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第九話:晴れた日の決別

「ウィライル、おはよう」

「おはよう、レオン兄ちゃん」

 自室は二階にあって、階段から降りてくるところでウィライル──まだまだ幼い少女と会った。少女ウィライルの部屋は両親の目が行き届く一階だった。

「レオン兄ちゃん、ご飯できてるよ。それでね、私が呼びに来たの」

「そうだったの。来てくれて嬉しいな。ウィライルもお腹空いただろう」

「ええ、とっても!」

 少女の髪は透き通る程細くて、薄い茶色をしているので光に当たるとはちみつ色になる。はちみつのようだと言うと彼女は甘くないんだよねと返してきた。

 無邪気だが茶目っ気たっぷりに反抗を示しながら言い返す強情な少女に今は慣れた対応で接する。

「さあ行こう、そのあとは分かっているんだね?」

「はあい、今日はレオン兄ちゃんも一緒なんだ?」

「そうだよ、だからちゃんと行こう」

「はあい……」

 ご飯を食べたあとにレオンがウィライルに一緒に来るよう促す。例え、彼女が嫌だと言っても行かなければならないところだ。

「これが終わったら──お医者さんに見てもらおうね」

「いやだけど、行くわ」

「よろしい」

 彼女にとっては、苦しく険しい道だった。目が離せない理由も彼女の身体にあった。

 彼女自身、幼いながら嫌気が差しているのだろう。だが、一方で人想いな彼女は不快に顔を歪めながらも頷いてみせる。

「いこー、レオン兄ちゃん」

「ああ、行こう」

 笑顔を弾けさせて健気に生きる彼女を、喜びと悲しみの入り交じる瞳で見つめていた。

 ──ライザ。

 心の中で、自分の拠り所となる存在に呼び掛けて。


 ライザの妹であるウィライルは、生まれつき心臓が悪かった。いつ、心不全を起こすかも分からないほどらしい。

 だから、いつもハラハラしていた。何が起こるか分からない中、耐えていくのは辛かったようだ。

 昔から家族ぐるみで付き合いのあったレオン一家はそんなウィライルの状態を知り、ライザ一家に寄り添ってきた。

 そのせいだろうか、ライザ達が見えないところで苦労してきたせいもある。だがその甲斐あって今まで何も起こらずに過ごしてきたのだ。これからもそうであると信じた矢先。

 ──ライザの父が運転事故を起こし、ガードレールに車ごとぶつかってしまうという痛ましい出来事が起こったのは。

「お父さん、お母さん……ねえ、ねえ、目を覚ましてよ、ねえ、何で寝てるの、ねえ、目を開けて、ねえ、ねえってば!」

「ライザ!」

「レオン兄ちゃん、目を覚ましてくれないの。僕、悪いことしたの?」

 悲痛な表情を目の当たりにして、何て答えたのか分からない。だが、たまたま一緒に出掛けてよかったと思う。

 まだ幼い弟アレスと妹のウィライルは自分の両親が何とかしてくれていた。だから、少しでも力になりたい。

 ……ライザは──自分が守るのだ。

 抱き締めた瞬間、この熱を手放したくないと思う。彼を苦しめる全てから守る覚悟をした矢先。

「いやだ! 父さんと母さんのいない場所なんていたくない!」

 ライザ宅の家は引き払うしかなかった。だけど、はからずも結果として彼の居場所を奪うことになってしまった自分はライザに拒絶された。

 何度宥めてもライザは拒絶するばかり。困った果てに探し当てたのは──今の場所。

 読書のために行っていた場所が身寄りのない子を引き取る修道院であることを知ったのは図書室に通いつめて随分後になった。

(あそこなら、ライザを幸せにしてやれる)

 苦しんだ末に、ライザを修道院に預けることにした。

 最後まで拒絶したライザだが、妹弟を思う気持ちは強く、レオンに委ねることにしたらしい。

「よろしくおねがいします」

 たどたどしい口調で頼まれ、頷いてみせたが、肝心のライザとは繋がることもないまま。

(ライザ……手放したくなかったのに)

