朽ちてゆく世界で <終章>
「私は……この脚じゃ歩けない。……ここで待ってるから……、アズハだけ先に」
「はぁ!?」
ココネは、アズハだけで街道に行き助けを呼ベばよいと健気に訴えた。
雨は上がったが、日は暮れて、遠く西の空が赤々と染まっている。
わずかの間に辺りは暗闇に包まれるだろう。
「『闇の滴』がまた襲ってきたらどうするんだよ?」
「…………」
「アホなこと言うな! ほれっ!」
アズハはココネの提案を一蹴すると、ココネを背負い歩き始めた。
『闇の滴』との死闘を終え、なんとか生き伸びた二人だったが、そこから馬車や旅人の行き交う街道までは徒歩で一刻(約一時間)程の道のりが残っていた。
『闇の滴』が二匹だけだとは言い切れない。こんなところにココネを置いてはいけなかった。
元気であれば、困難の無い道だが、アズハの体力はとうに限界を超えていた。
細身で小柄に見えるココネとはいえ、人一人を実際に背負えば重い。
アズハは初めて、人間の重さというものを実感していた。
何度もよろめき、躓きながらも、一人の命の重さと温もりを守るためだけに、歯を食いしばり必死に歩き続けた。
「……ぅ、くそ、苦し……」
アズハは一足ごとに、ぶつぶつと漏らした。
「重くて……ごめんね」
「いや、深い意味、無いから。たださ……、何か喋ってれば……気がまぎれるし」
「ん……」
ぎゅうぅ、とココネの腕がアズハの首と肩に回された。
ココネの暖かくて柔らかいものが背中に当たり、アズハの声が裏返る。
「もっ! もう……すぐ、街道だから、さ」
アズハの息遣いは苦しげで、額には汗がにじんでいる。だけどそれは生きている証だった。
消化液で焼かれた足はじくじくと痛み、一歩歩くたびに血がにじんだ。
だが、それを悟られないように、ひたすらココネを背負いながら歩き続けた。
――親父だってきっと……。こうして誰かを助けるために戦ってるんだよな。
いろんな場所で、あんな恐ろしい化け物と戦いながら。
――僕はまだ妹一人だって満足に守ることが出来ないけれど、いつかきっと、皆を守れるように強くなりたい。
そんな決意を胸に秘めながら、見上げた空は、いつの間にか星が瞬いていた。
ココネの銀色の髪が、アズハの頬をくすぐる。
赤く上気した頬を冷たい夜風が吹き抜けて、心地よかった。
「アズハ、あれ!」
ココネの白い指先が指し示す方向を見ると、道を行きかう早足の馬と、荷物を運ぶ牛車の灯すランタンの明かりが見えた。
アズハとココネは遂に街道へと辿りついたのだ。
「――街道だ!」
街道までたどり着いた二人は、倒れ込むようにその場にへたり込んだ。
そんな二人を救ったのは、街へ向かう乗り合いの牛車だった。
◇
ガタガタと揺れる乗り合い牛車の荷台で、ココネはアズハにしがみ付くように身体を寄せていた。
二人とも血と泥にまみれ、乗客たちは何事かと驚いていたが、すぐに介抱の手が差し伸べられた。
やがてココネは肩に頭を乗せたまま静かな寝息を立てはじめた。
「詳しく聞かせてくれないか?」
そう切り出したのは、綺麗な身なりの青年だった。
なんでも行政官をしていて隣町の視察の帰りらしかった。
文官のような物腰の青年は、王城に出入りする身分という事で、アズハは『闇の滴』に襲われたことを話し始めた。
『悪魔の燃水』のことは何も言わなかった。
松明で応戦し、なんとか逃げ延びたと嘘をついた。
それがココネにとって一番いい事だと考えたからだ。
若い行政官はだまってアズハの話を聞いていたが、アズハの傷の様子と、父親が雇われ戦士であることを聞いて深く頷いた。
「この事は行政府、いや王に直接伝えなければならない事案だ」
それほどに大事の事件だと判断したのだ。
そこに乗り合わせた商人や、旅の親子たちが不安げに顔を見合わせた。
「その時は、君や……妹さんも公聴されるかもしれないが、構わないかな?」
「え、えぇ……」
「心配することは無い。必ずこの国は守るから」
その瞳はまっすぐで、嘘をついているようには見えなかった。
アズハは静かに頷いた。
やがて、懐かしい街の灯りと城壁が見え始めた。
それを視界の隅に感じながら、アズハは大人たちの会話をぼんやり聞いていた。
「話が違うぞ、闇の滴がこんな近くまで迫っているなんて! 軍は何をしていたんだ!?」
「このまますぐに王城まで行って、全部伝えるべきだ!」
「この子たちはケガをしているんだぞ、親に届けるのが先だろう!」
牛車に乗る数人の大人たちが騒いでいた。
――明日、町は大騒ぎになるだろうな。
それより、母さんになんて言おう? ココネに怪我させたし……ドヤされるだろうな。
アズハの瞳に映るのは、どこまでも暗い空と、闇に包まれた草原だった。
唯一これから戻ろうとしている街だけが明るく、オアシスのように輝いていた。
もしかしたら世界はもう、この街しかないんじゃないだろうか? そんな不安さえ湧き上がってくる。
『闇の滴』に浸食され、徐々に蝕まれゆく世界――。
――これから、世界はどうなるんだろう?
うすら寒い予感に、アズハは傍らで眠るココネの頭にそっと頭を寄せ、自分も目をつぶった。
生き残る為に禁忌の秘密を共有してしまった妹の、細く小さな手を握る。
「アズハ……」
ココネの小さな唇が僅かに動いた。
「……大丈夫。もうすぐ家だよ」
――僕は母さんや、ココネを守っていけるんだろうか。
変わってゆく世界に暗澹たる思いを浮かべながら、アズハはただ、静かに寝息を立てるココネの温もりを感じていた。
<了>




