347 虚界の円卓と最後のログイン
エデンの王城で五大国連合の華やかな祝宴が催され、カリナがレナとシリュウという二人の幼子を連れて賑やかな会場を歩いていた頃。
世界のどこにも存在せず、因果の理から完全に外れた亜空間の狭間。そこは、上位の悪魔にしか立ち入ることが許されない、歪んだ空間の重なりの中にひっそりと存在する小さな拠点――『虚界・黒曜円卓』。
光すらも捻じ曲がる漆黒の虚無の中、不気味なほどの静寂に包まれた空間の中央には、巨大な黒曜石で精巧に造り上げられた円卓が鎮座している。その円卓の中心には多面体の虚晶が浮かび、淡く冷たい光を放ちながら、遠く離れた人間界の光景を鮮明に映し出していた。
映し出されているのは、エデンの玉座の間。精霊王の加護を持つ小娘カリナと親しくしている多くの人間達、そして、憎きエデンの特記戦力達が美酒に酔いしれる姿である。
その円卓の最奥、最も高い位置に設えられた玉座に深く腰を掛けていた男が、冷酷な笑みを浮かべた。災禍六公の首魁にして『背徳支配と蹂躙』の異名を持つ大悪魔、アスモディル・ヴェインである。
漆黒と深紅を基調とした豪奢な魔界貴族の正装を纏い、金の装飾が施された長外套は、まるで魔界の王のマントのように彼の巨体を包んでいる。3mを超える長身。両肩から伸びる巨大な黒翼と、王冠のように湾曲した禍々しい角が、圧倒的な威圧感を放っていた。長い白銀の髪の間から覗く眼差しは、獲物を見下ろす捕食者のそれである。
「ククク……。馬鹿な四天王は壊滅したか。だがエデン……侮れん」
アスモディルは、尊大で嘲笑的な、ゆっくりとした断定口調で呟いた。
「仕方ない。奴らを喚ぶか……」
アスモディルが長く鋭い爪を持つ指先を振るうと、虚無の空間に闇の魔法陣が六つ、同時に展開された。
「来い、俺にのみ忠誠を誓う災禍親衛隊よ」
魔法陣から噴き上がる黒い瘴気の中から、六柱のアスモディル直属の親衛隊が姿を現した。彼らは一斉にアスモディルの御前に傅き、深く頭を垂れる。
「召喚に応じました。我らが主、アスモディル様」
代表して声を上げたのは、身長4mにも及ぶ巨躯の悪魔武人、槍の魔将バルガス・ランツェルである。全身を黒鉄の重鎧で包み、手には空間を歪めるほどの質量を持つ6mの巨大な『重魔槍グラヴィランス』を握りしめている。
「貴様らを呼んだのは、我等の手でエデンを討ち、我等が主を復活させるためだ」
アスモディルが玉座に肘を突き、睥睨する。
「だが、深淵公の魔軍四天王と奴の直属の部下は全滅した。災禍六公も、俺以外は全て討ち取られ、あるいは裏切り、表の存在に取り込まれた。……あの精霊王の加護を持つ小娘、カリナは俺が殺る。残りは貴様らで決めろ」
アスモディルの白銀の髪が、殺気と共に僅かに揺らいだ。
「貴様等は、エデンの特記戦力と国王カシューをやれ。だがその前に、我等の有利な場所に誘い出す必要がある。お前達は、その下準備をしてこい」
主の命令に対し、六柱の悪魔達は「はっ」と短く応えた後、それぞれの標的を宣言し始めた。
「ハハッ! 俺の獲物はあのグラザとかいう男か。いい槍だな……! 来い……力で決めてやろう!」
豪胆な武人であるバルガスが、巨大な角を揺らして好戦的に笑う。
「カシューという人間の騎士……速さでは俺に勝てん。無駄だ」
細身の悪魔、二刀の魔剣士ヴェルド・カリギアが、赤い瞳を細めて静かに告げる。
「ねぇ、知ってるかしら? 時間って……残酷なのよ。あのカグラという女……あなた、死ぬわ」
紫黒の長髪を揺らし、黒いメイド服の太腿に巻かれたナイフベルトを指でなぞるのは、時刃の魔女リシェラ・クロノア。
「興味深い魔力だ。エクリアという魔法使い……実に興味深い。その魔力……研究価値がある」
魔導ローブに身を包んだ痩せた長身の悪魔、魔導の悪魔ゼルヴァン・メギドが、魔導杖を撫でながら探究心に満ちた声を上げる。
「弓で私に勝つ気? 標的はエヴリーヌよ……狙撃戦にする? 弓なら私が上よ」
黒い戦闘装束に身を包み、美しい黒翼を広げた魔弓の刺客セルオナ・ヴァルシアが、魔弓『ブラッド・ボウ』を引き絞る。
