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鑑定スキルで全てを最適化したら、最弱の村が国家になりました  作者: 慈架太子


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96話:理



――執務室。


夜の帳が降りた室内は、適度に調整された魔導具の灯りに満たされている。

机の上には寸分の狂いもなく書類が積み上げられ、インク瓶の配置からペンの角度に至るまで、機能性を追求した秩序が支配していた。

ここは、この国の膨大な情報を処理し、未来を計算するための、セレスにとっての聖域である。


――セレス。


彼女は、主人の席の向かい側ですでに待機していた。

背筋を伸ばし、膝の上で手を重ねるその姿に、迷いや逡巡の色はない。

彼女の脳内では、すでに数千通りのシミュレーションが完了し、出力されるべき結論が一本の細い糸のように紡ぎ出されていた。


「時間、もらうわ。それも、相応の量を」


短く、しかし拒絶を許さないトーンで切り出す。

オルシェは何も言わず、ただ静かに頷いて向かいの席に腰を下ろした。


――一枚の紙。


セレスの指先が、白磁のような机の上に一枚の書面を滑らせた。

そこには、彼女が数日をかけて練り上げた、ある「計画」の骨子が記されている。


「結論から言うわ」


その声は、執務室の冷たい空気と完璧に調和していた。


「婚姻は、この国の構造を維持する上で、合理的に必要なプロセスよ」


彼女の指先が、項目の一つひとつを正確になぞっていく。


「第一に、権限の分散。単一の最高意思決定者に依存する現在の体制は、統治の硬直を招く。配偶者という公的なパートナーを置くことで、権力構造の安定化を図るべき。

第二に、後継の確保。不測の事態における中長期的なガバナンスリスクを低減させることは、国家運営の基本。

第三に、家系の確立。血統という古典的かつ強力なシンボルを用いることで、周辺勢力に対する心理的な抑止を強化できる」


淀みなく流れる言葉。

それは、昨日まで彼女が処理してきた予算案や防衛計画の説明と何ら変わりない。


「現状、私たちの国はこれらをすべて満たしていない。つまり、構造的に重大な欠陥があるということよ」


セレスは顔を上げ、オルシェの瞳を正面から見据えた。


「欠陥があるなら、修復すべき。それが管理者の義務でしょう?」


――沈黙。


オルシェは手元の紙に視線を落とした。

否定する余地はない。セレスの指摘は、国家運営というマクロな視点から見れば、非の打ち所がない正論であった。


――セレスは続ける。


「候補は四人。……私たち、元からの側近ね」


感情を排し、事実を述べる。


「能力、性格適性、既存の権力基盤との親和性。すべて分析済みよ。個別のデータも、必要ならすぐに用意できる。けれど――」


間を置かない。


「その中で、私が最も適任であるという結論が出たわ」


断定。

それは傲慢さからくるものではなく、徹底した自己客観視の結果であった。


「統治の補助、複雑な意思決定の補強、情報の即時処理。現在のあなたが抱えている負担を、最も効率的に、かつ代償なしに肩代わりできるのは私だけ。全部、私が埋めてあげられる」


彼女は人差し指で、机の端をコツリと叩いた。

それは計算の終了を告げる合図のようでもあった。


「合理的に見て、私を選ぶべきよ。これ以上の最適解は存在しない」


――視線。


外さない。

彼女の瞳は、まるで高度な鑑定具のようにオルシェの反応を捉え続けている。

ここまでは、完璧なまでに“理”であった。

私情を挟まず、国家という巨大な機構の歯車をどう噛み合わせるべきか、その一点のみで構成された、冷徹なまでの提案。


――だが。


ほんの一瞬。

セレスの喉が、小さく震えた。

鉄壁の論理を組み上げていた彼女の言葉が、霧が晴れるように途切れる。

鏡のように静かだった視線が、わずかに揺らぎ、焦点を失った。


「……でも」


小さく、掠れた音が漏れる。


――初めての間。


そこには、数式では導き出せない空白があった。


「私は……、あなたを選んでる」


理屈ではない。

国家の安定のためでも、後継者のためでもない。

ただ、自分が自分の意思で、目の前の人間を求めているという、剥き出しの事実。


――呼吸が、わずかに浅くなる。


「だから」


セレスは続ける。

声は静かだ。しかし、先ほどまでの氷のような響きは消え、そこには体温を持った震えが混じっていた。


「最適解だから、という理由で私を納得させようとしないで」


目を逸らさない。

知性という鎧を自ら剥ぎ取り、一人の女としての脆さを晒す。


「あなたが、私を、選んでほしい」


――沈黙。


紙の上に並んだ数字は、何も変わらない。

理屈は依然として揺るがず、彼女が最適であるという事実に変わりはない。

だが――。

その完璧な論理の上に、計算不可能な、重く切実な感情が覆いかぶさっていた。


――セレス。


彼女は、音を立てずに椅子から立ち上がった。

数瞬の間に、その表情はいつもの冷静な、完璧な補佐官のものへと戻っている。


「判断は任せるわ。検討する余地は、山ほどあるはずよ」


いつもの声。

いつもの、隙のない顔。

彼女は背を向け、扉へと歩き出す。


――止まる。


扉の取っ手に手をかけたまま、振り返らない。


「……あまり遅いと、こちらにも都合があるわ。困るのよ、予定が狂うのは」


捨て台詞のようにそれだけを言い残し、彼女は部屋を去った。


――退出。


後に残されたのは、整然とした執務室と、一枚の紙。

そして、論理の刃で切り刻まれた後に残された、ひりつくような沈黙だけだった。


――ラスト。


理で逃げ場を塞ぎ、合理性という名の鎖で相手を縛り上げた。

だが、その鎖の最後の一環を繋いでいたのは、彼女自身が否定し続けてきた、制御不能な感情であった。


理と感情を両立させた、唯一の“正面からの最適解”。

セレスが提示した計画は、すでにこの国の未来を、決定的に変え始めていた。

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