この手は離さない
流川綺羅は愕然としていた。もう二度と見たくなかった状況と酷似した光景が目の前に広がっている。
データで形だけを再現した花山静香の手を左手で握りしめ、右手で崖の縁に手をかけている竜宮健斗。
顔を真っ赤にして耐えてはいるが、力が入らない崋山優香の体を支えるほどの腕力は、少年の腕にはない。
縁を掴んでいる右手も力を入れ過ぎて爪の隙間から血が滲み始める。筋肉も悲鳴を上げているだろう。
流川綺羅の意識にフラッシュバックする光景は、人生を狂わせたバスの事故だ。
隣にいた花山静香を庇って狭間進歩という少年が鉄骨に潰されている。そして助けを求めるような顔で手を伸ばしたまま、死んだ。
今の竜宮健斗はその時の狭間進歩そのものだ。少女のために、自らの命をかける。
流川綺羅には理解できない行動だ。むしろ理解したくない原理だ。なんで、という言葉すらも吐き出したくない。
誰かのために命をかけること、流川綺羅にとって傷となる部分に竜宮健斗は無意識に触れた。
「ぬ、ぐ……綺羅、俺はお前のことはわからない。当たり前だよ、初めて会ったんだから」
「止めて」
「だけどこれだけは言えるよ。データ上とはいえ、俺の友達を殺すなよ!お前だって友達がいただろう!」
「止めてよぉおおおおお!!忘れるわけないじゃん!!だから辛いんだからぁああああああああ!!」
流川綺羅の叫びと共に竜宮健斗が力を込めている右腕に長い針が突き刺さる。神経データを一本一本はぎ取っていく。
力が抜ける腕に驚きつつも、竜宮健斗は地面から指を離さない。握りしめている崋山優香の手も離さない。
頭を抱えてうずくまった流川綺羅、息を荒げたまま黒い扉を空中に出現させる。
「選んで……その手を離して電脳世界に向かうか。離さないまま右腕の神経データを消失してデータの奈落に落とされるか」
このまま崋山優香を見捨てれば竜宮健斗は目的の場所へ向かえる。右腕も無事なままだ。
しかし見捨てないという選択をすれば、目的の場所へ向かえないまま右腕を動かせず、データとして彷徨うよりも酷い目にあうか。
ジョージ・ブルースが用意した希望と絶望。どちらを選んでも竜宮健斗という存在意義は揺らぐ。
崋山優香が鍵だと見抜いていたジョージ・ブルースは歪んだ笑みを浮かべ、画面の中を見続ける。
流川綺羅はデータなのだからと崋山優香を見捨ててほしいと願う。本当の崋山優香ではないのだから、消えても問題ない。
視界が揺れ、崋山優香の手が汗で滑り落ちそうな最中、竜宮健斗は汗だらけの顔で笑みを浮かべ、答える。
「俺は優香の手を離さないよ。データとか、そんなの関係ない。そうやっていつも生きてきたから」
信じられなかった。流川綺羅は頭が混乱し、動揺して奇声を上げ始める。
画面を眺めていたジョージ・ブルースはここが墓場だと判断し、竜宮健斗の右腕の神経データを壊す仕掛けを作動させる。
再度長い針が右腕の神経の数だけ突き刺さる。力を入れるどころが、感覚すらもなくなった竜宮健斗は指を離してしまう。
それでも崋山優香の手を握り締める左手だけは、変わらず力を入れ続けた。絶対に離さない。
アニマルデータという存在、狭間進歩という存在、それらに付き合ってきた竜宮健斗にとって、データだから、というのは理由にならない。
だからこそ彼を信じていく者がいる。頼る者がいる。助けようとする者がいる。奈落よりも底でひび割れたような音が耳に届く。
それに気付かない流川綺羅は叫ぶ。自分でも何を言っているか判断できない、心からの叫び。
「なんでよぉっ!!?おかしいでしょ!?データじゃない!友人とはいえ、自分の命より大事な物ってあるの!?わけがわからない!もういや、もういやぁあああああ!!」
バスの事故。死んだ友人。少女を庇う少年。偶然助かった自分。自分に助けを求めて死んだ少年。大好きだった友達の死。