「聖女? 面白いわね。私の標的はサティア……光なんて……下らないわ。闇に沈みなさい」
紫髪を揺らし、闇のローブを纏った闇魔法使いノクティア・マレフィカが、陰湿な笑みを浮かべた。
六柱の親衛隊がそれぞれの闘志を燃やすのを見下ろし、アスモディルは満足気に顎を引いた。
「いいだろう。では貴様らは今から動け」
「「「はっ、お任せ下さい」」」
親衛隊達は一斉に姿を掻き消し、人間界へと向けて出撃していった。玉座に一人残されたアスモディルは、虚晶に映るエデンの城を見据えながら、地の底から響くような声で笑う。
「深淵公……見ていろ。俺が必ず主の復活を成し遂げ、魔軍の頂点に立つ」
◆◆◆
一方その頃。
かつて『ロザリア』という名で呼ばれたPCの国であり、現在は魔大陸の悪魔の根城と化してしまった漆黒の城。その最奥に位置する玉座の間に、深淵公ネグラトゥス・ヴォイドロードが腰掛けていた。
城の外で荒れ狂う天候。稲妻の閃光が窓を照らすたび、闇に紛れていた深淵公の恐るべき姿が垣間見える。崩壊と再生を絶えず繰り返す、おぞましい巨躯。背中から生えた闇の翼は無惨に裂け、胸部には虚無の力を蓄えたブラックホールのような『虚無核』が渦巻いている。
「……無に帰せ」
絶対的な虚無主義者である深淵公は、手元の水晶に映るアスモディルの動向を冷ややかに見つめていた。
「魔軍四天王までも全て敗れるとはな……思ったよりはやるではないか、人間共。だが、奴らが侮ったのも事実。貴様らの魂は主の復活の贄にさせてもらったぞ」
深淵公の玉座の奥には、城の高い天井を衝くかのような巨大なカプセル状の機械が設置されている。そこには、敗れ去った悪魔達の魂までもが禍々しいエネルギーに変換されて貯蔵されており、限界容量まで満ちるのも、もはや時間の問題であった。
「あのお方に渡された、この機械のエネルギーが満ちるのもあと僅か。……次は貴様だな、アスモディル」
水晶の中で動き出した災禍親衛隊を眺めながら、深淵公は低く響く声で呟いた。
「アスモディルが討ち取られれば、次は奴らは確実にここに攻め入って来るだろう」
深淵公は『虚無剣ヴォイド・レクイエム』の柄を叩き、玉座の間の空間に、漆黒の魔法陣を七つ展開した。
「出でよ。我に忠誠を誓う、七魔将共」
空間が歪み、七体の強大な悪魔が召喚された。彼らは一斉に膝をつき、主を見上げる。
「我等の力が必要でしょうか、深淵公様」
そう尋ねたのは、白銀髪にドレス鎧を纏う妖艶な悪魔、幻界欺瞞葬姫エルフィシア・ミラージュレインである。
「うむ。近々、奴ら人間共はここへ攻め入って来るだろう。その時、貴様らは我の尖兵として奴らを迎え討て」
深淵公の命令に対し、七魔将はそれぞれに傲慢な自信に満ちた声を上げる。
「斬る。それだけだ。人間など、物の数ではない」
漆黒の重装鎧に身を包む3.5mの巨漢、魔断将ゼルカディオ・アビスフェルが短く応える。
「現実など曖昧なものですわ。人間など、わたくしの幻界で容易く葬って差し上げましょう」
エルフィシアが、幻光杖を優雅に振るう。
「ガハハハッ! 人間など余裕だ! 俺の巨斧で、全部ぶっ壊す!」
獣人巨躯の魔獣獄将ガルド・ヴァルディオンが咆哮を上げる。
「エデンの騎士なんて敵じゃないわ。一瞬で燃え尽きなさい」
紅髪に黒翼を持つ灼界紅蓮舞姫アリュフェシア・フェルグレアが、双剣を打ち鳴らして炎を散らす。
「人間の刃など容易く弾き返してやる。ここは通さねぇ」
重装甲と巨大な盾を構える鋼界不動将ノルディス・グラヴィルが忠義を誓う。
「フフ……人間なんて余裕よ。力は頂くわ」
白金髪に闇光輪を浮かべる星霊喰堕天使ヤシェリカ・ルミナスフィアが冷酷な笑みを浮かべる。
「人間の魔法など……壊させてもらう。容易いことだ」
魔導ローブを纏った深層侵蝕魔導将ヴァルゼクス・ディグラントが暗い瞳を光らせた。
いきり立つ部下達の言葉に対し、深淵公は静かに忠告する。
「侮るな」
その一言に、玉座の間の空気が凍りついた。
「魔軍四天王は壊滅し、我の直属の部下共も、奴らを侮ったがゆえに敗れたのだ。……貴様等は持ち場につき、奴らの到着を待て」
「「「はっ!!」」」
