Case 3-1:雨の夜のデリバリー(City Pop Ver.) - 其の一 -
サクッ、ジュワッ。
狐色に焼き上げられた分厚いパンの隙間から、熱々のチーズとコンビーフの肉汁が溢れ出した。
下層アジト『フリーク・ステーション』の食堂。
レイは両手で巨大なホットサンドイッチを掴み、行儀悪く頬張りながら、幸せそうに目を細めていた。
「んん〜っ! ジーナさん、この焦げたチーズ最高! 噛むたびにカリカリっていい音が頭に響くぜ!」
「冷めないうちに腹いっぱいお食べ。今日は雨足が強いからね、身体を中から温めとかないと風邪を引くよ」
ジーナおばちゃんが笑いながら、熱々のオニオンスープが注がれたマグカップをコトンと置く。
その向かいの席で、通信機器のハンダ付けをしていたノアが、冷ややかなジト目をレイに向けていた。
「……よくそんな呑気にサンドイッチなんか貪ってられるわね。さっき届いた依頼主からの通信、アンタ聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。中層区の『廃映画館』まで、荷物を届ける特急便だろ? 運び屋のレイちゃんにかかりゃ朝飯前……いや、夜食前の一っ走りだ」
「朝飯前なわけないでしょ! 受取先は、中層区でも一番警備が厳しい第三検問所のすぐ裏手よ! しかも運ぶブツはこれよ、これ!」
ノアは耐火布で何重にも巻かれた小さな直方体の包みを、作業台の上に恐る恐る置いた。
布の隙間から覗くのは、旧時代の規格で作られた本物の磁気テープ――『カセットテープ(原本)』。
都市統治AIアポロンによって全データが消去されたはずの、本物のアナログ音楽が記録された超高額の禁制品(Legacyクラスのロストテクノロジー)だった。
「旧時代の音響マニアを名乗る地下の収集家が、どんな大金を積んででも手に入れたいって頼み込んできたの。もし途中で巡回ドローンに見つかって押収されたら、アンタの首が飛ぶどころの騒ぎじゃないわよ!」
「へへっ、スリルがあっていいじゃん。それにほら、前金としてこんなスゲエのも貰ったしな!」
レイはポケットから、キラリと銀色に輝く円形の金属片を取り出し、自慢げに掲げた。
中央に丸い穴がぽっかりと空いた、旧時代のコイン。
「見てくれよノア! 穴の空いた新しいボタンだ! これ、コートの胸元に縫い付けたら絶対に格好いいぜ!」
「……レイ」
「ん?」
「それ、旧時代の自動販売機専用トークン(コイン)。お金よ」
「オカネ? ボタンじゃないのか? こんな真ん中に穴が空いてるのに?」
「服に縫い付けるんじゃないわよ、この世間知らず!!」
バシィッ! とノアの丸めた配線図面が、レイの後頭部を小気味よく叩いた。
「いってぇぇ!? なんで毎回叩くんだよ!」
「アンタが毎回アホなこと言うからでしょ! ボタンにするくらいなら、帰りにそのコインで地下鉄の温かい珈琲でも買ってきなさい!」
「へいへい……ケチくさい相棒殿だぜ」
後頭部をさすりながら、レイは最後の一口を飲み込み、オニオンスープをぐっと干した。
奥の通信卓から、リーダーのキースが煙草の煙を吐き出しながら声をかける。
「レイ。今回は隠密が最優先だ。荷物がカセットテープである以上、銃撃戦の爆風や衝撃で磁気テープが熱破損したら任務失敗になる」
「わかってるよ、キースさん。ドンパチやらずに、風みたいにすり抜けてくりゃいいんだろ?」
「ええ。だから今回は、この二本を持っていきなさい」
ノアが作業台の引き出しから、二本のチタンシリンダー――実戦用エネルギーカートリッジ『トラック』を取り出し、レイの前に並べた。
一本目は、柔らかなネオン管の光のように、淡いマゼンタとターコイズブルーの共鳴流体が揺らめくシリンダー。
二本目は、不規則な幾何学模様のように、チカチカと不連続なリズムで明滅する濃紺のシリンダー。
