#108
「お、お似合いで……す?」
青色の綿の作業着――ナッパ服と呼ばれる服に着替えてくると、アイリスからはそんななんとも言えないような感想が返ってくる。
「無理になにか言わなくてもいいぞ。ナッパ服自体、見た目とかに気を使ったわけじゃないただの作業着だし」
いちおう、素材や意匠などについては国鉄などで使われていたナッパ服をベースに再現してもらっている。ちなみに、ナッパ服という名前の由来は諸説あるが、汗や洗濯の結果、縒れた見た目が萎れた菜っ葉に見えるかららしい。
今は新品なので、まだそうは見えないけれども。
「とりあえず、やってみるか」
アイリスを少し離れた場所に待機させておいて。浩一はワンスコを右手に持ち、石炭をすくい取ってみる。
1kgというと量で言うならばそれほど重たいと評するような量ではないのだが。ワンスコで持っているために重心が遠くなり、想像よりも重く感じる。
そのまま、空いている左手で鎖を引き上げ、投炭練習機へとワンスコを突っ込み、その中に石炭を投げ込む。
大まかには、これで1サイクルになるわけだが。
「……なるほど、これは難しいと言われるわけだ」
まず第一に、慣れていないと1サイクルでもそこそこ大変である。
これを何十何百と繰り返すことを考えれば、筋力や体力はもちろん、動かし方そのものにもコツが必要になってくるだろう。
そして、やはり厄介なのは地味に感じる重量。
めちゃくちゃに重いというほどではないにせよ、やはり多少は重い。なによりも重心が遠い。
間口が狭いということもあり、ただでさえワンスコを動かしにくいところに、しっかりと持っていないと操作がブレる。
試しに、数度同じ作業を繰り返してみてから、結果を確認してみる。
先程まで少し離れた場所にいたアイリスも、どんな感じになっているのか気になったのだろう。隣まで見に来ていた。
「おお、当然ですけれど、ちゃんと中に石炭が入って、お山ができていますわね」
「……ああ、山になってるな。つまり下手ってことだ」
「そうなんですの?」
アイリスの疑問に浩一はコクリと頷く。
もちろん、燃えている炉内に石炭を投げ込めばその石炭は燃えはする。しかし、だからといってどんな投げ込み方をしてもいい、というわけではない。
山になっていればその内側の石炭は燃えにくい状態になるし。燃えにくいだけならまだしも、半端に燃え残ったりすると、溶けて固まったものが炉内に固着したりして、故障の原因になったりもする。
それ以外にも空気の通り道なども考えながらに、奥を厚く、手前を薄く、など。石炭をどう投げ込むかを考えていく必要がある。
とはいえ、ひとまずは狙ったところに投げ込めなければお話にならないので、全体に均一に投げ込めるようにと意識しながらにやってみたのだけれども、その結果がこれである。
「……なるほど、これはなかなかにコツがいる作業だな」
つまるところが。動かし方に於いても、そして、筋力面や体力面に於いても。繰り返しの練習が物を言う作業だということになる。
「ねえ、コーイチ様。私もやってみたいのですわ!」
両の手をパチンと合わせながらに、アイリスはそう言う。
なんとなく、そう言うのではないかとは思っていた。だから、ナッパ服も一応ちゃんともう一着準備はしている。
ただ、別にナッパ服のことを悪く言うつもりはないのだけれども、良くも悪くも作業着。はたして王女様であるアイリスに着させてもいいものなのだろうか。
「……いや、もはや手遅れか」
「なにがですの?」
「いいや、なんでもない」
浩一のつぶやきに、アイリス反応する。
ふるふると首を横に振りながらに、それじゃあこれに着替えてきてねとナッパ服一式を渡す。
(そういえば、道床作りのビーター搗きのときに既に着せてるんだった)
なんならビーター搗きもさせている始末。ここで投炭練習をさせたところで些末な違いだろう。首が飛ぶなら既に飛んでるだろうし、アレキサンダーからなにも言われていないのを見るに、容認されていると思っていい。
