第2話 料理人
そもそも、なぜ俺は料理人を選び、そしてこんな無謀な戦いに挑むことになったのか――
迫り来る猛き猪を前にしながら、俺はこれまでのことを思い返していた。
だが、回想に逃げている余裕があるほど、状況は甘くない。
この一撃で、何もかもが終わるかもしれない――そう思いながら。
このVRMMORPG「アナザーワールド・オンライン」は、「現実とは違う世界でも、もう一人の自分を生きる」という謳い文句で発売されたゲームだ。
キャラメイクの自由度も高く、人間以外の種族も数多く用意されている。
とはいえ俺は、結局「現実に似た俺」を作ってしまった。
ヒョロい体格に、片目を隠す黒髪の目隠れ。
せめて顔だけは美形にしたが――ゲームなんだから、それくらいは許されるだろう。
職業の種類も豊富だ。
これまでのゲームと比べても群を抜いて数が多く、戦士や白魔導士といった王道の戦闘職だけでなく、鍛冶師や裁縫師といった生産を主とする非戦闘職まで、数えきれないほど用意されている。
ひたすら強敵との戦いを求めるプレイヤーがいる一方で、戦闘には一切関わらず、釣りだけを楽しむ者さえいる。
それもまた、このゲームの魅力のひとつだった。
俺はその膨大な職業の中から「料理人」を選んだ。
別に、深い理由があったわけじゃない。
親が家を空けがちだった俺の家では、腹をすかせた妹のために、俺が料理を作ってやることがよくあった。
そのときの、俺の料理をうまそうに食べる妹の笑顔。
職業を選ぶ画面を前にしたとき、なぜかそれがふと脳裏をよぎった。ただ、それだけの理由だった。
だが――ゲームを始めてしばらくすると、俺はその選択が間違いだったことを思い知らされる。
別世界を生きられるとはいえ、このアナザーワールドの最大の魅力は、やはり広大な世界の探索と、そこに棲むモンスター達との戦闘だ。
実際、プレイヤーの九割は戦闘職を選んでいるらしい。
非戦闘職でも戦えはする。だが効率は段違いに悪く、自然と「戦闘職こそ勝ち組」という空気が出来上がっていた。
もっとも、非戦闘職がすべて負け組かといえば、そうでもない。
武器や防具を打つ鍛冶師、戦闘用アイテムを生み出す錬金術師――こうした生産職は、むしろ下手な戦闘職より恵まれている。腕利きともなれば、その辺のアタッカーより遥かに稼ぎ、遥かに敬われる。同じ「ものづくり」の職でも、勝ち組と負け組は、はっきり分かれているのだ。
そして――残念ながら、俺の「料理人」は、わかりやすく後者だった。
料理はNPCの店でも買えるし、食事効果も十分に得られる。
料理人が作った料理が勝っている点といえば、効果がほんの少し高いことと、食べたときに美味しいことくらいだ。
このゲームでは、脳に電気信号を送ることで、ゲーム内でも味覚を感じられるという画期的な仕組みがある。
だが、味を感じたところで腹が膨れるわけじゃない。
結局のところ、それは趣味の領域を出なかった。
そう理解した時点で、多くのプレイヤーはキャラクターの作り直しを選ぶ。
サブ職業は自由に変更できるが、メイン職業だけは変えられない。やり直すなら、キャラを削除するしかないのだ。
けれど――
料理人ショウとして過ごすうちに、俺はこのキャラに妙な愛着を抱いてしまった。
決断を先延ばしにしているうちに、気づけば今さら引き返せないところまで来てしまっていた。
今日も俺は、自分の店――正確には、NPCにテナント料を払って借りているだけの店――で、客を待っていた。
「ショウ、いるか?」
低い声とともに、店の入り口に大きな影が差し込む。
この店の数少ない常連、クマサンだ。
体の大きな熊の獣人キャラだが、顔だけ見れば意外と目がくりっとしていて可愛らしい。もっとも、その可愛さは巨大な体格ですべて相殺されているが。
「お、クマサン、いらっしゃい!」
「また肉を持ってきた。いつもの作ってくれるか?」
「もちろん!」
俺がうなずいたその瞬間、視界にシステムメッセージが表示された。
【クマサンがトレードを申し込んでいます。受けますか? はい/いいえ】
このVRゲームはリアル志向が強く、アイテムの受け渡しは手渡しでも行える。ただ、数が多かったり、サイズが大きかったりすると、さすがに不便だ。
そのため、直接触れずにアイテムをやり取りできる仕組みも用意されている。それが、クマサンから申し込まれた「トレード」だ。
俺は頭の中で「はい」を選択した。
コントローラーのないこのゲームでは、答えを思考でイメージするだけでいい。
反応するように、トレードボックスが開く。
【バッファローの肉×5】
