第31話 与六②
「構いませんよ。では、与六からは聞かされた話をしますね」
真面目そうな雰囲気で話し始めな信綱を見てわたしは思わず姿勢を正した。
「あれは虎姫様が本当に赤子だった頃━━歩き始めばかりの話です」
歩き始めたばかりの頃と言うと生後ほんの数ヶ月の頃だろう。
「というか、与六、そんな頃のこと覚えてたんだ」
「ええ。と言うよりも本人がよく忘れられないと度々私たちに話していましたね。千代丸もこの話は虎姫様に仕え始めた頃、与六からよく聞かされましたよね?」
「はい。確か、その頃から与六は虎姫様の護衛係を務めていたのですよね?」
「まあ、そうだけど……」
6年も前の話のことなんて与六もよく覚えているなぁ。前世の記憶を持っているわたしですらあの頃の記憶あんまりないぞ。さっき語ったのはすごく大まかで自分にとっては記憶に新しかった事だし。
「ていうか、そんな頻繁に忘れられないって、本当にどんな話なの?」
何度腕を組みかえて考えてみても思い出せない。そんな印象に残るようなことしたっけ?わたし。
「虎姫様が、その……とてもお転婆だったという話を聞きました」
「お転婆? え?」
お転婆?そうかな?本当に?
「ええ。聞けば、虎姫様は頻繁に城の中を歩き回られたとか」
「城の中を? ……ああ、城内を探索してた時のやつ? そっか。あれか」
わたしが歩き出した頃、父・謙信に城の中であれば歩き回ってよしとの許諾を得た。嬉しくてついつい歩き回ってしまった。なぜなら春日山城は現在廃城となって、現存していないからだ。歴オタの血が騒ぐ!!!
「やはり探索しておられたのですね」
「ま、まあね……」
周りには探索とは告げなかった。だって、言ったら止められると思ったから。ただ、わたしが春日山城で迷子になったり、無闇矢鱈に武器庫に近づかれても困る、そう考えた父上が護衛係に、と与六を付けた。当時与六は伯母上の意向により、従兄であり婚約者の景勝の近習として付き従っていたが、7日に3日程度の頻度でわたしの元に現れ、護衛をしてくれた。近習の仕事は忙しいだろうによく従ってくれたなあ。
「与六は御屋形様から「好きにさせて構わぬ」と言われていたそうですが、虎姫様の元へ行くたびに城のあちらこちらへ歩み、時に走り、そして、色んな場所に入り込み、時には物見台へ登ろうとしていたらしいですね」
「だって、そこに物見台があるんだし」
わたしは悪くない。視線の先にあるのが悪いと思う。それに意外と物見台というのは面白いのだ。そこから見える景色はとても綺麗で数々の山々が見える。たまに日本海が見えたりするので、見ていて楽しいのだ。
「ええ。気持ちはわかります。しかし、与六は苦労していたのだとか」
「うっ」
心当たりしかなくて辛い。
「赤子でしか登れないような小道や小さな隙間に入ったり、屋根の上に登ろうとしたこともあったそうですね」
「行けると思ったもん」
「流石に、屋根の上は危ないと思いますよ」
「反省してまーす」
「それを聞いた与六はどんな顔をするやら」
分かってる。でも、やはりだが、屋根の上に登ろうとしていた数日後ふと、思った。屋根の上に登るって実はかなり危険だという事実に。これで一応中身成人女性なのに、つい、城を見ると幼児退行してしまう。それに気がついて与六に慌てて謝った。
「それで、ある日、虎姫様は朝から与六を連れて廊下を走り回っていました」
信綱の語りに嫌なことを思い出して目を逸らすと、横で千代丸が口を押えて笑っていた。これ、殴って大丈夫かな?と頑張って握った拳を留めた。
「 その途中、虎姫様は何かに興味を持ってしまったらしくそのまま庭の方へ走ってしまいました。与六は慌てて追いかけましたが、」
「が?」
「池に落ちてしまったそうです」
「……」
「ぽちゃん、と」
「それは分かってるからそんなこと言わないで」
薄々思い出していた話だが、やはり池に落ちていた。いや、あれは不可抵抗力だ。身長100cmもない子供が池に落ちたら為す術が無かった。それが例え浅い池だとしても赤子にとっては大海原に見えてしまう。だから、当然だが、溺れてしまった。
「それに慌てて飛び込んだのはもちろん護衛係の与六です」
「うわぁ。……後でちゃんとお礼言お」
「是非そうしてください。与六はあの時のことを本当に肝が冷えたと言っていたので」
「うっ……!」
与六には色々苦労かけてしまったみたいだ。
「虎姫様を抱え池から出た時、たまたまそこを通りがかった御屋形様が近くにいた侍女に乳母を呼んでくるよう命じ、虎姫様たちに近づきました。そして、虎姫様を抱えた与六に「与六、大儀であった。お主のおかげで助けられた。良い働きてあった」、と」
「当然の働きだよね? 主君の姫を助けたのだから。昇格してあげてもいいくらい」
「そうですね。その話をする度に虎姫様のことを自慢したい気持ちを超える胃痛を癒してあげてください」
「……そうするね」
父上に頼んでなんかいい感じに取り立てようか。
「話を戻しますが、その後御屋形様はこう仰ったそうです。「だが、まったくあやつは……危険をかんがみずに池に溺れるとは……。今回は与六がいたから助かったが……。おい、誰か。池の周りに柵でもこさえろ。赤子が通れぬ程度の幅と高さでな」と。その数日後急速に作られました」
「あ〜、あの柵ってわたし対策用だったんた」
場内にある数々の池の周りには高さ60cm程度の小さな柵がある。それはわたしがまた二度と池の中に落ちないようにだった。