……まあ、アレキサンダーもアレキサンダーで、アイリスがせがんだ結果そうなっているのだろうと認識はしているだろうし、許可が降りているというよりかは見逃されているという形なのだろうが。
「お待たせしましたわ!」
そんなことを考えながらに浩一しばらく待っていると、ナッパ服に身を包んだアイリスが部屋に戻ってくる。
「あー……その、なんだ。似合わないな。いや、悪い意味じゃなくて」
「どういうことですの!?」
立ち居振る舞いといった所作や、そもそもの奇麗なブロンズの長い髪、きめ細やかな白い肌。――まさしくお嬢様然としたそれらに対して、とにかく機能のみを重視した青色の作業着。ミスマッチにもほどがある。
……のだけれども。たしかに、不似合いではあるのだけれども。それでもしっかりと様になって見える。
「しかし、綺麗な人はどんな服でも着こなせるマジなんだなあ」
「綺麗な人!?」
浩一の言葉に、アイリスが大仰に反応する。事実アイリスは綺麗だし、あとかわいい。
浩一とアイリスで同じ服を着ているはずなのに、まるで捉えられる印象が違って見える。
「っと、髪はまとめておこうか」
「はい。わかりましたわ!」
アイリスの長い髪は魅力的なのだが、こと投炭練習をする上では邪魔になるだろう。
彼女が髪をまとめるのを浩一が待っていると。しかし、彼女はなぜかイスを持ってくると、浩一の前に置いて、ちょこんと座る。
そして、
「お願いします!」
「……え、俺がやるのか?」
「はい!」
堂々と言い放つアイリス。髪は女の命であるとか、そういう話を風花から聞かされた覚えがあるんだけれども。と、浩一はそんな困惑をする。
……まあ、当の風花には何度も髪を結わさせられているのだが。曰く、姉弟みたいなものだから問題ないと。どういう理屈だ。
さも当然と言わんばかりにアイリスが髪留めを浩一に渡してくる。
「あー、おだんごにまとめる感じでいいか?」
「コーイチ様におまかせします!」
なんかいろいろとそれでいいのかと思わさせられるが、まあ、作業する上で邪魔になるものをまとめるだけだからいいのか。
ともかく、言われたとおりに髪を結う。
手にとってみると、絹糸のように滑らかで細い。別に髪に対してそんな執着があるわけではないのだけれども、これが王女様の髪の毛なんかでなければしばらく触っていたいと思わさせられるほどだった。
なんにせよ、今はアイリスの髪をまとめないと。風花にさせられていたのでやり方はわかる。
浩一が彼女の髪の毛を持ち上げてみると。
「……? アイリ、耳が赤いが大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですの! 問題ありませんわ! その、あまり気にしないでくださいませ!」
やや過剰気味な反応を見せるアイリス。なにか、まずいことでも指摘したか?
ひとまず、言われたとおり気にせずに髪を結っていく。
途中アイリスから「手馴れておりますわね」とやや低めの、疑うような声音で言われたので、浩一は「風花に結わさせられてたからな」と返しておいた。
その答えに「そうなのですわね!」と、どこか明るい声で答えるアイリス。
まあ、どう結われてもいいとは言いつつも、下手に結われるよりかはそれなりにはうまくまとめてもらえるだろう、という安心があったのかもしれない。
「まあ、こんなものかな。大丈夫そうか?」
「はい、ありがとうございます。問題ありませんわ!」
くるりと振り返りながらにニコッと笑顔を携えて、お礼を言ってくれるアイリス。
うーん、かわいらしい。それでいて、今からこの子に投炭をさせるってマジか?
もはやいろいろと手遅れなのはそうにしても、それをどこか受け入れそうになってしまっている浩一自身に、少しだけ苦い顔をしてしまった。