【グレーターバッファローの肉×1】
クマサン側のトレードボックスに、アイテム名が並ぶ。
物々交換や売買の場合は、こちらも交換品や金額を入れる必要があるが、もらうだけなら空のままで問題ない。
お互いが了承すると、二種類、合わせて六つの肉は俺のアイテムボックスへと移った。
「グレーターバッファローの肉か。なかなかいいものを手に入れたじゃないか。自分で狩ったのか?」
「ああ。時間はかかるが、ようやくソロでも勝てるようになってきた」
「ソロ!? マジかよ」
効率よく素材アイテムを集めるのなら、ソロ狩りが一番だ。
だが、その分リスクも跳ね上がる。複数の敵に囲まれたり、行動不能系の状態異常を受ければ、一気に致命的だ。
死ねば、デスペナルティで稼ぎは消し飛ぶ。だからこそ多くのプレイヤーは、安全を取ってパーティを組む。
クマサンは俺と同じくギルドに所属しておらず、固定パーティも持たない。
もっとも、料理人の俺とは違い、彼はパーティに一人は欲しい重戦士――タンク役ができるプレイヤーだ。にもかかわらず、彼はパーティよりもソロを好む、少し変わったタイプだった。
「グレーターバッファローの肉で、いつものを作ってくれ。あとの肉は手間賃として取っておいていい」
「いや、それだともらいすぎだ。しばらくはタダで料理するから、また店に来てくれよ」
「そうか。すまないな」
「いつもみたいに、ここで食べていくんだろ?」
「ああ」
ゲーム的に見れば、食事の最大のメリットはステータスアップ効果だ。
効果は六時間持続するため、ここで食べるより、フィールドに出てから使ったほうが無駄はない。
それでも、クマサンはなぜか、いつもこの店で食事を取る。
以前、その理由を尋ねたことがある。
そのとき彼は、少し考えるように間を置いてから、短くこう答えた。
「料理は、作りたてがうまいだろ」
現実ならともかく、ゲームの中では作りたてでも保存食でも、仕様上、味に差はない。
それでも、クマサンは譲らなかった。まるで「味わうこと」そのものに、特別な意味を見出しているみたいに。
俺はその理由を深くは知らない。ただ、こういう自分なりのこだわりを持ったプレイヤーが、俺は好きだった。
キッチンに立った俺は、アイテムボックスからグレーターバッファローの肉を取り出す。
まな板の上に再現された赤身のブロック肉は、驚くほどリアルだ。
ここからが料理の開始。
とはいえ、現実のようにすべての工程を行うわけじゃない。
ここはあくまでゲームの世界で、料理は「切る」と「焼く」、二つの動作だけで完了する。
「そういえばクマサン。サブ職業で料理人をつければ、誰でも料理はできるのに……自分では作らないのか?」
「……前に一度、包丁を買うのがもったいなくてな。剣で肉を切ろうとした」
「剣で!?」
「だが、肉に防御力が設定されていて、まったく歯が立たなかった」
思わず吹き出す俺に、クマサンは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
アイテムとしての肉には、防御力が設定されている。そのため、強引に剣で切ろうとしても簡単にはいかない。
だが、包丁を使い、料理スキルを発動すれば話は別だ。料理中は防御力を無視した内部処理が行われ、固い肉でも問題なく切れる。俺達料理人にとっては当たり前の話だ。
「せっかくのグレーターバッファローの肉だ。自分で失敗したらもったいない。俺に任せたのは正解だよ」
「……頼りにしている」
「よし。じゃあ、本職の腕を見せてやろう」
俺はアイテムボックスから、高級包丁【攻撃力5/切れ味20】を取り出し、構えた。
「スキル、みじん切り!」
包丁が、ブロック肉へ吸い込まれるように滑り込む。
刃が肉を拒む感触は一切なく、抵抗らしい抵抗すら感じさせない。
まるで、最初からこの包丁で切られることを前提に存在していたかのようだ。
直後、視界にシステムメッセージが浮かび上がる。
【成功 成功度:10】
「切る」という行動に対する結果が、数値として示される。
成功時、その出来具合は1から10で判定される仕組みだ。
つまり――完璧な成功。
俺は息をつく間もなく、次の工程へ移った。
フライパンを手に取り、火を入れる。
「スキル、火加減調整!」
フライパンを振るその動作自体が、「焼く」という行動として処理される。
【成功 成功度:10
ハンバーグが完成しました
料理効果:被ダメージ20%減少、???】
またしても、完全成功。
グレーターバッファローの肉は、料理素材としては難易度が高い。
