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最終話 直し続ける花冠

 春の初め、再読室の窓辺に新しい花が咲いた。


 名前はまだない。


 白い花弁に、青い筋が一本。

 縁には灰色の細い影。

 中心には小さな空白がある。


 イオはすぐに記録板を持ってきた。


「新種でしょうか」


 カッサは鼻で笑う。


「名前なんて急がなくていいよ。咲いたばかりの花に肩書きをつけるんじゃない」


 リディア様は真面目に頷き、仮名欄に「未定」と書いた。


 私は笑った。


 再読室は、今日も騒がしい。


 壊れた花を持つ人が来る。

 記憶保留花を作り直す人が来る。

 無花者の空白冠について相談する人が来る。

 婚姻花をほどく人も、結び直す人もいる。


 第三修復室だった頃、ここは終わった花の場所だった。


 今は、続けるための場所になった。


 アシュレイ様は、週に何度か公開休眠室で眠る。


 最初は人々が緊張して見守っていたが、最近は少し慣れてきた。


 眠る王。

 起きる王。

 時々寝起きが悪く、ノア様に叱られる王。


 国はまだ完全に慣れてはいない。


 でも、少しずつ普通になっている。


 王妃選定は、正式に凍結された。


 代わりに、王配偶者選択制度の見直しが始まった。


 硬い名前だ。


 メイベルが費用を計算し、フィオナが神殿儀礼を変え、アリアナが地方代表を入れるべきだと主張し、セレスティア様が候補者本人宣言を恒久法にするため奔走している。


 セレスティア様の蕾は、まだ咲かない。


 けれど最近、葉が増えた。


 彼女は「葉の方が実用的よ」と言っている。


 ユリアは家の借金整理を進め、クララは軍務伯家の記録係として姉と並び始め、エレナは領地再建のため商都と契約を結んだ。


 候補者たちは、候補者でなくなっても互いに手紙を送っている。


 花冠院はまだ揉めている。


 昔の規格へ戻したい人もいる。

 保留箱が増えすぎて廊下が狭いという苦情もある。

 記録官の数は足りない。


 改革は、美しい物語の結末ほど整っていない。


 でも、記録されている。


 隠されず、話し合われ、時々喧嘩になり、また保留箱に入れられる。


 それでいいのだと思う。


 夕方、アシュレイ様が再読室へ来た。


 王冠ではなく、簡素な花紐。


 手には、私たちの婚約花冠が入った箱。


「最終確認を」


 彼は少し緊張している。


 明日、私たちは公に婚約を発表する。


 王と再読室主任修復師の婚約。


 王妃になるかどうかは、まだ決めない。


 それも一緒に発表する。


 貴族院は頭を抱え、記録官は紙を増やし、セレスティア様は「面白いわね」と笑った。


 私は箱を開けた。


 婚約花冠は、静かに光っている。


 白、青、灰色、空白。


 中心で結ばれすぎない輪。


 私は指でそっと触れた。


 感情が流れ込む。


 恐怖。

 喜び。

 待つこと。

 選ぶこと。

 眠り。

 記録。

 壊れたものを、壊れたあとに続ける意志。


 問題はない。


 完璧ではない。


 でも、問題はない。


「大丈夫です」


 私が言うと、アシュレイ様は深く息を吐いた。


「修復師の判定なら安心だ」


「婚約者の判定でもあります」


 言ってから、少し照れた。


 彼は嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見て、私は思う。


 この人はもう、眠らない竜王だけではない。


 眠る練習をする王。

 頼ると誓った王。

 時々不器用に言葉を間違え、記録官に直される王。


 そして、私が選んだ人。


 窓辺の名のない花が揺れた。


 春の風が、再読室を通る。


「ミラ」


「はい」


「これからも、直し続けることになる」


「はい」


 呪いは完全には消えていない。


 眠りは今も記録と輪を必要とする。

 記憶保留花は増え続ける。

 制度はまた歪むかもしれない。

 私たちも、互いを守ろうとして間違えるかもしれない。


 でも、直し方を知っている。


 一人で背負わないこと。

 壊れた花をすぐ捨てないこと。

 痛みを隠さないこと。

 選べる形になるまで待つこと。


 私は婚約花冠の箱を閉じた。


「完璧な花冠ではありません」


「ああ」


 アシュレイ様は頷く。


「だから、君と直し続けたい」


 その言葉に、白い誓約花が静かに咲き直した。


 私は彼の手を取った。


 眠りは奪わない。

 記憶も消えない。


 ただ、手の温かさがある。


 春の再読室で、名のない花が揺れる。


 私たちは完璧な救済ではなく、直し続ける花冠を選んだ。


 かつて花の墓場だった部屋で、壊れた花は今日も静かに息をしている。


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