第四話 とんでもない提案
「新太~。さっきからずっと辛気臭いよ~」
アパートに帰ってきて、夏向の部屋で引っ越し祝いをしているはずなのに、俺はずっと沈み込んでいた。
もちろん、さっきのことが今も尾を引いているからなのだが。
そのせいでやけ酒気味になっていて、飲酒のペースがこれまでにないくらい早かったから、余計に感情がぐちゃぐちゃになる。
「まさか新太って、お酒飲むと気分が上がるんじゃなくてダウナーになっちゃう方なの?」
「違う。普段はこうじゃない。……俺は、自分が情けないんだ。助けを求められたのに、俺はあの女の人のことを守れなかったんだから」
「あー、さっきのことね」
「お前だって、本来は俺が守るべきだったのに」
「えっ、ぼくも?」
「そうだよ。俺は体がデカいから、お前の後ろに隠れてるわけにもいかないだろ?」
「そっかぁ。いやでも、さっきのはしょうがないと思うよ?」
口元をもにょもにょさせる夏向は、心なしか頬が赤いように見えるのだが、酔っている俺が見た幻覚かもしれない。
「新太って体格はいいけど、ぼくの印象ではいい子のはずだから、喧嘩慣れしてたり危ない状況に耐性があったりするわけじゃないでしょ? 突然助けを求められて、変な人が迫ってきたら体が動かなくなったって仕方がないよー」
「その言い方だと、お前が散々修羅場をくぐり抜けてきたように聞こえるんだが?」
まさかその顔で路上の伝説とか呼ばれていたりするのか……?
「いやー、ぼくだって荒事は慣れてないよ。ケンカだってしたことないし」
夏向のビジュアルを考えると、下手に腕力に訴えようものなら男子からも女子からも総スカンを食らいそうな気がする。誰だって美少年が傷つく姿を見るのは嫌だろうからな。
「でも、ぼくがどうにかしないとって思ったんだよね。いや、思うよりも前に気づいたら体が動いてたんだよ」」
「ぶっつけ本番だったのか?」
「うん」
「……外してたらどうするつもりだったんだ?」
「そのときは別の方法を考えてたかなー。今すぐには思いつかないけどねー」
「そっか……。たいしたヤツだよ、お前は」
「新太、卑屈になってない? ぼくが無茶できたのは、ぼくが失敗しても、ワンチャン新太ならどうにかしてくれるかもって期待があったからなんだから」
「俺に?」
「そうだよー。やっぱり体がデカいからね」
「俺は図体だけだ……」
「あっ。まーたそうやって落ち込む! ダメだよ! せっかくのお祝いなのに、新太はさっきからずーっと不貞腐れてるじゃん!」
「そうか、そうだよな……悪いな、せっかくお前が気を利かせてくれたのに」
「そうだよ。ぼくのこと想うならお祝いを楽しんでくれなきゃ」
夏向の言う通りだ。
気を取り直して楽しもう。
今日のミスは、どこかで別の機会に取り返そう。
そして俺は、今度こそ夏向のライバルとしてまともに勝負できるような男になるのだ。
だが、その前に夏向に伝えておかないといけないことがあった。
「夏向、聞いてくれ」
「どうしたの?」
「……あのとき、俺が動けなかった理由だ。蒸し返してすまん。でもこれだけは聞いておいてもらいたくて」
「いいよいいよ。言って」
「俺は……周囲がドン引きするくらい異性が苦手なんだ! 触れられるほど異性が近くにいると、テンパって何もできなくなっちゃうんだよ!」
「…………」
「さっきもほら、助けを求める女の人が俺の腕にしがみついてただろ? あれだよ、あれくらい接近されると本当にダメなんだ」
その後、俺は中高時代の異性に関する黒歴史まで話した。
ここですっきりさせないことには、夏向と向き合うことすらできないような気がして。
「――つまり俺は、そういう恥ずかしい人間なんだ。好きな子の前で緊張のあまりゲロを吐いちゃうような情けないヤツなんだよ」
「……新太、今、ゲーってしたくならない?」
「? ならないが? 同じ『好き』でも、同性の友達相手ならおかしな行動を取ることはないから安心してくれ」
「そっかぁ……」
何故か不服そうな夏向は、お祝い用のコーラとスナック菓子をもしゃもしゃ口にするのだが、沈んだ顔をしたのは一瞬だった。
「わかった。ぼくにいい考えがあるよ!」