七魔将が深々と頭を下げた、その時である。
「ほう、……何やら、先程からネズミがいるようだな……。この大陸の人間は、全滅したはずだが……?」
深淵公の殺気が、玉座の間の太い柱の影に潜んでいた一人のPCへと向けられていた。
◆◆◆
「ちっ……見つかったわね」
影に潜んでいた女性騎士、チェトレは小さく舌打ちをした。アメジストのように美しい紫のロングヘアの毛先はピンクである。彼女の装備は、肩や腰、腕、胸部、脚といった要所のみを黒い鎧で覆い、へそや太腿を大胆に露出した、極めてセクシーな出で立ちだ。背中には重厚な大盾、左腰には鋭い高レアの片手剣を佩いている。
彼女こそが、この『ロザリア』の城主であったPCである。VAO時代には、エデンとのPvPにおいて、カーズがいなかったとはいえ引き分けにまで持ち込んだほどの猛者が揃う強国のトップであった。
チェトレは、息を呑んで玉座の間を見つめていた。ほんの数時間、ログアウトして用事を済ませ、再びインしただけのはずだった。それなのに、ログインした瞬間に彼女の目に飛び込んできたのは、見慣れた美しい自国ではなく、悍ましい悪魔達が闊歩する、文字通りの『魔城』と化したロザリアの姿だったのだ。
「何よ、あれは……? あんな異常な悪魔は見たことがない……。しかも私のロザリアが悪魔の居城になっているなんて……。しかもあいつらはNPCのはずなのに、まるで本当に生きているように会話しているわ……」
チェトレの呼吸は荒く、心臓が早鐘のように打っている。
「公式にはこんな大掛かりなアプデが入るなんて載ってなかった……。しかもまるで現実かのような重苦しい空気に瘴気……。それに汗が流れるエフェクトなんてなかったはずよ……」
何より彼女を混乱させているのは、この空間を支配する「生々しい感覚」だった。肌を撫でる、ねっとりとした瘴気の冷たさ。自身の額から流れ落ちる、じっとりとした冷や汗。VRゲームの中に、『汗が流れる』というような生理現象のエフェクトは存在しないはずなのだ。
彼女は、カリナの後にログインしてしまった最後のPCだった。女神アリアの予想すらも裏切り、まさかのタイミングで、この現実となったアルカディアの世界へと取り込まれてしまったのである。
深淵公の殺気が、確実に自分に向けられているのを感じ取る。七魔将達が一斉に柱の影へと視線を向けた瞬間、チェトレは決断した。
「瞬歩!」
高速移動の歩方を発動し、目にも止まらぬ速度で廃墟となった城内を駆け抜ける。背後からは、侵入者に気づいた下級悪魔達や、七魔将の怒号が響き渡った。
「逃がすな! 人間の生き残りだ!」「切り刻め!!」
チェトレは崩れかけた城壁を蹴り上がり、一気に城下へと飛び出した。足が地に着く前に、彼女は声を張り上げる。
「来て、ペガサス!!」
空間が光り輝き、純白の翼を持つ美しい召喚体、ペガサスが顕現した。チェトレは見事な身のこなしでペガサスの背に飛び乗る。ペガサスが嘶きを上げ、力強い羽搏きと共に、猛スピードで空へと飛翔した。
眼下には、完全に魔大陸と化してしまった、今までは自分の国があった小さな大陸の無残な姿が広がっている。上空から見下ろすと、アルカディアの大陸との間に架けられていたはずの大橋が崩れ落ちて暗い海に沈んでいるのが見えた。
「一体……何がどうなっているのよ……!?」
チェトレは、吹き付ける瘴気の風に紫の髪をなびかせながら、左腕に装着された冒険者の腕輪を操作した。インしているフレンドを探し、そこにカシューがオンラインだということを見つける。他にはこの国のPC達は誰もインしていなかった。空間をスワイプしてもメニューも開かず、ログアウトもできない。
彼女はここから遥か北東にある騎士国アレキサンド、そしてその南西にある『エデン』のカシューの下に身を寄せることを決意し、魔大陸を飛び立つのだった。
蠢き始めたアスモディルと災禍親衛隊。迎え撃つ準備を整える深淵公と七魔将。そして、全てが現実となったアルカディアの世界に放り出された最後のPC、チェトレ。彼女のログインが何をもたらすのか。祝宴で盛り上がるエデンと五大国の裏で、新たな動きが始まるのだった。




