい……。お邪魔します」

 屋敷の玄関で履物を脱ぎ、中へと入ると八握脛の使用人らしき人物が二人現れ、男性を案内した。きっりと着こなした着物に袖を通した使用人は無言で男性を案内していると、空にはいつの間にかきれいな月が顔を出していた。

「おんやぁ、さっきまで顔を出していなかった月が顔を出してらぁ」

 金色の月を眺めた男性は嬉しそうにそう言うと、赤く塗られた廊下を気分よく歩いた。やがて無言で立ち止まった使用人に気が付いた男性は、ふかふかに膨らんだ座布団の上に腰をどっかと下ろし用意されていた茶をすすった。使用人は無言で挨拶をし、部屋から出ていくと男性はしばらく部屋の雰囲気に酔いしれていた。掃除の行き届いた部屋、段違いの書籍棚、一輪挿しされた花瓶など細かな家具で部屋の中に彩りを感じられる空間に男性は自分が歓迎されていると感じ、飲みかけの茶をぐいと傾けた。茶を飲み終えてからしばらく、男性が寛いでいると規則正しい足音が廊下を鳴らしていることに気が付いた。そしてその足音は男性が寛いでいる部屋へと近付いており、男性は「まさか」と歓喜の声をあげた。男性はこれまで何度も女性に声をかけてきたのだが、何度も失敗に終わっている。その度に落ち込んでまた復帰しての繰り返しだった。そして今日で何回目かわからない挑戦で、ようやく実った男性は何とも言えない幸福感に包まれていた。

「ようやくおれにも転機がきたかぁ……はぁ、長かったなぁ……とっちゃん、かっちゃん……おれ、幸せになるからな」

 既にこの世を去っている両親にそう宣言した男性の目の前に、先ほどとは違う着物を着た八握脛が立っていた。その姿は町で見たときよりも妖艶でさらに美しさに磨きがかかっているようにも見えた。

「お待たせいたしました。あの、隣、いいですか?」

「え? あ、ああ。もちろん」

 すり足で男性の隣に近付き、すっと腰を下ろす八握脛。ぴしりと伸びた背筋は礼儀正しさと美しさ両方を引き立たせ、男性の視線を離さなかった。すっと目を細めた八握脛の口から小さな吐息が漏れると、男性はごくりと喉を鳴らしただただ色っぽく映る八握脛をじっと見つめていた。

「あの……その……うまく言えないのですが……わたくし……」

 頬を赤らめながら八握脛は男性にそう言い、口元を袖で隠した。男性は顔を赤くしながら小さく何度も頷くと、八握脛は薄く笑みを浮かべながら男性の頬に触れた。

「わたくし、あなただけに話しますね。わたし……」

 男性は過呼吸気味になりながらも、八握脛から聞こえる声を聞き逃すまいと自身の息を潜めていると八握脛はそっと男性を抱きしめた。抱き着かれた男性は声にならない声をあげながら天井を仰いでいると、そこになにやら蠢く何かを見つけはっとした。かさかさと音をたてながら禍々しく光る四対の爪のような脚……それはクモのようにも見えたそれは、男性の意識を元に戻すには十分すぎた。

「はっ……離せっ!!」

「きゃぁ」

 男性の力におされ、八握脛は畳に倒れると自由になった男性は一目散に部屋から逃げ出した。

「ひぃ……ひい! ば、化け物っ!!」

 声を震わせ逃げていく男性を八握脛は逃がさなかった。すぐに立ち上がり男性の逃げる方へと駆けると物の数秒で追いついてしまった。

「確実に捉えますわ」

 クモのような脚を器用に使い、男性を掴むとそのまま抱き寄せふうと吐息をかけた。男性は苦しそうに藻掻いていると、八握脛はくすくすと笑いながら「暴れても苦しくなるだけですよ」と艶やかな声を男性の耳に届けた。それでもなお暴れる男性の顔を見た八握脛は男性の顎に手を置きながらくすくすと笑った。

