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第六話 お隣さんに寝込みを襲われる

 その日、俺が取っている講義の都合上、昼から大学へ行けばよかったから、午前中を寝て過ごそうとしていたんだ。


 寝返りを打ったとき、何か暖かみを持つものに当たった感触があった。

 あー、ころ丸か、まーた人のベッドに潜り込んで。

 などと、実家で飼っている愛犬を思い出すのだが、あいにく今の俺は一人暮らし。


「おはよ、新太♡」

「わっ!」


 慌てて目を開けると、超至近距離で寝そべってこちらを見つめながらニヤニヤしている夏向が視界に飛び込んできた。


「……か、夏向か?」

「そうだよ? きみの『恋人』の大嶌夏向だよ♡」

「そうだった……いや、恋人じゃないんだけど」


 夏向が、俺のために『恋人』として振る舞うと宣言したのはつい先日のこと。

 夏向とはあくまで友達でいたいし、この前のことは夢だったらいいなぁ、なんて思っていたんだけど、ところがどっこいこれは現実らしい。


「ん? 待てよ、どうしてお前、普通に俺の部屋にいるんだよ? どうやって入った?」

「え? 玄関からだけど?」

「なんでだよ!? 俺、玄関のドアはちゃんと施錠したぞ!?」

「あー、ね」


 こいつ……まさかドアの隙間から液体金属化してにゅるにゅるすり抜けてきたんじゃないだろうな……?

 なんかいつもニヤニヤふにゃふにゃしているこいつのことだから有り得そうに思えてきた。


「新太、大家さんに一言言っておいた方が良いよ? ドアノブが壊れかけてて、ちょっといじいじしただけで鍵かかっててもすぐ開いちゃったから」

「げ……マジかよ」

「でもおかげでぼくとベッドを共にできたんだから、嬉しいでしょ?」

「嬉しいはずないだろうが……」


 同性の新太が相手では、高揚感なんてない。

 そのはずなのに、不快感もなかった。

 ……俺は、どうしてしまったんだ?


「新太も早く、ぼくを『恋人』だって思えるようにならないとね」


 ふふん、と鼻を鳴らす夏向は、うつ伏せになって両肘を立てて頬杖を付き、両足をパタパタさせてご機嫌だった。


「おはようのキスでもする?」

「するか!」

「唇同士が恥ずかしいなら、ほっぺでもいいよ?」

「あらゆる方法でお前とのキスは拒否するが?」

「あーあ、新太ったら冷たいんだ」


 体を起こした夏向は、意味ありげなニヤニヤとした笑みをしつつ、あぐらをかきながら俺を見上げてくる。


「そんなことじゃ、新太の苦手は永遠に治らないよ? やらなきゃ意味ないのに。なんのためにぼくが『恋人』になってあげたと思ってるの?」

「ぬぐ……」


 そう言われると、弱ってしまう。

 俺なりに苦手を克服したくて、夏向の妙な提案を飲んだのだから。


 ここで逃げるのは、俺の覚悟が足りないということになってしまう。

 夏向は男性とはいえ、とても女性寄りの男性だから、キスしたって俺の中の何かが大きく壊れてしまうわけじゃない。


 ……と、思いたい。


「わかった。……やりたくねえけど、頬くらいならどうにか……」

「もっと嬉しそうに言ってくれないと」

「いや、ちょっと考えてみろよ。いきなり俺が喜び勇んでキス魔になるのも、お前としては不気味だろ?」

「きみのためならキスのサンドバッグになっちゃうよ?」

「だからなんでお前はそこまで乗り気なんだよ」


 同性相手ってことへの躊躇いは、夏向にはないらしい。

 やっぱ覚悟完了してやがるんだよな。


「そりゃそうだよ。大事な新太との約束だもん。ちゃんと守らなきゃって想いが強いんだよね!」


 やたら積極的なところには驚かされるが、これも夏向なりの友情の証なのかもしれない。


「待ってくれ。寝起きだから歯を磨かせてくれよ」

「ふふふ、新太ったらそこらの女の子より気にしてること言うんだね。なんかガチでする気じゃん。いっそのこと、新太をカノジョ役にした方が良かったかな?」

「もう、うるせえなぁー」


 これ以上夏向にいじられるのもシャクだから、俺は夏向の腕を引き、抱きすくめるようにして頬に唇を当てた。


 ああ、男同士で俺は……いや、俺たちは一体何をやっているのだろう?


 でも、夏向の肌は異様に弾力があって柔らかくて、夏向の顔の横を覆う黒髪からは一体どこのシャンプーを使っているのか気になるほど爽やかでいい匂いがした。


 気を抜いたら、恥ずかしい生理現象が起きかねないくらいの刺激だった。


「ほら、これで満足だろ?」


 形式上、夏向のチェックを乗り越えないことには、この恋人ごっこでの練習の上積みにはならないから、夏向がどう思っているかということは何よりも優先されることだった。

 恥ずかしがっている以上、これを乗り越えたところであまりいい練習にはなっていないんだろうな。


 しかし夏向は無反応で、尻をぺたんとつけるいわゆる女の子座りをしながらずっと俯いているのが気になった。


 あれ? もしかして不服だったのか……?


「夏向?」


 夏向の顔色を伺おうと、顔を覗き込もうとした瞬間。


「あっ、待って!」

「は?」


 突然夏向はとんでもない勢いで俺を抱きしめてくる。

 これじゃ顔が見えねえんだが?


 肩に乗る夏向の顎の感触……夏向が口を動かすたびに俺の肩で揺れた。


「もうちょっと! もうちょっと……待って!」

「はあ? どうせならこのまま起きて朝飯でもって思ったんだから、朝飯の準備くらいさせてくれよ」

「そんなのもう少しあとでいいでしょ!」


 妙に切羽詰まった迫力で、ついつい俺は押し切られてしまう。

 どうもやたらと顔を見られるのを嫌がっているみたいなのだが……なんで?


「わかったよ」


 わがままなヤツだな、とは思うけど、別に不快感はなかった。


 なんだかドクドクうるせぇな、なんだ? と思ったら、きっと鼓動の音には違いないのだが、夏向相手にドキドキしているから俺が発しているものなのか、それとも案外夏向も平常心でからかっているわけでもないのか、どちらのものなのかわからなかった。


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