第34話 咲かない蕾
セレスティア様の蕾を読む許可は、王妃選定の準備会議のあとに出た。
場所は彼女の私室ではなく、王宮礼拝堂の小庭。
人払いをして、立会人はリディア様と侍女長だけ。
アシュレイ陛下もノア様もいない。
「陛下には聞かせたくありませんの」
セレスティア様はそう言った。
「理由を聞いても?」
「恥ずかしいから」
意外な答えだった。
彼女はいつものように完璧な姿勢で立っている。
淡い緑のドレス。
胸元の蕾。
白い指先。
けれど、目だけが少し不安そうだった。
「ミラ様。あなたは読んだものを、全部言葉にしますか」
「必要なことだけ」
「誰にとって必要?」
難しい問いだった。
花を読む者にとって必要なこと。
本人にとって必要なこと。
修復にとって必要なこと。
政治にとって必要なこと。
それらは、時々ずれる。
「まず、セレスティア様にとって必要なことを」
私が答えると、彼女は少しだけ息を吐いた。
「では、お願いします」
私は代償記録を書いた。
甘さ、遠い。
怒り、回復傾向。
恐怖、正常。
寂しさ、少し遠い。
判断、明瞭。
リディア様が頷く。
私はセレスティア様の蕾へ指を近づけた。
「触れます」
「ええ」
蕾は冷たかった。
残響は、すぐには来なかった。
固い扉の前に立っているような感覚。
やがて、音がした。
幼い少女の足音。
広い廊下。
白い花びらを踏まないように歩く練習。
違う。
もっと右。
その花は王家の祝福花だ。
踏めば、あなたは王妃にふさわしくない。
父の声。
次に、舞踏室。
何度も礼をする少女。
笑顔の角度を直される。
声の高さを直される。
歩幅を直される。
最後に、花冠。
まだ小さな蕾が、少女の胸元に置かれる。
これはあなたの花ではない。
ヴァーン家の花だ。
王の隣で咲くためにある。
蕾が固く閉じる。
咲けば、誰かのものになる。
咲かなければ、自分のままでいられる。
でも、咲かなければ役に立たない。
その矛盾が、蕾を閉じ込めていた。
私は指を離した。
胸の奥で、寂しさが少しだけ遠ざかる。
リディア様がすぐに記録紙を差し出した。
「何を失った?」
「寂しさが、少し」
記録する。
セレスティア様は黙って待っていた。
私は言葉を選んだ。
「この蕾は、咲けないのではありません」
彼女の指が震える。
「咲かないことで、セレスティア様を守っています」
「守る」
「咲けば、ヴァーン家の花として扱われる。王妃候補の花として利用される。だから閉じている」
セレスティア様は笑った。
下手な笑みだった。
「臆病な花ね」
「賢い花です」
私は即座に言った。
彼女が驚いた顔をする。
「自分が利用されると分かって閉じている。これは抵抗です」
小庭の空気が静かになる。
セレスティア様は胸元の蕾を両手で包んだ。
「私、ずっと恥ずかしかったの」
声が小さくなる。
「王妃候補として育てられたのに、花が咲かない。父は咲かせろと言う。教師も、神殿も、花冠院も、時期が来れば咲くと言う。でも咲かない」
彼女は目を伏せた。
「私が足りないのだと思っていた」
「違います」
「そう言われると、怒りたくなるわね」
「なぜですか」
「だって、足りない私を責める方が楽だったから」
その言葉が、胸に刺さった。
自分を責める方が楽。
誰かに利用されていると認めるより、自分が足りないと思う方が、まだ世界を信じられる。
セレスティア様の蕾は、そうやって彼女を守っていた。
「このことは」
彼女が言う。
「陛下には、まだ言わないで」
「はい」
「父にも」
「もちろんです」
「でも、王妃選定では使うわ」
私は顔を上げた。
セレスティア様の目に、いつもの鋭さが戻っている。
「この蕾は、私の抵抗なのでしょう。なら、隠すだけではもったいない」
「どうするのですか」
「父が私を咲かせようとする場で、咲かない理由を私自身が言う」
リディア様が息を呑む。
「危険です」
「ええ」
セレスティア様は微笑んだ。
刺す場所を選ぶ微笑みだった。
「でも、咲かない花にも棘くらいありますわ」
小庭の保留花が、風もないのに揺れた。
私は思った。
この人は、助けられる花ではない。
自分で閉じ、自分で開く時を選ぼうとしている花だ。
その日、セレスティア様の蕾は咲かなかった。
けれど、固く閉じていた表面に、小さな緑の筋が一本入った。
それはひびではなく、いつか開くための線に見えた。




