第八話:新たな一歩
いつもならルークが遠慮なく誰かに「頂戴!」とお裾分けを貰い、レイリアを始めとする女子集団に呆れ笑いをされる賑やかな夕食は奇妙なまでに静かだった。
「ルーク、どうしたの? おかわりはいらないの?」
「ああ、それどころじゃないんだよ」
「まあ、あんたが食べ物を無視するなんて明日は嵐でも来そうで怖いわ」
恐ろしいと言わんばかりに驚くレイリアに「たまにはそう言う時もあるんだよ」とムッとした様子で返した。
『朝焼けの綺麗な時に話がしたい』
真剣な面持ちで告げたルークが脳裏に焼き付いて離れてくれなかった。
(僕は、自分勝手だ)
あんな表情をさせるなんて。
いきなりだった。
自分が持っていた気持ちに気付き、どうすれば良いか分からなくて。
ルークに無性に腹が立ってしまった。
「ライザ、もっとゆっくり食べなさいよ」
「そう言うわけにはいかないんだ」
周りから見たら詰め込むように食べていたのだろう。レイリアが呆れと心配を交えた表情で注意してくれたのだが。
とてもゆっくり食べる余裕はなかった。
「ごちそうさま!」
やや乱暴にスプーンを置き、ルークの後を追って走り出した。
食堂を出て通路を歩き、自室へ戻ろうとしていたところだった。
「ライザ」
呼ばれた方向に視線を向けると、ルークが狼狽した様子で待っていた。
「ルーク?」
「……ちょっと、付き合ってくれたら嬉しいけど……」
いつもならはっきりと言う彼がふにゃふにゃと頼り無さ気だったのは初めて見た。
「うん」
ただ、ちょっとだけ避けていただけなのに。
ルークに連れられて一緒に通路を歩き、自室とは反対方向に曲がって。
気付けば……印象的な出会いを果たした図書室にたどり着いた。
「ここなら話ができるな」
辺りを見回すルークを見ているうちに不安になってしまう。
「ルーク……」
「ライザ、どうして?」
呼び掛けようとした時にルークは切り出した。
「……え?」
一瞬、意味がわからず聞き返してしまうとルークは泣きそうな声で続けた。
「どうして、避けるの?」
「ルーク……」
「いつも親しくしてくれたし馬鹿やってさ、三人であんなに楽しくしていたのに、何にも言わないでいきなり避けられて平気でいられるほど人間出来てないよ。俺、何かした?」
怒ったようにも悲しんでいるようにも見えた声色で、避けていたことを指摘されて。
終わりかけになると弱々しいものに変わっていくのが辛かった。
何にも言えなくて俯いているとルークは話すことを止め、じっと見つめていた。
背筋が凍り付く程、静かに時間が経っていく。
あまりの静けさにどうにかなってしまいそうだったが、ライザは意を決して話すことにした。
これ以上、ルークにこんな顔をさせたくなかったからだ。
「ごめん……嫌だったんだ」
「……」
上手く伝えられるとは思えないが、ルークは待っている。
待たせたくないと思い、震える声で続けた。
「レイリアと、仲良くしてるルークを見るのが嫌だったんだ」
わけもわからず腹を立て、見ていたくないと遮断した。
「……レイリアのこと、好きなのか」
「多分」
それで合点がいったのか、安堵した声で彼は頷き、ライザに向かって自分の心の内を話した。
「俺もレイリアのこと、好きだ」
いつもとは違うけど、はっきりと言って笑うルークにライザもつられて笑ってしまう。
「そっか。やたらとくっついているから好きなんだろうなあと思ったけど」
「何か、かわいくてさ」
「うんうん」
さっきまでの雰囲気は何だったのかという位、穏やかで賑やかになる図書室。
こんなやり取りをしているとライザは苦笑気味に思う。
やっぱりルークのことを嫌いにはなれないと敗北感にも似た気持ちになるんだな、と。
複雑化していく心に思わず笑うと、ルークはすっかりいつもの様子で手首をぐいぐい引っ張った。
