第二話 「広場」
ドア。
目の前にはカイザーの背中。いや、後頭部。そしてカイザーの先にあるドア。
このドアと言う物、鍵が掛かっていなければ、何の障害にもならない、ただ部屋の出入り口についているだけの建具でしかない。
だが、今の俺にとって、恐ろしい敵の一つである。
なんせ今の俺にはドアノブに掛けるべき手がない。
「カイザー。どうやってドアを開けるんだ?」
「開ける必要なんてないわ。ここじゃここ」
そう言うとカイザーはドアの下部分に向かって小さくジャンプした。
パタンという音と共に、カイザーの姿が消えた……。
「え?」
なんだこれ、どうなってる!?
俺はカイザーが消えた辺りを、よく観察してみることにした。
この部屋、窓がなく、照明器具も燭台と謎のカンテラみたいなものが、点々と設置されているだけだ。
部屋の中心部は、それなりに明るいのだが、隅にあるこのドア周辺はとにかく薄暗い……。
目をこらしながら、よーく見てみた。
うっすらと、小さな長方形の切れ込みが見える……。
「ペットドアかよ!!」
そう、猫や犬が通るためのような小さなドアがついていた。
「はよ来んか」
ドアの向こうからカイザーの声が聞こえる。
「はぁ……」
俺はため息を吐きながらその小さなドアへと飛び込んだ。
――――
演説が行われるという広場へ向かうため、部屋から出た俺とカイザーは、長い廊下を飛び跳ねながら移動していた。
「カイザー」
「なんじゃ?」
「この廊下なんか斜めになってね? これもう廊下じゃなくて、坂になってね?」
「うむ。今から地上へ出るのじゃから、当たり前じゃのう」
なるほど。さっきの部屋は地下にあったのか。
どうりで窓がないはずだ。
「なんで坂になってんだよ? 普通、階段だろ?」
「パントロ……。お主はバカか?」
「あぁ!?」
「階段より坂の方が、スライム族にとっては移動しやすいじゃろうが」
ああ。そう言われりゃ確かにそうだな。
階段だと、着地する場所をミスったら一気に転げ落ちる可能性があるもんな。
「なるほど……。じゃあもう一つ」
「なんじゃ?」
「あとどれくらいで地上に出るんだ? もうかなり移動したと思うが……、どうなってんだ?」
ここまでかなりの距離を移動してきた。何度角を曲がったか分からないほどだ。
「ほれ、あの角を曲がればすぐ先じゃ」
「お、そ、そうか……。やっと出られるんだな」
角を曲がった先は、小さめの部屋のような空間があった。
俺達が上ってきた坂とは違う方向にもう一つの通路が見える。
「ちょっと待っておれ」
「おう……」
カイザーは部屋の隅にある机へと向かった。
机の上には、何だかよく分からない長い筒のような物が置いてある。
なんだアレ? どっかで見たことがあるような気がするが……。
うん。分からん。
すぐに興味を失ったので、部屋をぐるっと見渡した。
机とは反対側に大きな鏡があった。
なんとなく鏡に近づき、自分の姿を今一度、見ることにしたのだが……。
鏡に映ったのは、やはり紫のスライムだった……。
気持ち悪いな……。
さっさと夢から覚めたい……。
「準備できたぞい」
「お、おう……」
俺はカイザーがいる方向へと振り返った。
「なんだそれ?」
カイザーの頭に、先ほどの謎の筒がすっぽりと被せてあった。
「神官帽じゃ」
「いや、帽子ってサイズじゃないだろ!! お前の倍以上の長さがあんだろ!! つーか、どうやって被ったんだそれ!!」
「ふぉっふぉっふぉ。これがワシの真の姿。神官カイザー様じゃ!!」
カイザーは、何故かキメ顔で自信満々にそう言った。
「いや、意味分かんねーし!」
「これはワシの正装じゃ」
「せ、正装……?」
「そうじゃ。魔王様の演説を聞くのじゃから、正装くらいせんとな」
「スライムに、正装もクソもあんのかよ!?」
「社会的地位があるから、その辺りはしっかりせんといかんのじゃよ」
なんだよ社会的地位って……。
お前、ただのスライムだろ……。
「さあ、そんなことはどうでも良い。さっさと行くぞい」
「お、おう……」
小部屋を抜けた先には、大きな部屋があった。
謎の祭壇のような物があり、一体何のために作ったんだと思うくらい大きな両開きの扉。
扉の前まで進んだところで、カイザーが止まった。
どうせペットドアがあると思い、扉の下部分を探してみたのだが、見当たらない。
「何をしとる?」
「いや、どこから通るのかと思ってさ。穴探してた」
「そんなもんないぞ」
「ん? ないの?」
「とうっ!!」
カイザーは、高々とジャンプした。
そして、扉の中心部分に軽く体当たりをして、落ちてきた。
「なにしてんだよ?」
「ほれ、いくぞい」
次の瞬間。大きな扉がゴゴゴっという音と共に開きだした。
「押しボタン式の自動ドア!?」
驚く俺を無視して、カイザーは進む。
扉の先は外だった。
が、何故か異様に暗い。
周りが見えないほど暗い訳ではない。
雨雲で覆われた日のような暗さ。
ふと空を見上げてみた。
「なんだこれ……」
空は赤紫のような色をしており、太陽が無い。
太陽を探したが、太陽がどこにも無いのだ。
それなのに何故か空は明るい。
空自体が光を発しているのか?
