26話:大ざまぁ
――王都。
歴史と権威を象徴する豪奢な石造りの宮殿、その一角にある軍務評議会の広間。
普段は貴族たちの高慢な笑い声が絶えないその場所に、今は底冷えするような異様な空気が漂っていた。
「……報告はまだか。いつまで待たせるつもりだ」
上座に座る重鎮の一人が、焦れったそうに低い声を絞り出す。
「は、はい……。しかし、その……」
報告に訪れた使者の膝は目に見えて震え、冷や汗が床に滴り落ちていた。
「ヴァルディン子爵軍よりの連絡が……三日前を最後に、一切途絶えております」
沈黙が、重く、粘りつくように広間を支配した。
「……何だと? 聞き間違いではなかろうな」
「は……三日です。子爵本人、および直属の『五人将』、さらには正規部隊3000名……すべてとの通信が絶たれました。現在、消息不明にございます」
「……消えた? 三千の軍勢が、跡形もなく消えたというのか!?」
ざわめきが、波のように広がっていく。
会議場に集まった貴族たちは、顔を青ざめさせ、あるいは信じられないものを見るように互いを見合わせた。
「あり得ん……。相手は名もなき集落、ただの難民の溜まり場ではないのか!」
「三千だぞ……? 正規の訓練を受けたわが領邦の軍だぞ!」
「盗賊や魔物の群れに襲われたとて、一人も戻らぬなどということがあってたまるか……!」
誰も理解できなかった。
そこにあるのは、圧倒的な「虚無」。
三千の命と、一人の有力貴族。それらが、この世界のどこにも存在しなくなったという事実だけだ。
「……魔物の大発生か? いや、それならそれで報告があるはずだ……」
「もしや、隣国が秘密裏に軍を動かしたのか?」
結論は出ない。ただ、漠然とした恐怖だけが、彼らの背筋を這い上がっていく。
「……至急、調査隊を出せ。何が起きたのか、土の一粒まで調べてこい!」
怒号に近いその命令にも、かつての権威はなかった。
“消えた”。
その不可解な事実の前に、王都の権力者たちは、自分たちの足元が音を立てて崩れ始めていることを予感していた。
王都の酒場:ざまぁの歌
同時刻、王都の喧騒が渦巻く大通りに面した一軒の酒場。
昼間から酒を煽る労働者や冒険者たちで溢れるこの場所でも、話題は一つの「噂」で持ちきりだった。
「おいおい、聞いたか? あの傲慢なヴァルディン子爵が、軍ごと消えちまったってよ」
「ああ、聞いたぜ。領民をネコババ同然に扱ってたバチが当たったんじゃねぇか?」
ざわざわとした下世話な空気。だが、その喧騒を切り裂くように、凛とした声が響いた。
「――おやおや、皆さん。その結末、詳しくお知りになりたいですか?」
視線が集まる。
酒場の中央、古びた木箱の上に、楽器を抱えた一人の吟遊詩人が立っていた。
「では、一曲。……題して、『略奪者ヴァルディンの最期』」
客たちから、どっと笑いが起きる。
「またかよ、吟遊詩人の作り話か!」
「ハハハ、好きだなぁ! お前の皮肉は酒の肴に最高だぜ!」
だが、楽器が爪弾かれ、軽快な、しかしどこか冷徹なリズムが刻み始められると、場は一瞬で静まり返った。
「♪ 欲に塗れた子爵がいた」
「♪ 民を搾り、奪い続けた。その金で肥え、その権力で踏みつけた」
詩人の歌声は、街の隅々にまで届くほどに澄んでいた。内容は辛辣を極める。
「♪ 金の匂いを嗅ぎつけて。彼は“豊かな街”を狙ったとさ」
「♪ 平民が築いた楽園を、我が物顔で奪うために」
客たちがニヤリと笑い、杯を傾ける。
「♪ 三千の兵を引き連れて。五人の将を従えて。彼は勝利を、一欠片も疑わなかったとさ」
ここで、楽器の音がぴたりと止まる。一瞬の、長い「間」。
「♪ だが――」
詩人は、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「♪ 返り討ち」
一瞬の静寂。そして、火山が噴火したような爆笑が沸き起こった。
「ぶははははは!! 最高だ!!」
「ざまぁねぇな! 三千も連れて返り討ちかよ!」
「調子に乗りすぎたんだよ、あのデブ親父は! 溜飲が下がったぜ!!」
酒が飛び、机が叩かれる。
ヴァルディンの圧政に苦しんでいた者、特権階級を憎んでいた者。彼らにとって、それはこの上ない娯楽だった。
「♪ 兵も消えた。主も消えた」
「♪ 残ったのは――何一つなし」
「♪ 誇った剣は農具になり。歪んだ体は土へと還る」
再び、爆笑と拍手が巻き起こる。
「♪ 悪は滅びる、ただそれだけ。自業自得という名の、美しい結末」
最後の一音が、余韻を引いて消える。
酒場は割れんばかりの歓声に包まれた。
「いいぞ、詩人! もっとやれ!!」
「金貨を投げろ! 最高のショーだったぜ!!」
吟遊詩人は、帽子を取って軽く頭を下げた。
「……ありがとうございます。でも、これは作り話ではありません。ただの“事実”を歌っただけですよ」
その瞳は、喧騒の向こう側――遥か遠くにある、自分たちの「主」が治める街を見据えていた。
街の静寂:循環の終わり
一方、渦中の「街」では。
戦場だったはずの平原は、今や見渡す限りの豊かな黒土に覆われていた。
そこには血の一滴も、ひしゃげた鎧のかけらも残っていない。
「……王都の方は、かなり騒がれているみたいね」
セレスが、執務室の窓から外を眺めて言った。手元には、バルドの商会を通じて届けられた最新の情報が記されている。
「好きに言わせとけ。証拠はどこにもねぇんだからな」
オルシェは、マリナが新しく打った農具の具合を確かめながら、肩をすくめた。
三千の軍勢はすべて分解され、肥料となり、今や新芽を育てる糧となっている。物理的に、この世界から「ヴァルディン子爵軍」という存在を証明するものは、何一つ残っていないのだ。
「……確かにそうね。でも、これで終わりだと思っている?」
リーヴが、壁に立てかけた大剣を磨きながら問いかける。
「終わりじゃねぇ。これは、この街が世界に牙を剥いた“始まり”だ」
オルシェは少しだけ、不敵に笑った。
誰かに奪われるだけの存在は、もう卒業だ。
自分たちを害しようとする不条理を、その仕組みごと飲み込み、自分たちの豊かさに変換する。
その「循環」こそが、オルシェがこの街に敷いた、絶対の理だった。
街は、不気味なほどに静かだった。
人々は黙々と働き、学び、笑い、明日への希望を語り合っている。
だが、その平穏の底には、王軍を三分で壊滅させたという、底知れない力が渦巻いている。
「……勝ったんだな、私たち」
誰かが、夕暮れの街角でぽつりと呟いた。
それは問いかけではなく、疑いのない、揺るぎない事実としての宣言だった。
名もなき街は、今、歴史の表舞台に静かに、しかし鮮烈にその存在を刻み込んだ。
オルシェの異世界内政、その真の覇道は、この「大ざまぁ」という通過儀礼を経て、さらなる高みへと駆け上がっていく。