それを二工程とも成功度10で仕上げられたことに、さすがに自分でも驚きを隠せなかった。
素材のレア度が高いほど、そして成功度が高いほど、料理の効果は上昇する。
味も、はっきりと良くなる。
特に今回付与された「被ダメージ20%減少」は破格だ。
ハンバーグ自体に被ダメージ軽減効果はあるが、付いても数%がせいぜい。
20%は、俺でも滅多にお目にかからない数値だった。
さらに――
「???」という、食べて初めて効果が判明する特殊効果まで付与されている。
これは高成功度時にのみ現れるボーナスで、内容は摂取時まで伏せられる仕様だ。
レア効果が出ることが多く、これもまた滅多にない。
「できたぜ、クマサン! これがグレーターバッファローの肉で作れる最高のハンバーグだ!」
俺は香ばしく焼き上がったハンバーグを皿に乗せ、カウンター席に座るクマサンの前へ差し出した。
ジュッ、と肉汁が弾け、濃厚な香りが店内に広がる。
あまりにリアルな匂いに、ここがゲームの世界だということを一瞬忘れそうになる。
「おおっ……これはまた、うまそうだな。ショウのハンバーグを食べるために、俺はこのゲームをやっているようなものだ」
クマサンは目を輝かせ、ナイフとフォークを手に取った。
少々大げさなのはわかっている。
それでも、その言葉が胸に響かないわけがなかった。
俺は少し照れくささを覚えながら、クマサンがハンバーグに食らいつく様子を見守る。
普段は不愛想で口数も少ない彼が、俺の料理を前にしたときだけは別人のようだ。
その表情に浮かぶのは、ただ腹を満たす満足とは違う。一口ごとに何かを確かめるような、噛みしめるような――そんな、静かな喜びだった。
そうだ。
この瞬間があるからこそ、たとえ負け職業と呼ばれていようとも、俺は料理人をやめられない。
しばらく黙々と食べ進めるクマサンを眺めていると、先ほど表示された「???」のことが、ふと頭をよぎった。
会心の出来だっただけに、その中身が少しだけ気になる。
「そういえばクマサン。そのハンバーグ、被ダメージ減少以外に、もう一つ特殊効果が付いてたよな? どんな効果だった?」
「ん? ああ、あれか。あれはな――」
クマサンが口を開いた、その時。
「あー、クマサン! やっぱりここにいました!」
甲高い声が、その続きをかき消した。
店の入り口に目を向けると、白と赤の巫女服をまとったミコトさんが立っていた。
揺れる長い黒髪が、彼女の存在感をより際立たせている。
「ミコトさん、いらっしゃい」
声をかけると、彼女は軽く会釈した。
ところが当のクマサンは振り返りもせず、黙々と食事を続けている。「食事中に話しかけるな」とでも言いたげな空気を感じるのは、気のせいだろうか。
「ショウさん、お邪魔しますね。ちょっとクマサンに用事がありまして」
ミコトさんはそう言って、クマサンの隣に立ち、礼儀正しく頭を下げた。
「食事中にごめんなさい。これから、うちのギルドのアタッカー三人とレベル上げに行こうと思っているんですけど……もしよかったら、クマサンも一緒に来てくれませんか? クマサンのような盾役がいてくれると、私、すごく助かるんです。もちろん、食事が終わってからで構いませんので」
どうやら、レベル上げに誘いに来たらしい。
フレンド同士なら、離れていてもボイスチャットで声をかけられるはずだが……この様子だと、クマサンはボイスチャットを拒否設定にしているのだろう。
きっと、食事に集中するためだ。
……しかし、戦闘職のプレイヤーって、こうやって自然にパーティに誘ってもらえるんだな。
正直、少し羨ましい。
「……ショウも一緒なら行ってもいい」
クマサンの低い声に、俺は思わず目を見開いた。
「え?」
自分でも気づかないうちに、そんなに行きたそうな顔でもしていたのだろうか。
「え、でも……ショウさんは非戦闘職の料理人ですよ?」
ミコトさんが戸惑うのも無理はない。
レベル上げに料理人を連れて行くのは、効率が悪い。
もう一人ヒーラーか、あるいはアタッカーを入れたほうが、どう考えても合理的だ。
「サブ職業を回復系にすれば問題ない」
「……なるほど。私の回復をサポートしてもらえれば、立ち回りも楽になりますし、交代でSPを回復すれば連続戦闘もできますね」
ミコトさんは、清楚で可愛らしい見た目とは裏腹に、効率を重視するタイプのプレイヤーだ。
いわゆる「姫プレイ」とは無縁で、今もクマサンの提案を真剣に咀嚼しているのが、その表情からはっきりと伝わってくる。
……というか、二人とも俺の意思を完全に置き去りにして話を進めていないか?