「なんかさ、ライザの本音が聞けて良かった。すっきりした。早く寝ようよ」
「そうだね、早く行かないとまた怒られるよ」
「ライザ、布団畳みよろしくな」
「たまには自分でしてよ」
すっかりいつものように戻ったライザとルークはバタバタと走りながら自室へ戻る。
あっという間に自室につき、こっそりと中に入ろうとしたところ。
「……あんたたち……」
レイリアが恨めしそうに睨んできたことから全てを悟る。
「あんたたちのせいで図書室の本の整理頼まれたんだけどどうしてくれるのよ……」
「えっ!?」
正直、町の図書室として機能するほど広大なあの場所に納められた本を整理するとは今から憂鬱である。
「あたし、この恨みは忘れないからね?」
三人の中で唯一部外者だったレイリアからすれば踏んだり蹴ったりとしか言いようがない。
「……ライザ、困ったなあ」
「ルーク、逃げないでよ」
「あ、ああ……」
どうやら逃げようとあれこれ考えていたルークはライザにも先制攻撃をされ、頭を抱えていたようだが当然である。
「……ルーク、ありがと」
「え? まあ、受け取っておくよ」
最後にお礼を述べてライザは寝ることにした。
明日も早いのだ。
翌朝。
三人は早々にご飯を食べ終えて図書の整理をし始めた。
「ライザは左、まあまあ多いわね。ルークは右」
「右って持ち出し禁止とかそう言うやつじゃないかよ」
「当たり前でしょ、何か?」
「……いいえ」
「よろしい、では開始」
レイリアがテキパキと決めてくれたおかげで直ぐに行動に移ることができた。
約一名、納得いかないような顔をしていたが。
レイリアは二人が勝手に逃げ出さないように見張る役目だ。
彼女が受付の席に向かおうとした時だ。
「……まだ開いたばかりなのに?」
受付の前で静かに待っている──俗世離れした淡い金の髪がレイリアの視線を捉えて話さない。
兎に角待たせてはならないとレイリアは小走りに受付の席まで向かい、急いで座った。
「レオン様……ですよね」
「うん。ライザの友達、だっけ。確か……レイリアちゃん」
「は、ハイ……」
流石の彼女も気品漂うレオンの前ではいつものような勝ち気な態度には出られなかったらしい。
緊張した様子で対応するレイリアを微笑ましく思いながらレオンはライザの居場所を聞いた。
「ライザは……いるかい?」
「は、はい、でも今は図書の整理をしていて……離れることはできないんです」
いくらレオンでも夕べのペナルティとして行っている図書整理を放棄させる真似はできない。
その間、自分がフォローしなければならないのがいやなだけというのもあったのだが。
惑うレイリアにレオンはある提案を示す。
「……そっか、じゃあ手伝ってくるよ」
「れ、レオン様!」
「二人より三人の方が早い。レイリアちゃん、案内してくれないかい?」
「ですが!」
尚も引き止めようと躍起になるレイリアにレオンは遂に最終手段に出る。
「……頼む、ライザにどうしても会いたい」
レイリアに対し、頭を下げたレオン。
懇願するようにも見えた。
レオンが引き下がる意思はないのだろうと諦め、渋々頷かざるを得なかった。
「大丈夫かしら」
あとでその行為が咎められないかとても心配であるが、レオンがそう簡単に引き下がらないということも彼女には分かっていた。
「助かるよ、レイリアちゃん」
「い、いえ……」
一癖も二癖もあるような柔らかな笑顔には敵わないようである。
てくてくと、慣れない足取りでレイリアはレオンを誘う。
よく見知った場所なのに、未知の世界に足を踏み入れる緊張感と一匙の恐怖を交えながら歩く。
錯乱する思考に叱咤して、割り振りしてライザに与えた領域までレオンを案内し、詰まりそうになる言葉を何とかして紡いだ。
「あっちがライザにやってもらってるとこ、です」
「なるほど、忙しいのに急なことを言ってごめんね。助かった、ありがとう」
「は、はい……」