「いい考え?」
「そう! 新太の苦手を克服するアイディアがね」
「そ、そんなものが……」
期待しながら夏向の返事を待っていると、夏向は俺のすぐ隣に座る場所を移した。
「苦手を克服するには、練習しかないよ。新太だってわかるでしょ? ぼくよりずっと長くサッカーしてたんだし」
「ああ、わかるよ」
俺は器用なタイプではないし、秀でたところといえば人より体格がいいだけで、才能だって並だ。
それでも、中学でも高校でも一年生からレギュラーを取って、ずっとスタメンで居続けられたのは、毎日猛練習をしていたから。
「それなら、頑張るのがサッカーじゃなくて、女の子になったって一緒でしょ?」
「すまん。そうは言ってもそれが難しくて……」
なにせ相手はボールじゃなくて人間だ。
物言わぬボールはどれだけ俺と触れても嫌な顔せず付き合ってくれるけれど、人間の異性となると当然感情があるわけで、ロクにコミュニケーションが取れない変な奴と根気よく付き合ってはくれない。
あと、シンプルに嫌われること前提で女子と接する勇気がない。
「簡単だよ。練習相手が、ぼくならね」
「えっ?」
「女の子が苦手ならぼくで練習しちゃおうよ」
「ん? 待って、どういうこと?」
「だからぁ、きみのために、ぼくが女の子になってあげるってことだよ。今日からぼくをきみのカノジョだと思って!」
身を乗り出してくる夏向。
間近で見ると、やっぱり夏向の顔つきは端正で、言われなければ女の子に見えたっておかしくない見た目をしていた。
だからと言って、夏向をカノジョと思えだなんて、できるはずがない。
でも俺には、これくらいの荒療治が必要なのでは?
それくらいしないと、きっと俺は永遠に女性が苦手なまま。
流石にそれは……嫌だなぁ……。
迷う俺は決断を口にできず、その沈黙を夏向は肯定と受け取ったのだろう。
「ふふふ、これで決まりだね!」
「こ、こら、勝手に決めるな」
「じゃあ新太は、一人で苦手を克服できるっていうの? 他に何か、いいアイディアでもあるの?」
「それは……」
「大丈夫だって! ぼくに任せておきなよ。ちゃんと上手いこと女の子のフリしてあげるからさ!」
早速俺の腕を両手で抱きしめてくる夏向。
男子とは思えないくらい柔らかい感触だけど、それは夏向がスポーツから離れている証拠で、夏向の才能を目の当たりにしてきた俺としては寂しい気持ちになる。
「え、なに。なんか不満そうじゃない?」
「いや、気持ちは嬉しいよ。ありがとうな」
「じゃ、ありがとうのキスしてくれる?」
「できるわけねえだろ!?」
「あーあ。ここでサクッとしてくれないんじゃ、新太の苦手克服ロードは前途多難だね」
ていうか、キスなんかしようものなら恋人ごっこの範疇超えちゃうだろ。
相手は俺だっていうのに、こいつは一体何を考えているのか……。
「わかったよ。とりあえずは少しずつ恋人っぽいことできるようになろ。そしてキスした先まで行くのがゴールね」
「そこまで行き着く気ないんだが!?」
こいつは俺をどうしたいんだよ。
頭を抱えそうになる俺に、どういうわけか夏向は顔を寄せてきて。
「それくらいの気持ちでやってくれないと困るよ。やるからには本気で。せっかくぼくが付き合うんだもん。結果はしっかり出してもらわないとね」
「……それは、そうかもしれんが」
変なところで体育会系気質が残ってるヤツだ。
同性相手にグイグイ行くことを恥ずかしく思わないのだろうか、と不思議に思うのが、よく見ると白い頬は朱に染まっていた。
そうだよな、恥ずかしいよ。
でも……恥ずかしさを押してまで俺のために頑張ろうとしてくれてるってことだよな。
「そうそう。だから、これからよろしくね、新太♡」
猫なで声で、俺の首に腕を回してきたときの夏向は、どこからどう見ても女性の表情をしていた。
凄い……。
もう女性という役柄に入り込んでいる。
変質者を恐れることなく咄嗟の判断で缶ビールショットを決めた胆力を持つ夏向だ。
俺よりずっと、覚悟を決める判断が早いんだろうな。
俺はまだまだ、夏向に及ばない男ってことなのだろう。
ともかくこうして、俺と夏向の恋人ごっこが始まってしまうのだった。