「苦しむ姿も素敵ね……うふふ」

「や……やめ……ろ……ぐっ」

「? どうしてわたくしを拒むのですか?」

「やめ……ろ……やめろ……離せ……この化け物が……」

「あ……あぁあ……」

 男性が八握脛を拒み続けていると、次第に八握脛の顔は何かを恐れるような顔へと変わっていった。みるみるうちに青ざめていく八握脛の顔に困惑しながらも、男性はひとまず危機を脱することに成功した。やがてふらりと立ち上がった八握脛の表情は虚ろに歪んでいた。そしてぶつぶつと呟きながら頭を抱え蹲った。

「やめて……やめて……聞こえないの。わたくしを拒む言葉など……あぁああ!!」

 これ以上は危険だと判断した男性は、何も言わずに屋敷から出るとさっきまでそこにあった屋敷は霧散し、消えていった。あれは一体なんだったのだろうと考える前に、男性は一目散に自宅へと逃げていった。



「お前は来るな」

「来るな」

「来るな」


 やめて……! わたくしを拒まないで! お願い! お願いだから!


「来るな」

「あっち行け」

「近寄るな」


 おとうさま! おかあさま! わたくしも……わたくしも一緒に……!


「来るなって言ってるだろう」

「来るな!」


 待って……! お願い! 置いていかないで!! わたくしを一人にしないで……!!!



 おとうさまとおかあさまに置いて行かれ、わたくしはその事実を受け入れることができませんでした。まさかわたくしが置いていかれるだなんて、思ってもみませんでしたから。

 なぜ、おとうさまとおかあさまはわたくしを置いて行ったのでしょう。思い当たる節があるのかと言われれば……村に大飢饉があって、食べ物も底をついてしまったあの日。おとうさまとおかあさまは夜な夜な何かを話していたのを何度か聞こえていました。それがまさか、わたくしを置いていこうだなんて。

 次の日からおとうさまとおかあさまの態度はがらりと変わってしまいました。急に冷たくなり、わたくしを毛嫌いするようになりました。話しかけても答えてくれず、返ってきたと思ってもその顔はとても怒っていて、次には怒鳴られるということばかりでした。それでも、わたくしは諦めず何度も声をかけ続けました。いつかきっと元の二人に戻ってくれると信じて。


 だけど、それは叶いませんでした。おとうさまとおかあさまは小さな風呂敷を一つ掴んで家から出ていくのを、わたくしが見つけ必死に追いかけました。おとうさまの腕を掴んで何度も何度もお願いをしましたけど、何度も何度もわたくしを拒絶してきました。おかあさまも同じように、わたくしを拒み続けていました。信じたくない一心で何度も二人についていこうとしても、結局大人の力に勝てるわけもなくわたくしは地面に叩きつけられました。

「もう二度と顔を見せるな」

「もう二度とついてくるな」


 お願い! 置いていかないで! 一人にしないで!! おとうさま、おかあさま!!!


 わたくしの訴えも空しく、二人は先へと進んでいきました。そこでやっとわたくしは、二人から拒絶されたと認識をすると目から涙が零れました。


                    悲しくて悲しくて


                    哀しくて哀しくて



                   憎たらしくて憎たらしくて



 悲しいと同時に何かがわたくしの中へと流れ込むと、次の瞬間にそんな気持ちはどこかへいってしまい代わりになんとも清々しい気持ちへとなりました。あぁ、なんとも言えない高揚感に包まれたわたくしの目には喜びと悲しみ両方の色が映っていました。

 だから、わたくしは探し続けているのです。わたくしを受け入れてくれる方を。こんな異形のわたくしでも受け入れてくれる方を。いつまでもいつまでも。

 わたくしを受け入れてくれる方が現れるまで、わたくしは何度でも現れましょう。そしていつの日か、わたくしを受け入れてくださる方が現れたのなら、絶対に離しはしません。この姿は異形であっても、愛のかたちは変わりませんわ。だから……わたくしのものになって?

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