微笑むレオンにぺこりと会釈をして、レイリアはすぐさまその場を離れる。
ここにはいたくないと、本能的に思ったからだ。
レイリアにとって男とは例えばルークのように食いしん坊かライザのように無邪気で人見知りか周りのように好奇心旺盛なわんぱく小僧しか知らない。
レオンのように大人っぽい男性を見るのは初めてだ。だから怯んでしまう。
見たこともないお洒落なお洋服を着ているのも新鮮であり、恐怖を駆り立てる。
抑えきれない高揚感を散らすようにレイリアは反射的に自分の髪を指でくるくるっと巻いた。
「女の子って何なのかしら」
ごわごわした髪の毛を触りながら密かにため息をついた。
この小さな村からでも時々見る風景が流れるように映像化され、焦りを駆り立てる。
家族のいる女の子は可愛い服を着て、ランドセルを背負って河原を歩いているのはよく見る風景だった。
「ライザもルークも知らないのよ」
いつの間にかレイリアはポタポタと涙を流して泣いていた。
自分たちはもうすぐこの暖かな場所には居られなくなる。
いつまでも、守られることは、ないのだ。
だから──外にいるレオンが何だかとても妬ましく思えてきた。それに難なく触れられるライザも。
自分は……知らない。
「……いいなあ」
自覚してしまった汚い感情に眉間を寄せるも、妬みと羨望と憧れを込めて。
彼女は焦っていた。
早くやりたいことを見つけなければ。
この先にある未来が、とても怖い。
そう思ったのは今日が突然。でも、潜在的なところにはずっとあったのかもしれない染み。ただ、自覚がないだけで。
そんな衝動から、反射的にレオンから離れたけど。
「レイリア?」
声をかけたのは──いつも突っ掛かってくるわんぱく少年──……遠慮のないアイツ……。
いつも、そう。
いつも、彼が、そう。
「ルーク……」
「どうしたんだよ、なんかレイリアらしくないぞ」
「何でもないわよ……」
「何でもなくないだろ、顔くっしゃくしゃにして」
いつだって、彼は変わらない。
「デリカシーの、欠片もないんだからっ!」
「まあよくわかんないけど、ぐしゃぐしゃの顔とにかく隠せば?」
「……ばか」
からかわれているのに、しつれいなことを言われているのに、どうして今だけは、今だけは。
『こんなに優しいのか』
「相変わらず本多いなー、これは絵本、これは……なんか難しいやつだから」
町一番の図書館だけはあるが、利用者といえば興味本意で本に触れてそのままにする人や張り付いて本に浸かる人、くらいだ。
ライザはどちらでもなく、本には興味がなかった。難しくて、よく分からないと言うのもある。
こうやって話せる言葉はたくさんあるのに、どうして読むことは難しいのか、頭が痛いのか。
「お、ライザ、がんばってるね」
「ああ、レオン……」
柔らかな声が労ってくれていて、また、図書館で出会う人もライザの中ではレオンくらいなので。
「驚かないんだね」
彼が思っていた反応と違っていたらしくレオンの方が驚いたようである。
「驚いた方がよかった?」
「うーん、複雑だなあ。それはそれでかなしいかもね」
「そうなんだ、何か読むの?」
あんなに恐れていた人と普通に話せていることがおかしくて、ついつい笑ってしまう。
「もう決まってるんだ。ライザ、一緒に来て」
「? 僕?」
「そう」
レオンがにっこりと頷き、ライザを連れていく。
「よくわかんないから聞き回るけど、いいの?」
「大歓迎さ」
──まるで……。
ずっと憧れていた形だった。
ただ、気兼ねして、逃げ出して、ここに行くことをゆるしてくれて。
わるいことをした自分を、ゆるしてくれないと思い、ずっとおびえていたのに。
「今度遊びにいきたい」
「もちろんさ、あそこはライザの家だ」
少しだけおかしな暮らしをする自分。
いつか、家族になれたらいい。
レオンと歩きながらずっと願っていた。