流川綺羅は誰かにわかってほしかった。ただし何をわかってほしいのかが、わからない。誰にも相談できないほど、不明な物の正体が掴めない。
同じ気持ちを味わったはずの大好きな少年は、治療のせいで会えなかった。苦しくて耐えられなくて、生きていられないと思った。
忘れられたら良かった。しかしそれは本当に楽しくて幸せだったことも忘れてしまう。それも嫌だった。
理解できない、理解してもらえない。二つの思考によって板挟みになり、流川綺羅は考えることを止めるために深い眠りを選んだ。
そのはずなのに幸せな世界を夢見続けている。いつの間にかそちらが現実と認識するようになった。違和感は消されていた。
「誰かぁ……助けてよぉ……」
流川綺羅の口から零れ出た声は、ある病室に届いていた。それを聞いた青年が、ベットの上で眠る女性の顔を見つめる。
傍らにいた少年少女達は黙って青年を見守った。色々知ってもらうために、青い血の力を借りて、全ての映像を携帯電話を通して見ていた。
全てを理解したわけではなかったが、青年は覚悟を決めて少年少女、羽田光輝達に力強く頷いた。
奈落へと落ちていく最中、竜宮健斗は耳に届いた声へ向かって笑みを浮かべた。
<電力全開!クラカ、いけぇっ!!>
<はい!健斗さん、私の胸に飛び込んでください!>
流川綺羅が作り上げた終わり続ける世界に穿った豊穣雷冠の力が、奈落の底にひびを入れていた。
マスターが世界設定に介入したことと、流川綺羅が大きく動揺したことにより、力技で可能となった芸当だ。
ひび割れを突き破り、両手を伸ばしたクラカが竜宮健斗を受け止める。同時に崋山優香の姿をしていたデータが霧散し、形もなくなる。
一瞬だけデータの崋山優香の表情は最後に微笑んでいたように見え、竜宮健斗は一安心しつつ自分の右腕を見る。
異常は一切ないように見えるが、力を入れることもできない。触れられても感覚が伝わってこない。
クラカもそれに気付いたが、それどころではないと抱きしめた竜宮健斗を急いで一週間で終わる世界の扉へと目指す。
ジョージ・ブルースが仕掛けていた希望をちらつかせるための罠用の扉。それを逆に利用して、竜宮健斗を侵入させる。
しかし扉は固く閉ざされていて、クラカの力だけでは開きそうにない。どうしようかと逡巡する暇もなく、クラカを追い抜く影が二つ。
一つは光の速さ動くトット、もう一つがネット上では最強の力を誇るアラリス。二人は目を合わせて、勢いよく扉を蹴り破った。
<僕達はここまで!後は任せたよ、健斗!>
<遊園地の時の恩をここで返したからね。頑張って!>
<私に人間が間違うことを教えてくれた人、御武運を祈ります>
三者三様の言葉を受け取り、竜宮健斗は仲間の力を借りて電脳世界に入り込む。
振り向いている暇はない。電脳世界がどうなっているかと聞く暇もない。
まだ一つ目を乗り越えただけだと理解している竜宮健斗は、扉が閉じる前に三人に向かって声をかけた。
「ありがとう、皆!」
最強ウイルスのアラリス、地底人のトット、アンロボットのクラカ、能力者の豊穣雷冠。
並べるだけで竜宮健斗が様々な出会いをしたというのを表わしている。同時にそれらに区別をつけないということも。
彼にとって全てが大切な出会いであり、仲間である。変わらない少年の後ろ姿を最後に、クラカ達の目の前で扉は閉じられた。
『皆さんおはようございます。本日は雲一つない快晴となるそうです。世界滅亡の前に熱中症にお気を付けを。それでは良い火曜日を』
竜宮健斗は家のリビングにあるテレビから流れて来たニュース音声に目を丸くする。
月曜日がすでに終わっているという事実。日曜日まで一日少ない始まりとなってしまった。
慌てて外に出ればニュース通り雲一つない快晴で、照りつける太陽の熱に頭がふらつきそうになる。
右腕を上げて頭を支えようとしたが、動かせないことに気付く。仕方ないので左腕で抱える。
