第19話 公開裁定
戴冠花冠の封印硝子に亀裂が入ったことで、旧記録庫の調査は中断された。
王宮はすぐに非常態勢へ移った。
封印花廊は閉鎖。
花冠院の上級修復師たちは、黒鱗の拡大を止めるために集められた。
アシュレイ陛下は王として封印花廊へ向かい、私は修復師として十五番の婚約花冠を抱えたまま追いかけることになった。
王妃記録箱の声は、まだ耳に残っている。
この子には継がせないで。
この子。
それは、おそらく幼いアシュレイ陛下のことだ。
王妃様は何かを知っていた。
陛下に継がせたくない何か。
それが今、戴冠花冠の黒鱗として広がっている。
けれど、すぐにそこへ踏み込むことはできなかった。
なぜなら、十五番の公開裁定の日が来てしまったからだ。
エミリア・ヴァーンの名誉回復を先送りすれば、証人は消され、証拠は書き換えられる。
花冠院も貴族院も、時間を味方にするのがうまい。
だから陛下は、予定を変えなかった。
裁定の場は、王宮小法廷。
王族や大貴族の争いではないため、本来ならここまで大きな場にはならない。
けれど今回は、王命による再調査だ。
傍聴席には貴族院の使者、花冠院の修復師、ヴァーン家の関係者が並んだ。
エミリア様は父親とともに立っている。
顔色は悪い。
それでも、前回のように消えてしまいそうではなかった。
彼女の前には十五番の婚約花冠。
対面にはローレン・ディクス。
整った顔の青年だった。自分が不利な場にいるとは思えないほど、落ち着いている。
「花冠は黒く枯れました」
ローレンは言った。
「誓約花は嘘をつかない。エミリア嬢が不誠実だったのです」
その言葉に、十五番が小さく震えた。
恐怖。
まだある。
でも、今日は恐怖だけではない。
花冠の根元に、細い白い光が残っている。
エミリア様自身が、ここに立つことを選んだからだ。
裁定官が私を呼んだ。
「ミラ・リース。仮婚約者ではなく、修復師として証言を」
私は一歩前へ出た。
視線が刺さる。
下級修復師。
王の仮婚約者。
花を読む娘。
どの視線も、私を別々の形に編もうとしている。
私は十五番だけを見た。
「この花冠は、不誠実で枯れたものではありません」
ざわめき。
「根は守られています。不誠実であれば、誓約の基点である根から腐敗します。この花冠は中心部を外部から圧迫され、恐怖反応を起こしています」
裁定官が頷く。
「物的証拠は」
「内側の封印糸です」
リディア様が花冠を裏返し、赤い糸を示した。
「これは花冠院の封印糸です。通常の婚約花冠に使われるものではありません。しかも、使用記録に不整合があります」
オルド院長は傍聴席で静かに座っている。
表情は変わらない。
ローレンが笑った。
「封印糸など、私は知りません。誰かが後から仕込んだのでは」
「証人がいます」
ノア様が合図を出す。
連れてこられたのは、ローレン側の証人だった男だ。
彼は震えながら、金銭を受け取ったことを認めた。
「誰から」
裁定官が問う。
「ディクス男爵家の執事からです」
ローレンの顔が少しだけ歪む。
「執事が勝手に」
「もう一人の証人は逃げた」
ノア様が低く言う。
「逃亡前、ヴァーン分家の借金証書が買い戻されている。資金元はディクス男爵家ではない」
傍聴席がざわめいた。
ヴァーン本家。
誰もがその名を思い浮かべた。
けれど、まだ口には出せない。
私は十五番へ手を置いた。
契約上、読む前には記録がいる。
でも今回は、読むためではない。
花が今、何を求めているかを見るだけだ。
十五番の震えは、少しずつ収まっていた。
「エミリア様」
私は彼女へ向き直った。
「この花冠は、あなたを責めていません。ですが、あなたが何も言わなければ、この花冠は恐怖のまま残ります」
エミリア様は震えていた。
父親が手を握る。
長い沈黙のあと、彼女は顔を上げた。
「私は、裏切っていません」
声は小さかった。
でも、法廷に響いた。
「弟の薬代のために、罪をかぶるよう言われました。花冠が黒くなれば、誰も私の言葉を信じないと」
ローレンが立ち上がる。
「嘘だ!」
その瞬間、十五番の花冠が光った。
白いエルダーフラワーの一輪が、黒い染みの下から開いた。
完全な修復ではない。
傷は残る。
花冠全体はまだ弱い。
でも、花はエミリア様の言葉に応えた。
裁定官が立ち上がる。
「十五番婚約花冠について、不誠実による破談判定を一時取り消す。偽装、強要、封印糸不正使用について王命調査を継続する」
エミリア様が泣いた。
傍聴席の一部から怒号が上がる。
貴族院の使者は青ざめ、花冠院の修復師たちは互いに顔を見合わせた。
オルド院長だけが、静かだった。
裁定後、アシュレイ陛下は私の横に来た。
「よくやった」
「花が応えただけです」
「君が、応えられる場所を作った」
その言葉は、私の胸に残った。
私は誰かを救ったのではない。
花がもう一度声を出せる場所を作っただけだ。
でも、それはたぶん、修復の始まりだった。
その夜、十五番の黒い染みは半分ほど薄くなった。
同時に、戴冠花冠の黒鱗も一枚だけ剥がれ落ちた。
二つの花冠は、やはりつながっている。
花冠院の奥で眠っていた嘘は、もう静かに眠っていられなくなっていた。