いや、そんな意味不明なことがあるはずがないよな。
どうなってるんだ……。
「どうしたのじゃ?」
「いや……、空が変だろこれ……」
「んん? 別に変じゃないじゃろ」
変じゃない……? 俺の目がおかしいのか?
いや、太陽が無いんだぞ!?
「た、太陽は!? 太陽どこだよ!?」
「ほう。太陽を知っておるのか。やはり貴様天才か!?」
「いや、意味分からんし!? どういうことだよ!?」
「太陽というのは人間界にあるものじゃ。魔界にはない」
魔界……? 今、魔界って言った?
「ちょっ! 待て! 魔界って何だ!?」
「魔界は魔界じゃろ。ここは魔界じゃ」
「……魔界ってあの魔界? 魔王とかがいる魔界?」
「そうじゃよ? パントロ……。お主今から魔王様の演説に行くのに、今更何を言っておるのじゃ?」
ああ、そうだった。魔王の演説に行くんだったな。
魔界でいいのか……。
いや、よくねーよ! 俺の夢とはいえ魔界って何だよ!
そんなのゲームとかアニメでしか見たこと無いわ!
なんでこんな変な夢見るかな……。
「ほれ、いくぞい」
カイザーは俺の返事も待たず、飛び跳ねながら移動を開始した。
「ちょ、待てよ!」
俺はカイザーの後頭部を追いかけた。
――――
演説が行われるという広場にやってきた。
ここに到着するまでに、いろんな色のスライムに出会った。というか、見た。
様々な色の種類があるらしく、全色あるんじゃねーの? と思うほどだ。
例えば、カイザーのような黄色と言っても、薄い黄色から濃い黄色まで個体によって微妙に違う。
顔はほとんど一緒だ。目と口しかないからな。微妙に位置が違うみたいだが、いまいち俺には分からない。
色で区別した方が分かりやすい。
俺達が広場に着いたときには、すでに相当な数のスライム族達がいて、ちょっとした祭りのようになっていた。
縁日の屋台ような店が並び、何かを売っているようだった。
「おい、カイザー。アレは何を売ってるんだ?」
「ん? ああ、水じゃな」
「じゃあ、あっちは?」
「水じゃな」
「……。あっちは?」
「水じゃな」
「……」
「……」
「水しか売ってねーのかよ!!」
「スライム族にとって、水がどれほど大切か分からんのかっ!!」
「いや、だって水だろ!? そんなの売る物なのかよ!?」
「確かにこの辺りでは水には困らん。じゃが、売られている水は、ここから遠く離れた場所でしか手に入らない、とても澄んだ綺麗な水じゃ。」
「いや、違いとか分からんから。俺まだこの世界の水飲んだことないし。」
「そう言えばそうじゃったの。どれ、一杯奢ってやろう」
そう言うとカイザーは一つの屋台へと向かった。
俺はそれについていく。
「水、一杯貰おうか」
「へい! 毎度!」
店主らしき、グレーのスライムが元気にそう言った。
店主は器用に頭を使い、皿のような物を俺達の前にある台に置き、これまた器用にホースのような物を皿にセットした。
ホースの先から水が流れる。
皿一杯に水が満たされたところで、水が止まった。
「どうぞ!」
どうぞって言われても……。
何これ? どうやって飲むの?
口を皿につけて飲めばいいのか?