予想以上に右腕が使えなくなったことは不便であった。だが竜宮健斗は後悔していない。
崋山優香を守れたという事実が、竜宮健斗を強くしていく。しかし動かせない右腕をそのままにするのは面倒だ。
誰が一番頼れるかを考え、頭に浮かんだ人物がいるであろう南エリアへと向かう。
それは意図せず狭間進歩が花山静香達と南エリアの海に向かっているのと同じ日だった。
カキ氷を食べる約束をしていた籠鳥那岐は、早速家から出ようとして家の扉を叩く音に驚く。
開けてみれば汗だらけの竜宮健斗が安心したような笑顔を見せ、問いを告げる前に用件を伝えてくる。
「那岐!俺の右腕動かせないから、固定の仕方教えて!」
「……は?」
「いやー、ジョージ・ブル―スの罠にかかっちゃってさー。右腕の神経データ全部奪われたみたいで、動かせないんだ。那岐なら固定方法を知ってそうかなと思ったんだけど」
「……わ、すれてた。あまりにも幸せで、他に侵入した奴の存在を忘れてた」
カキ氷で浮かれている場合じゃないと籠鳥那岐は自分を叱責する。阿保みたいな顔で笑っている竜宮健斗のせいで、脱力もしてしまう。
症状を聞けば感覚すらもないというので、試しに竜宮健斗の右腕の皮膚をつねる。本当に痛みすら感じられないらしく、首を傾げられた。
ならばギプスか胴体に密着するタイプの布固定方法が良いと判断した籠鳥那岐は、将来のために勉強している道具箱から固定布地を出す。
手際よく竜宮健斗の右腕を固定していく籠鳥那岐。真剣な様子を見ながら、竜宮健斗は尋ねる。
「どう、この世界は?俺さっき入ったばかりだけど、那岐は月曜日を体験したんだろう」
「ああ……幸せな世界だ。思わず身を委ねたくなる甘さはある。彼女も、この世界では生きていける」
「那岐。一週間だけだよ。那岐はこの世界に彼女を何度も消されてもいいの?」
竜宮健斗の静かな声に、籠鳥那岐は即座に首を横に振る。最後の扇動涼香の言葉を思い出す。
データとなって二度目の死を味わうと知った時、扇動涼香は死ぬのは一回だけでいいと言った。忘れないで、とも残して消えた。
そんな彼女を幸せが満ちた世界とはいえ、何度も消されるのは籠鳥那岐にとっては不服なことだ。
「土曜日まで、待ってくれ。それまでにケジメをつける。約束する」
「うん、わかった。那岐なら約束守ってくれそうだし、安心だよ。あとは他に侵入に成功したのだけど……進歩に聞いた方が良いかな」
「だろうな。奴が一番の鍵であり、元がこの世界のデータだから成功率も一番高いはずだ。今日が火曜日なら南エリアに来ているはずだ」
「そっか。じゃあ探してくるよ、ありがとう那岐。お互いに頑張ろうな」
笑って拳を目の前で作る竜宮健斗に、籠鳥那岐も笑って拳を作り、軽くぶつけ合う。
いつだって籠鳥那岐が横道に逸れそうになった時、竜宮健斗が現れては答えを持ってくる。
これが天然なのだから恐ろしい奴、と籠鳥那岐は竜宮健斗をすごい奴だと認め、心底信頼していた。
竜宮健斗が去った後、籠鳥那岐は自分に気合を入れ直す。甘さに身を委ね、自分を見失うわけにはいかない。
今も錦山善彦や伊藤三つ子、ついでに御堂霧乃が病院地下で戦っているのだ。一人だけ幸せを受け入れて、目的を忘れていいわけがない。
思い出の中で笑う扇動涼香を思い出す。大好きを超えて愛していた少女。もう二度と会えない、だけど変わらない愛を抱き続けられる相手。
「瞼を閉じればいつでも彼女に会える。だからこの世界は最初から俺には必要なかったのに…馬鹿だよなぁ」
自嘲するように籠鳥那岐は近くの壁に頭を軽くぶつける。あっさりと惑わされた自分が情けなくて小さな笑いが止まらない。
もう迷わないと決めた籠鳥那岐はしっかりとした足で立ち上がり、二つの約束を守ろうとカキ氷を食べると約束した店へ向かう。
土曜日までにケジメをつける。そのケジメの内容は籠鳥那岐にとって大切な物であり、決して御堂霧乃の前では言えない物だった。




