ブラッドストロベリーのゴールデンドロップ【魔】
生ぬるい風が頬を撫で、今にも泣きだしそうな天気の下を歩く冒険者一行がいた。一人は軽装備を纏ったもの、また一人は法衣を纏い大きな杖を持つもの、また一人は巨大な戦斧を背中に背負ったもの。そしてその先頭を歩くのは闇色に染まったマント、歩く度に見える腿につけた暗器、腰には使い慣れた相棒の双剣を差していた。少年の名前はクレーエ。一行は旅をしながら困っている人たちを助けながら生計をたてている。主に村や町にある依頼をこなすことが多く、それに見合った報奨金で細々と生きている。贅沢はできないが、最低限生きていくことができていれば御の字だと思っているメンバーがほとんだった。結成当時から編成を変えることなくここまでやってきたクレーエの一行の絆はどこのパーティよりも固かった。
「……あ、雨だわ」
法衣を被ったものが空を仰いだ。はじめは小さな粒だったが、それは時間が経つにつれて大きな粒へと変わり量も多くなってきた。
「このままだとずぶ濡れになっちまう」
「……そこ、町があるわ」
なんとか雨を凌ぐことができる施設を見つけた一行は雨でぬかるみ始めた大地を駆けた。一行が宿屋に到着しのと同時に土砂降りの雨へと変わり、間一髪といったところだった。
「危なかった……」
「おやじ。今日、四人空いてるか?」
うとうとと舟を漕いでいた宿屋の主人に戦斧を背負ったものが声をかけると、主人はすぐに現に戻り宿屋の台帳をぱらぱらとめくった。
「いらっしゃい。ちょうど空いているよ。泊っていくかい」
「ああ。助かる」
クレーエが腰のポーチから金貨を取り出し、宿屋の主人に支払うと「毎度あり」といい、ゆっくりと椅子から立ち上がり台所へと歩いて行った。大雨を凌ぐことと宿を確保できたことに安堵する一行は宿屋の主人から受け取った清潔な布巾で濡れた身体を拭き始めた。それから各自気に入った寝床を確保し、思い思いの会話を始めた。
「晩御飯、何かなぁ」
「肉がいいな」
「あんた、口開けば肉ばっかりじゃない。もう少し違うものも食べなさい」
クレーエ以外は食事について談笑しているが、クレーエは一人窓の外を見ていた。あまりにも雨脚が強いためか、まるで滝のように降る雨が地面にぶつかり霧のように霧散していく様子を静かに見つめていた。
「……危なかった」
ぽつりと呟いたクレーエ。それは本心なのか否なのかは誰にもわからなかった。
宿屋の主人が振るう夕飯はどれも絶品だった。特に大きなハンバーグは全員から好評だった。今は食後のお茶をゆるゆると楽しんでいるところだった。みんなのお腹も心もたっぷり満ちた頃、宿屋の主人はお茶のお代わりを用意しながら口を開いた。
「皆さまは冒険者さまなのですね。食べっぷりがほかの方々と違って、作った甲斐がありました」
「あ……その……久しぶりにきちんとしたお食事だったもので……その……恥ずかしい」
法衣を被ったものが恥ずかしそうに頬を赤く染めると、それをがははと笑う戦斧を背負ったもの。
「まぁ確かに。こんなにしっかり食べたのはどれくらいぶりだろうな……主人、感謝する」
「いえいえ。ところで……」
宿屋の主人はお茶のお代わりを注ぎ終えると、ティーポットを静かに置き気持ちを落ち着かせるかのように深く呼吸した。
「……皆さまは……吸血姫をご存じ……ですか?」
吸血姫という言葉にほんわかしていた雰囲気が瞬間的に凍り付いた。宿屋の主人も雰囲気を壊してはいけないとわかっていたのだが、どうしても口を開かなくてはいけない状態であった。
「……ここ最近、ここから離れた森の中で人が失踪する話ばかり持ち上がっていまして……」
話している宿屋の主人の言葉が震えていた。ずっと我慢していたのだろう。口にしてから宿屋の主人は肩を震わせ、事情を説明し始めた。
「わたし……の妻も……村の若者……も……みんな……うっ……う……」
吸血姫─テレーゼ。恐ろしすぎるほどの美貌と鮮やかな剣技を持つ吸血鬼だ。そしてあまりにも上品な立ち振る舞いに油断する冒険者も出ているほど、脅威な存在である。