「どうした? 飲まんのか?」
「えっと……。どうやって飲むの?」
「はぁ……、パントロ、やはりお主、バカなのかもしれんな……」
「うっせーよ! バカでいいから教えろよ!」
「店主、もう一杯貰えるか」
「へい! 毎度!」
カイザーは、もう一杯の水を頼むと、俺の方を向いた。
「こうして飲むんじゃ」
カイザーは、先ほど俺の前に出された水を、皿ごと一口で飲み込んだ。
「ええええええええええ!! 皿ごと!? 皿ごとイっちゃうの!?」
次の瞬間、カイザーの口から皿が吐き出された。
「店主、中々良い味だな。これはあれか? 精霊の森の水か?」
「へい! さすが神官様! 良くお分かりで!」
俺を無視して店主と話すカイザー。
「お待たせしやした! ぼっちゃん! どうぞ!」
俺の前に、水が入った皿が置かれていた。
「マジか……」
「ほれ、飲んでみるがいい。美味いぞ」
やるしかないのか……。
俺は意を決し、口を大きく開け皿にかぶりついた。
んっ!?
なんだこれ! めっちゃウマイ!!
少しだけ甘みがある。その甘みが体の疲れを吹き飛ばしてくれるような、そんな感じだ。
そして水が体全身に浸透していく感じが分かる。ああ、これ以上なんて表現すればいいのか……。
とにかく、こんな美味しい水を飲んだのは人生初だ!!
俺は皿を吐き出した。
「どうじゃ? 美味いじゃろ?」
「ああ! 最高だ!」
「ふぉっふぉっふぉ。店主、会計を頼む」
「へい! 水二杯で四百モルカです!」
「うむ」
そう言えば……。
カイザーって、金なんて持ってるのか?
カイザーは、口から四枚の銀色のコインを吐き出した。
「え?」
「へい! 四百モルカ。丁度ですね。ありがとうごぜーます!」
「さて、行くか」
「えええええええええええええええええ!! 口から出した! 口から!! え? なんで? 口からなんでお金が出て来んの!?」
「なんじゃ、やかましい」
「いやいやいやいや。口から金!? はぁ!?」
「何を騒いでおるのか知らんが、さっさと行くぞい」
「ちょっと待てよ!! 説明しろよ!!」
俺を無視して広場の中央に向かうカイザー。
人混みの中、いや、スライム混みの中、カイザーはスイスイと進む。
俺はカイザーのあの長い帽子を目印に追いかけた。
――
広場には舞台が作られており、舞台上には玉座が用意されてる。
俺がカイザーに追いついたとき、カイザーはその玉座がよく見える位置をキープしていた。
「はぁはぁ……」
「そんなに疲れてどうした? 大した距離はないじゃろう」
「いや……、はぁはぁ……、人混みが……、スライム達が多すぎる……。ぶつからないように、移動するのって大変だな……。はぁはぁ……」
「ふぉっふぉっふぉ。慣れじゃ慣れ」
簡単に言ってくれる……。
慣れそうもない。いや、慣れる必要なんてない。
どうせ夢から覚めたら終わりなんだ。
そう、夢から覚めたら終わり……、でも、さっきのは気になる。
「さっきの……、はぁはぁ……、説明しろよ……」
「さっきの? はて? 何のことじゃ?」
「く、口から! はぁ……。口から金出したろ!」
「ああアレか。アレはほれ、口袋じゃ」
くちぶくろ……?
「なんだそれ……? 知ってて当然。当たり前。みたいに言うなよ!」
ふぅ……。
大分呼吸が落ち着いてきたな。
「なんじゃ? 当たり前の事を、当たり前に言って何が悪い?」
「当たり前じゃないから! 口に袋があるとか知らないから!」
「ほれ、口の中にもう一つ穴があるじゃろう? そこじゃそこ」
「いや、わかんねーよ! どこだよ!」
「ふむ。口の上辺りじゃ」
あ……。あった……。
なんだこれ? きめぇな。
自分の意志で、開閉できる穴があるけど……。
どうなってんだこれ? 気持ち悪すぎるだろ。
カイザーは、ここに金を入れてたのか?
「その表情から察するに、分かったみたいじゃな」
「あ、ああ……。これって何なんだ?」
「我々スライム族特有の機能と言えばいいかのう? 小さな物なら口袋に入れて持ち運べるようになっとる」
「どれくらいの量の物が入るんだ?」
「そうじゃのう……。水で例えるなら500mLくらいじゃの。まあ個体差があるのでな。何とも言えんが」
ペットボトル一本分か。意外と入るな……。
「む? 魔王様がおいでじゃ」
魔王が来たってことは、とうとう演説が始まるのか。
さっさと演説聞いて、早く寝たい。
早く夢から覚めないかな……。