「一本目は**【City Pop】。都会の雑踏や雨音、夜景の光の波長にアンタの生体周波数を同調させる『夜間迷彩(環境同調)』よ。街中の集音マイクや追跡カメラから、アンタの輪郭をすっぽり溶かすわ」
「おっ、夜のお散歩にピッタリだな」
「で、二本目は【Math Rock】**。どうしても敵に見つかって囲まれたときの切り札よ。超絶変拍子のビートが、AIアポロンの未来予測ルーチンを強制的にコマ落ち(フレームレート崩し)させる。……ただし、変拍子に合わせて身体を動かすから、アンタの三半規管への負担は相当なものよ」
「へへっ、俺の耳とステップを信じろっての」
レイは二本のトラックを弾帯ベルトにカチリと差し込み、胸ポケットに厳重に包んだカセットテープを収めた。
コートの襟を立て、音叉ダガー『チューナー』の重みを確かめる。
「よし。ノア、回線の準備は?」
「中層区の外壁ケーブルに、いつでも潜り込めるようにしてあるわ。アジトのメインコンソールから、街頭の集音センサーの死角をリアルタイムでナビゲートする。……絶対に、無理な無茶はしないでよね」
「了解。速攻で届けて、温かい珈琲買って帰ってくるよ」
レイは飄々と手を振り、地下アジトの重い防音扉を押し開けた。
*
チ、チ、チ、チ――。
地上へ出ると、冷たい夜の雨が濡れたアスファルトを叩いていた。
頭上の高架橋、ビルの屋上、街角の信号機。
都市『バベル・オフ』のあらゆる場所に設置されたスピーカーから、感情を殺す均一なメトロノーム音が降り注いでいる。
傘を差した市民たちが、俯いたままBPM 120の冷たい拍子に合わせて機械のように足を運ぶ。
レイはフード深く被り、路地裏の配管の影へと身を滑り込ませた。
耳に装着した無骨な小型インカムから、ノアの引き締まった声が届く。
『――中層区第七ブロック、有線グリッドへのハッキング完了。レイ、聞こえる?』
「ああ、バッチリだ。雨音のせいで街のメトロノームが少し湿気ってるな。歩きやすくて助かるぜ」
『油断しないで。雨の日は音の反響が乱れるから、AIアポロンは集音マイクの感度を通常より一五パーセント引き上げてるの。……三つ先の交差点を右折、ビルとビルの間の非常階段を登って、屋上ルートを使いなさい』
「了解」
レイは足音を立てず、拍の隙間をすり抜けるようにして非常階段を一気に駆け上がった。
屋上に出ると、雨煙の向こうに中層区の冷たいネオンサインが広がっていた。
紫、シアン、無機質な白。
濡れた屋上のフェンスを飛び越え、給水塔のパイプを軽やかに伝い、レイは目的地である「旧映画館」を目指して夜の闇を疾走する。
だが――目的地の二ブロック手前、ビルの屋根を跳び越えた瞬間だった。
ピピッ――。
鋭い電子警告音が、レイの頭上から降ってきた。
『……っ!? レイ、伏せて!!』
ノアの悲鳴と同時に、雨を切り裂いて三筋のサーチライトが照射された。
カチカチカチカチッ!
高周波の駆動音とともに、濡れた屋根の縁に滑り込んできたのは、三機の漆黒の機械獣――『高速四足追跡ドローン』。
獲物を逃さない鋭利なチタンの鉤爪と、背中にマウントされたテーザーパルス銃。
胸部の単眼カメラが赤く発光し、冷徹な合成音声が雨の中に響き渡る。
「――異常生体熱源、並びに未認可アナログ磁気ストレージの波形を感知。運搬対象を即時包囲、物理確保へ移行する」
『マズい……! 第三検問所が近いせいで、上空の広域ミリ波レーダーがカセットテープの微小な磁気を拾ったんだわ!』
逃げ場のないビルの屋上。
三方向から四足の機械獣が唸りを上げ、獲物を引き裂く態勢に入る。
レイは胸ポケットのカセットをそっと右手で押さえ、左手を腰の弾帯へと伸ばした。
口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「夜道を行くには、ちょっとライトが眩しすぎるな。……ノア、最初の曲を頼むぜ」
『一本目よ! 夜景に溶け込みなさい、レイ!!』
レイは弾帯から、淡いマゼンタとターコイズブルーに光るシリンダーを引き抜いた。