俺は「行く」なんて、一言も言ってないんだけど。
――いや、正直に言えば、パーティでのレベル上げには興味があるし、行ってみたい気持ちも、少しはあるんだけどね。
「……確かに、ショウさんなら立ち回りを心配する必要はないですね。下手な戦闘職のプレイヤーを誘うより、よっぽど安心です」
そう言って、ミコトさんは小さくウインクした。
「わかりました。ショウさんも一緒に、お願いします」
その仕草に、俺は一瞬だけ心臓が跳ねるのを感じた。
こうして俺は、クマサン、ミコトさん、そして彼女のギルドメンバーであるアキラ、ジャッキー、クロと共に、街から離れた森へレベル上げに向かうことになったわけだが――その結果が、これだ。
目の前には、そびえ立つような巨体。
圧倒的な存在感と、重苦しい絶望感をまとったネームドモンスター「猛き猪」が、俺達に殺意を向けている。
ネームドモンスターとは、通常のモンスターとは一線を画す、固有名を持つレア個体だ。
同じ名を持つ存在が同時に複数現れることはなく、倒されれば再出現までに長い時間を要する。
そして何より――
この森で「猛き猪」が出現したという話は、今まで一度も聞いたことがない。
完全に想定外。
偶然にしては、あまりにも最悪すぎる遭遇だった。
だが、今となっては嘆いている場合じゃない。
俺は距離を一気に詰め、剣よりも馴染み深い高級包丁を握りしめる。
料理人として、いつも使ってきた得物だ。
そのまま踏み込み――
猛き猪へと、包丁を振り下ろした。
【ショウは猛き猪に攻撃 ダメージ1】
最低保証。
攻撃が命中すれば、どんな相手でも必ず1は通る。
つまり――
俺の攻撃は、その最低値しか出せていないということだ。
戦士、武闘家、暗黒騎士の三人も同じだった。通常攻撃では、誰一人として一桁を抜け出せていない。
……わかっていた。
まともなダメージなんて、通らないと。
それでも――
せめて、料理人としての意地くらいは見せたかった。
今、俺が包丁を握っている理由は、それだけだ。
「この状況で、包丁で戦うとは……ショウらしいな」
「どのみち絶望的な状況なんですから、好きにしてくれてかまいませんよ!」
俺の行動は無謀にしか見えないはずだ。
それでもクマサンは盾となって攻撃を受け続け、ミコトさんも、勝ち目がないと理解した上で回復の手を止めない。
二人があんなに必死なのに、俺にできるのは、これだけなのか。
駄目元で、俺はスキル欄に視線を走らせた。
サブ職業の白魔導士が使える回復魔法は、すべて使用可能を示す白文字。だが、それらはすでにミコトさんが完璧に担っている。俺が補助に回ったところで、焼け石に水だ。
――料理人なんて、クソの役にも立たない。
初めてパーティを組んだとき、誰かに投げつけられたその言葉が、脳裏をよぎる。
悔しいが……否定できない。
それでも――
何か一つでも、悪あがきをしたくて――
俺は、料理人スキルのウインドウを開いた。
……あれ?
料理の際に使うスキルが、白文字になっている。
前にアンデッド系モンスターに不意打ちをくらったとき、焦りから誤ってウインドウを開いたときには、料理スキルは使用不可を示す黒色の文字だった。
それなのに、なぜだ……?
……いや、今は考えている暇はない。
使えるなら、試すしかない。
これで少しでも、猛き猪に嫌がらせができるなら――!
「スキル、輪切り!」
クマサンとミコトさんが、思わずこちらを見る。
だが、俺は構わず料理スキルを発動させた。
【ショウは猛き猪に輪切り ダメージ128】
「……え!?」
自分の目を疑った。
そこに表示されていたのは、この戦場では、あり得ないはずの数値だった。




