第14話 修復の契約
花冠院では、すべての修復に契約書がいる。
婚約花冠なら、誓約者双方の署名。
商会花冠なら、代表者と証人の署名。
王家花冠なら、王印、宰相府の確認、花冠院長の承認。
壊れた誓いを直すには、まず直してよいという合意が必要だ。
それがなければ、修復は暴力になる。
だから私は、アシュレイ陛下に契約書を求めた。
「私の呪いに契約書を?」
陛下は、眠らない部屋の机で書類を読みながら顔を上げた。
「はい」
「王命では足りないか」
「足りません」
ノア様が小さく咳払いをした。
王命に足りないと言う下級修復師は、やはり珍しいのだろう。
でも、ここは譲れない。
「私は陛下の花冠を読みます。呪いに触れます。たぶん、何度も代償を払います」
「だから契約で縛りたいと?」
「違います。縛られすぎないためです」
陛下はペンを置いた。
「続けろ」
「私は修復師です。でも、仮婚約者という立場もあります。王命もあります。陛下の秘密も知りました。このままだと、どこまでが仕事で、どこからが命令で、どこからが私の意思なのか曖昧になります」
言いながら、自分でも少し怖くなった。
王に向かって、あなたの近くにいると自分の意思が曖昧になると言っているようなものだ。
けれど陛下は怒らなかった。
「君は、自分の意思を守るために契約するのか」
「はい」
「私から」
「陛下からも。花冠院からも。私自身の無茶からも」
陛下はしばらく黙っていた。
やがて、机の引き出しから白紙の契約紙を出す。
「条件を言え」
私は準備していた紙を広げた。
一つ。
ミラ・リースは、王家戴冠花冠および関連する誓約花を、本人の意思で読む。
二つ。
読解のたび、代償記録を作成する。
三つ。
ミラ・リースが限界を申告した場合、王命であっても読解を中止する。
四つ。
読解で得た情報は、無関係な個人の断罪や政治利用に使わない。
五つ。
十五番の婚約花冠再調査を完了させる。
六つ。
陛下は、可能な限り睡眠を削らない努力をする。
「最後の一つは何だ」
陛下の眉が動いた。
「必要条件です」
「修復契約に、私の睡眠が入るのか」
「呪いの修復対象が陛下の眠りだからです」
「私は眠れない」
「今は」
「眠れば誰かを奪う」
「だから、奪わない方法を探します。そのためには、陛下が眠ることを完全に敵視していては進みません」
陛下の表情が硬くなる。
私は言葉を選んだ。
「眠れと言っているのではありません。眠りを、敵ではなく修復対象として扱う許可をください」
長い沈黙。
ノア様も口を挟まなかった。
やがて陛下は、低く言った。
「君は、私が一番触れられたくない場所にだけ針を入れる」
「修復師なので」
「便利な言葉だ」
「はい」
陛下は契約紙を手元へ引き寄せた。
「七つ目を足す」
「何でしょう」
「ミラ・リースの代償が一定以上進んだ場合、本人の意思に関わらず読解を停止する」
「それは困ります」
「困れ」
第五話で聞いた言葉だ。
「本人の意思を守る契約では」
「君自身の無茶からも守るのだろう」
言い返せなかった。
陛下は続ける。
「停止判断はリディア・カロル、ノア・フェルゼン、私の三名のうち二名の同意とする」
「陛下が入るのですか」
「私が君を利用しすぎないためだ」
その言葉は、静かに重かった。
王が、自分を契約で縛ろうとしている。
私を守るためだけではなく、自分が私を道具にしないために。
胸の奥が、遅れて温かくなる。
「では、八つ目を」
「まだあるのか」
「あります」
私は契約紙に書き足した。
八つ。
アシュレイ・リュミエールは、ミラ・リースを修復師として扱い、所有物として扱わない。
ノア様が今度こそ咳き込んだ。
陛下は契約紙を見つめた。
「君は本当に、私を王として怖がっているのか怖がっていないのか分からない」
「怖いです。でも、契約書に書けば少し怖くなくなります」
「花冠院らしい」
「花冠院で育ちました」
陛下はペンを取った。
署名の前に、一度だけ私を見る。
「私は君を所有しない」
声は低く、はっきりしていた。
「だが、守る」
守る。
その言葉に、私は一瞬だけ答えられなかった。
所有しない。
でも守る。
王宮では、その二つがよく混同される。
花冠院でも、修復と支配が混同されることがある。
だからこそ、この契約は必要だった。
「私も、陛下を道具として扱いません」
「私を?」
「王家の呪いを解くための対象としてだけ見ません。眠らない竜王としてだけでも見ません」
陛下のペン先が止まる。
「では、何として見る」
答えに迷った。
王。
患者。
依頼人。
仮の婚約者。
眠れない人。
どれも正しい。
どれか一つでは足りない。
「まだ、決められません」
私は正直に言った。
「でも、決めつけないようにします」
陛下は少しだけ目を伏せた。
「それで十分だ」
契約書に、二つの署名が並んだ。
アシュレイ・リュミエール。
ミラ・リース。
仮婚約の書類より、ずっと本当のものに見えた。
契約紙の端に、小さな白い花の模様が浮かぶ。
誓約が成立した証だ。
まだ蕾にもならない、淡い模様。
それでも確かに、私たちの間に初めて、自分たちで選んだ花が生まれた。




