表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/33

第21話 仮婚約者の部屋

 王命特任修復師という肩書きは、私の生活を少しも楽にしなかった。


 むしろ、ややこしくした。


 花冠院の下級修復師だった頃、私の朝は単純だった。

 第三修復室へ行く。

 銀盆を並べる。

 処分予定の花冠を分類する。

 上級修復師に叱られない程度に記録を整える。

 たまに、どうしても見捨てられない花を保留箱へ入れる。


 今は違う。


 目覚めると、東翼の客室には侍女が三人いる。

 花瓶には保留の紫花。

 扉の外には近衛。

 机の上には王命特任修復師としての調査書類と、仮婚約者としての礼法予定表が積まれている。


 同じ一日なのに、なぜこんなに花冠が増えたのだろう。


「ミラ様。まずは朝の挨拶練習です」


 侍女長エルナ様は、容赦がない。


「おはようございます、ではいけませんか」


「相手によります。侍女にはそれで結構。王族には身分差を含めた礼を。貴族院議員には笑顔を見せすぎず、しかし敵意も見せず。花冠院関係者には不用意に謝らない」


「最後が難しいです」


「あなたは謝る顔をしすぎます」


「顔も直せますか」


「直します」


 言い切られた。


 鏡の前に立たされ、私は三種類の微笑みを練習した。

 受け流す微笑み。

 聞こえなかったことにする微笑み。

 相手が失礼だと気づかせる微笑み。


「三つ目は難しいです」


「セレスティア様は幼少期に習得されました」


「あの方は参考にしてよいのでしょうか」


「とてもよい教材です。ただし真似しすぎると刺さります」


 刺さる微笑み。

 確かにセレスティア様はできそうだ。


 昼前、アシュレイ陛下から呼び出しがあった。


 王の書庫へ向かう途中、廊下の空気が変わったのを感じる。

 すれ違う貴族たちが、私を見て、私の胸元を見て、髪飾りを見て、最後に靴を見る。


 花ではなく、人を品定めする視線。


 以前なら俯いて通り過ぎた。

 けれど侍女長に叩き込まれたばかりだ。


 謝りすぎない。

 見られている時ほど、背筋を伸ばす。

 花を見すぎない。


 私は前を向いて歩いた。


 扉の前でノア様が待っていた。


「顔が硬い」


「受け流す微笑みの練習中です」


「それは威嚇に近い」


「まだ習得途中です」


 ノア様は少しだけ口元を動かした。

 笑ったのかもしれない。


 書庫に入ると、アシュレイ陛下はいつもの机にいた。

 ただし、今日は書類ではなく花冠が置かれている。


 小さな練習用の花冠。

 王宮礼法で使う、挨拶用の仮花冠だ。


「侍女長から報告があった」


「私の顔が直らない件ですか」


「そこまでは言っていない」


「では、何を」


「夜会に出る準備だ」


 胸が少し沈んだ。


 春祭りの夜会。

 王の仮婚約者として、私が初めて公の場に立つ場所。


 十五番の公開裁定で名前は広まった。

 けれど夜会は別だ。

 そこでは、花冠の真実より、立ち姿、家格、ドレス、誰が隣にいるかが意味を持つ。


「出ない選択肢は」


「ない」


「ですよね」


 陛下は練習用花冠を手に取った。


「仮婚約者として私の隣に立つ。だが、君は修復師でもある。夜会には祝福花が集まる。何か仕掛けられる可能性がある」


「私が狙われるのですか」


「君も、私も、君の花を見る者も」


 君の花。


 私は胸元を見た。

 まだ、自分の誓約花はない。

 契約紙に浮かんだ白い蕾の模様だけだ。


「私は、花を咲かせなければいけませんか」


 陛下は即答しなかった。


 その沈黙が、少し意外だった。


「王宮は求めるだろう」


「陛下は」


「私は、君が無理に咲かせる必要はないと思う」


 胸の奥が少し緩む。


「ただし」


 やはり続きがあった。


「咲かない花を、周囲は勝手に解釈する。セレスティアの蕾がそうであるように」


 セレスティア様の胸元の蕾。

 咲かず、枯れず、閉じたままの花。


 あれはただの飾りではない。

 きっと、彼女自身の誓約に関わるものだ。


「夜会でセレスティア様も?」


「来る」


「ヴァーン公爵も」


「来る」


 陛下の声が少し低くなった。


 十五番の再調査は、ヴァーン家へ届き始めている。

 王妃候補花冠試作と封印糸第二七束のつながりも、まだ表には出していないが、向こうも何かを察しているだろう。


 夜会は、花と音楽の場ではない。

 政治の花冠だ。


 私は練習用花冠を見た。


「では、練習します」


「無理はするな」


「無理と練習の境目が分かりません」


「なら、私が止める」


 その言葉が自然に出たことに、陛下自身も少し驚いたようだった。


 私も驚いた。


 止める。

 守る。

 所有しない。


 修復契約で交わした言葉が、少しずつ日常の中へ混ざっていく。


 練習用花冠を頭に載せる。

 軽いはずなのに、重かった。


 王の隣に立つための重さ。

 王宮中の視線に晒される重さ。

 仮の婚約が、仮では済まなくなっていく重さ。


「ミラ」


 陛下が私を呼んだ。


「はい」


「嫌なら、顔に出していい」


「侍女長には出すなと言われました」


「私の前では」


 私は少しだけ笑った。


 今度は受け流す微笑みではなく、たぶん私自身の笑みだった。


「では、嫌です」


「そうか」


「でも、出ます」


 陛下は練習用花冠の位置を直した。

 指先が髪に触れるか触れないかの距離で止まる。


 触れれば眠りたくなる。

 第十二話の言葉を思い出す。


 陛下も思い出したのか、手を引いた。


「夜会までに、触れずに直す技術を身につける」


「それは王の仕事ですか」


「今は仮婚約者の相手役の仕事だ」


 その言い方が少し不器用で、私はまた笑った。


 王宮生活は難しい。

 仮婚約者の部屋は落ち着かない。

 夜会は怖い。


 それでも、花の墓場にいた頃より、私は少しだけ自分が生きている場所にいる気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