 小さい頃から、彼はライザをずっと思っていた。

「レオン兄ちゃん」

 兄に、なりたかった。

 本当に兄弟なら、守っていられたのに。離れずに済んだのに。

 この選択は間違いないのかと今でも考える。

 抱き締めてでも置いておいた方がよかったのではないか、と。

「レオン兄ちゃんってば!」

「あ、ああ、ウィライル……ボーッとしてた。ごめんね」

「ライザ兄ちゃんのこと考えていたの?」

「はは、誤魔化せないね」

「ライザ兄ちゃん、遠慮がちだから、レオン兄ちゃんにも気遣い過ぎるんじゃない?」

 無邪気でマセ気味。ウィライルの性格だ。この性格に手を焼いたこともあるが、同時に助けられたこともある。彼女はこうやって自分の気持ちに寄り添ってくれるのだ。

「そうだと嬉しいなあ」

「きっとそうよ、だから自信持ってよ?」

「分かった、ウィライルがそこまで言うなら。でも何にもないよ」

「えーっ!」

「帰って来たらライザ呼んで皆で食事をしよう」

「うん!」

「ミス.ウィライル」

 看護婦が彼女の名前を呼ぶ。その途端、背筋に緊張感が走る。未だに慣れない緊張感は時に倒れそうになったりもするが、彼女を思えば耐えなければならない。

「行こう」

「うん!」

 彼女の手をしっかり握り締めて、新たな戦場へと赴く。大丈夫だと何度も言い聞かせて。


「あー、暑いなー。なあ、部屋入ろうよー」

「何言ってんの? あんたがつまみ食いしたせいで怒られて私達まで玄関掃除なのよ?」

「二人とも……さっさと済まそうよ……」

 レイリアとルークが言い合いをするのを見て呆れながら注意するライザ。

 全ては朝食の時にまだ話をしている先生の目を盗んでルークがつまみ食い──しかも、レイリアのご飯に手をつけ、怒った彼女が反撃してルークのご飯をつまみ食いした──何とも両成敗としか言い様のない展開だが責任はグループで負うという決まりのため、ライザも駆り出されている。それも、彼は何にもしてないのに、だ。

(まあ、しょうがないよなあ。この二人だから)

 そう言ってライザは黙々と掃除を再開する。

 この施設は、連帯責任と集団生活をすることによって働いてゆけるようにする場所だと、当時のライザにとっては難しくて理解しきれない言葉で説明されたのを覚えている。

 だが、ここにいる人達はみんな優しい。だから、何も怖くない。幸せすぎて怖いと思うことなら多々あるのだが。

「ねえ、ライザ、お前を巻き込んで本当に申し訳ないと思ってるよ」

 ルークのいつもの発言に苦笑しながら頷いた。もう何度か目のやり取りだ。こんなわんぱくなルークの調子に最初は戸惑ったが今ではルークがこんな調子でないと逆に落ち着かなくなった。ルークが大人しい日はどこか退屈。ライザはそんなことを思いながら掃除を再開する。

「ライザ、たまには怒っていいのよ? あたしが言っても効果ないけどライザが言ったら効果あるから。反省するから」

「んー、僕が言っても効果ないような気がするよ」

 レイリアの慰めにライザは笑みを浮かべて答える。レイリアはライザを心配しているようだった。もしかしたらいつもこんな目に遭うことに不満を抱いているのではないか、と。

 そんなことはない。いや、全くないと思ったら嘘になるが、もうこれも含めてルークと思っているので今更だ。

 ルークとレイリアなら、どこででも生きていける。どこに行っても生きていける。それが羨ましいと思ったことが何度もあった。

 ──レオン。

 優しい兄のような存在だった。その手を拒否して、誰からも離れて、これで良かったのか。

 レオンの元から離れるのを選んだのは、自分が頼りないからだ。

 両親がいなくなった現実を受け止められず、伸ばされた両腕に包まれて泣いたからだ。あの手は温かかった。離れられなくなる、そう思った。

 レオンの重荷にはなりたくなかった。寄りかかるのが目に見えている。あの温もりは、怖い。何故、あの人はあんなにも優しいのか自分にはわからない。わからないものはとにかく怖いのだ。

 ただ、結局何もかもから逃げてここで閉じこもっているだけ。今更どんな顔をしてレオンに会えば良いのか。ライザには分からなかったが、周りは皆分かっているのだろう。レオンの強さが怖くて──。

「あ、レオン様」

 レイリアが、レオンを呼ぶ声をライザは聞いて身を強ばらせる。先程まで饒舌に話していたルークもポカンとした表情でレオンを見上げている。

「やあ、毎日お掃除しているからこの場所はいつでも綺麗だね。僕も手伝うから、ライザを借りても構わないかい?」

 最近、レオンは強引な態度をよく見せる。ライザは首を傾げた。

「わ、分かりました。手伝ってくれるなら、ライザをよろしくお願いします」

 強気なレイリアもレオンには敵わないのだろう。すると、庭の休息所からやって来た人物が顔を出す。

「俺もライザに会いたいんだけど?」

「エルウィン!」

 三者三様に驚きの声を上げて、あっという間にライザの隣に立つ青年──エルウィンを見る。以前と違うのは動きやすい服ではなく、制服に身を固めていることだった。固まる一同を他所にエルウィンはライザの肩を抱く。

「レオン、ライザを少しだけ貸してくれ。大事な話がしたいんだ。ルークもレイリアも、いいかな?」

 レイリアは少し躊躇いを見せた。レオンに怯みながらも条件を突きつけたのだ。エルウィンにも同じ対応をしなければならないと気を張っているのだろう。ライザはレイリアの心情を察し、二人の手を取って微笑んだ。