「……この近くなのですか?」
「……えぇ……」
宿屋の主人は声を上ずらせながら、台帳が入っている引き出しから地図を手に取りテーブルの上に広げた。
「今、わたしたちがいるのはここです。そいつがいるのは……ここの屋敷です」
宿屋からさほど離れていない場所に人差し指を置いた宿屋の主人。まさかそんな近くに脅威があるだなんて思っていなかった一行は驚きの色を隠せていなかった。
「……任せてください。おれたちが討伐します」
戦斧を背負ったものが力強く頷きながら依頼を受けると、ほかのもの力強く一度だけ頷いた。それを見た宿屋の主人は再び目に涙を浮かべながら「……ありがとうございます」と小さく声を漏らした。そして深々と頭を下げて「……どうか……お願いします」と言った。その一言に宿屋の主人が言いたいことすべてが詰まっているような気がした一行は、それからは何も言わず就寝した。
翌日。雨脚は幾分良くなったとはいえ、止む気配が感じられないほどの雨が降り続いていた。足元も昨日よりもぬかるんでおり、気をつけなければ足元を簡単にすくわれてしまう。装備の確認を念入りに済ませた一行は、吸血姫が住んでいると言われている屋敷へと向かった。
その屋敷は鬱蒼とした森の中に静かに佇んでいた。しかし、森の中にあるにしては不自然な箇所がいくつもあった。まず門扉が一切錆びていないこと、門扉を潜った先にあるバラ園はどれもきれいに手入れがされていること。そして、屋敷には綻びひとつ見当たらないくらいに美しかった。まるで屋敷というよりは美術館のような佇まいに誰もしもが息を飲んだ。
「……本当にここでいいのよね」
法衣を被ったものが杖を強く握りしめながら呟いた。その声に戦斧を背負ったものが戸惑いながらも頷いた。
「あ、ああ。間違っていなければの話だが……な」
一行が固唾を飲みながら屋敷を見つめていると、玄関と思われる場所が静かにゆっくりと開いた。まるで「いらっしゃい」と誘っているかのようだった。明らかに罠だとわかっていても、宿屋の主人のあの涙を思い出すと、一行は口を一文字に結び一歩また一歩と屋敷の中へ足を踏み入れた。中は誰か几帳面な人が掃除をしたのかと思うくらいに埃ひとつ落ちていなかった。むしろ外よりも空気が澄んでいるようにも思えた。真っ赤な絨毯が敷かれ、その先には横幅に広い大きな階段があり、まるで手を広げて歓迎をしているかのように優雅だった。
「こ……ここは……」
「あらあら。ごきげんよう」
艶やかな声が天井から聞こえたかと思い、上を向くもそこには誰もおらず代わりに真っ赤に咲いたバラが一輪、落ちてきた。それを拾いあげたクレーエはじっくりと見た。そのバラの花弁は今までに見たバラの中で最も赤かった。不気味なほど不吉に……。
「これはこれは皆さま。ようこそおいでくださいました」
こつこつと靴を鳴らしながら暗闇から現れたのは、病的なほどに白い肌に真っ赤な瞳、瞳と同じ色の鎧に身を纏い、腰には細剣を差した女性が立っていた。
「申し遅れましたわ。わたくし、テレーゼと申しますわ。それとも、こちらの方がわかりやすいかしら……吸血姫……」
疑惑が確信に変わった瞬間、一行は得物を手にした。そして目に見えない殺気を放っているがテレーゼは一切慌てた様子もなく、くすくすと小さく笑っていた。
「あらあら。そんなに殺気だたなくても……。でも、わたくしも退屈していたところですの。楽しませていただけますかしら?」
ゆっくりと細剣を抜き構えるテレーゼ。数は一行が明らかに有利だが、そんなことはどうでもいい。今はこの吸血姫を討伐することに意識を集中させた。
「アシッドフォッグ!」
法衣を被ったものが視界阻害の魔術を展開。辺り一帯濃い霧で覆うと、それに混じった酸性の水蒸気が相手の防御力をじわりじわりと下げていく。
「面白い手品を使いますのね。わたくし、楽しくなってまいりましたわ」
それでもなお、余裕を見せるテレーゼはまたくすくすと笑っているとその背後から戦斧を背負ったものと軽装備を纏ったものが同時得物を振りかぶっていた。