「みんなで、ここの掃除をしたら早く終わるし、手伝って」

 エルウィンは一瞬目を見開いたが、やがて観念したように笑って了承した。レオンもこれには降参するしかなかったようだ。

 こうして五人は静かに会話をしながら図書室の掃除に専念したのだった。


 掃除を終えたことを園長に報告すると園長は優しい眼差しで五人を賞賛した。

「ライザ君もレイリア君もルーク君もよく出来ました」

 三人の頭を慈しむように撫でて微笑む。この時が一番幸せだった。やがて三人はエルウィンの方を向いた。エルウィンは園長に一礼し、静かに去っていく。

「エルウィン?」

 何故か、エルウィンは無表情だった。いや、無表情よりも固い、強ばった表情で園長を見ていた。最初はそんな彼を叱ろうとレオンはエルウィンに何かを言おうとしたがエルウィンを見つめる園長の瞳には深い悲しみが滲んでいることに気づき、彼等の間にある繋がりに気付いた。

「……園長、エルウィンは、もしかして……」

「……私の、孫だよ。彼は……」

 園長は立ち上がり、窓を見つめる。いつもの慈愛に満ちている神父らしい彼はいない。どこまでも頼りなさそうな雰囲気を醸し出す。

「……エルウィンの両親はね、私のせいで亡くなったのだ。私が、クリスをもっと自由にしていたならば……」

「……園長」

 彼は悲しげに窓のガラスをなぞるばかりだった。

「……クリスは私の娘だった……しかし、私はクリスを過保護に育てた……。きっとクリスは弾圧された事が苦しかったのか、十六の時に見知らぬ男と……男はクリスを見捨てた。やがてクリスには子供がいることを知ってね……もう、手遅れだった。そうしているうちにクリスも……」

「……難産だったのですね……」

「……生まれた彼はクリスではなく相手の男によく似ているようでね……私はクリスを失ったことで彼を憎んだ。彼は親戚にたらい回しにされて、最終的には遠い親戚に引き取られたがあまり折り合いがつかなくてね……親戚から恐らく自分の出生を知ったエルウィンはクリスと私を憎んでいる……エルウィンには申し訳ない事をした……」

「……それで、この園を始めたのですか?」

「……エルウィンにできなかったことを、したかっただけなのかもしれない」

 レオンは何も言えなかった。自分は当たり前のように両親がいて、住む家がある。割合自由にさせてくれる両親を当たり前だと思っていた。

 自分の両親は偉大なのだ。では、両親を失った記憶を背負うライザの気持ちを、自分は少しでも考えただろうか?

 ライザが自分に歩み寄れない理由を、自分に問うた事はあるのだろうか。

 レオンは苦しい気持ちを抱えながら虚ろな園長の背を見つめていた。


 園長は昼間は電気をつけず太陽光を頼りに生活している。その為、どこか暗い部屋に慣れていた視界は眩しい太陽光に耐えきれなかったようである。

「エルウィン!」

 三人は息を切らしながらエルウィンの元にやって来た。彼は不覚にも年齢の差を思い知ることになる。

 自分にとって普通に歩いている速さは彼らにとって走る事に近いのだ。この時の困惑感と一生懸命な彼らの行動が何故か愛おしく思った。もし、この腕がもう少し力強ければ抱きしめていたかもしれない。

「……そういや、話があったんだった」

 エルウィンは自分が彼らに話があると言っていたことを忘れていた。それもそのはずだった。

 元々、この場所は嫌いだったからだ。ずっと寄り付かないと決めたこの場所に足を踏み入れた理由。その勇気を与えてくれたのは、ライザだった。

「君達はさ、夢があるかい?」

 エルウィンが切り出したのは何気ない、寧ろ胡散臭い文字の羅列だった。だが、三人はエルウィンをじっと見ていた。

「俺には、夢がある」

 静かに語るエルウィンに三人は息を呑む。聞き返さなかったのはエルウィンに夢の内容を聞いてはいけない気がしたからだ。何回か会っただけの快活な青年。快活な彼の抱く夢は踏み込んではいけない領域のようなものを悟ったのかも知れない。

 ルークとレイリアはライザ以上に顔を強ばらせていた。特段彼に悪い事はしていない。その筈なのに断罪されているような気になってしまったのだ。エルウィンの顔はこんなにも明るいのに、どうして。

「だから、別れを言いに来た。俺が一番信頼する同志に」

 眩しい太陽を背にしたエルウィンの顔は笑っていた。しかし、その笑顔は身を引き裂かれるような痛みを覚えた。

 ──幸せが、終わる。ライザは思わず一歩引いてしまったのだった。

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