「……ですが……」
まるで小さな水溜まりを飛び越える子供のように、ひょいと交わすと振り向き様に細剣を薙いだ。切っ先の鋭い細剣は切るよりも突いた方が致命傷になりやすいのだが、そこはあえて薙ぐことで戦う時間を長引かせようとするテレーゼの遊びだった。横一文字に傷を負わされた二人はあまりの激痛に顔を歪めながら転げまわると、視界阻害をしていた法衣を被ったものがすかさず治癒の魔術を展開した。
「クリアヒール!」
もしかしたら毒が混じっているかもしれないと思った法衣を被ったものは、解毒効果のある治癒魔術を展開した。緑色の淡い光が二人を包むと、救急的ではあるがある程度の傷を癒すことができた。二人から苦痛の表情が和らぐのと同時にクレーエは影からテレーゼの背後に回り込み得物を振り下ろした。
「あらあら」
寸でのところで避けられてしまい、得物が虚しく空を切るとすぐに体制を立て直し得意の体術へと切り替え追い込んだ。
「あらあなた。面白い戦い方をするのね。うふふ……わたくしをもっと楽しませておくんなまし」
実践経験豊富なクレーエの攻撃をテレーゼはすべて弾くと、くすくすと笑いながら「もっとわたくしを楽しませておくんなまし」と何度も挑発した。やがて頭に血が上ったクレーエは今ある力をすべて出し切る思いで凄まじい連撃を繰り出した。強烈な右ストレートがきまるかと思ったのだが、それも予知していたかのようにテレーゼはひょいと交わした。
「あなた、とっても……いいわ。久しぶりに楽しいわ。もっと踊りましょ」
「は……ぁ……はぁ……」
余裕なテレーゼに対し、やや息が上がり始めたクレーエ。その代わりに他のものが連携をしてテレーゼに一撃を加えようとするも、防がれ返されてしまった。
「……あなたたちにはがっかりですわ。もう結構ですわ」
上品なのにどこか冷徹さを含んだその物言いの直後、細剣が無造作に空を切った。
「……散りなさい」
時間差で三人の身体から血のバラが咲き誇った。見頃が一瞬の……。声をあげる暇もなく三人はその場に倒れると、クレーエは状況を理解する間もなくテレーゼに距離を詰められた。
「……わたくしが憎いかしら? もし、そうなら……わたくしを追ってきなさいな」
残酷なまでに優しい言葉を紡いだ後、テレーゼはクレーエの首元に静かに牙を突き立てた。ぷちゅりと音をたてどくどくと溢れるワインをテレーゼは美味しそうに啜るのと、クレーエの絶叫は同時だった。
(この……まま……終わる……のか……おれは)
手先の感覚がなくなりかけたとき、テレーゼはふっと牙を抜き口元を拭った。そして相変わらず余裕のある笑みを浮かべながら小さくお辞儀をした。
「ごちそうさま」
影に溶けるように消えたテレーゼ。そして一人残ったクレーエは叫ぶ力も残っておらず、しばらく動けずそのままでいた。
いつの間にか意識が沈んでいたのか、クレーエは屋敷の窓から漏れる朝日に目を覆った。なんだか妙に身体が重く、怠い……。それと同時にクレーエは右足に強烈な痛みが走った。見ると、窓の外から漏れる朝日に右足が焼かれていたのだ。
「……な……ぜ……」
無理やり身体を影がある場所まで這いずり、恐る恐る首筋に手をやった。
あった。二つ、穴があった。
それは……つまり……
実感がゆっくりとクレーエの腹の底から湧き上がってくると、怒りと絶望と悲しさに混じった声をあげて泣いた。時折顔をあげると、そこにある昨日まで食事を楽しんでいた仲間たちだったものが転がっているのが目に入り、クレーエは更に泣いた。声が枯れるまで、涙が枯れるまで泣いていると空はいつの間にか暗くなってきていた。暗くなると、今度は身体がいつも以上に軽く感じた。それはつまり……闇の眷属になってしまったということだ。
「……」
クレーエは三人を近くに埋葬し、手を合わせた。そして時限付きの行動時間をどう動くかを頭で計算しながら、一人闇の中へと消えていった。
暗殺者として、敵討ちとして歩き始めたクレーエの足取りは憂鬱そのものだった。




