第23話 幼少期①
景勝と初めて出会ったのは、わたしがこの世に生を受けて間もない頃。ちょうど6年前、永禄9年――西暦で言えば1566年のことだった。
その頃のわたしは、自覚があるようでいて、何もわかっていなかった。というのも、転生直後の赤子の身体は未熟で、生まれてすぐの私は視力がほとんどなく、光すら曖昧にしか感じ取れなかった。
目を覚ました時、そこは真っ暗で何も見えなかった。自分がどこにいるのかも、どうしてこんなことになっているのかも、一切分からなかった。ただ、身体にふわふわとした浮遊感があり、妙に落ち着かない気持ちでいっぱいだった。
「よしよし――」
優しく頭を撫でる手があった。その手が誰のものだったのか、当時のわたしには知る由もなかった。けれど、その温もりだけは確かに覚えている。
気がつけば、わたしはこの世界に転生して数ヶ月が経っていた。視力も徐々に回復し、ぼんやりとだが人の姿が見えるようになっていた。初めてはっきりと視界に入ったのは、一人の女性だった。その人こそ、後にわたしの伯母である仙洞院だと知ることになる。
当時のわたしは、目の前の女性が誰かなど知るはずもなかったが、彼女の手はひどく温かく、心を安らげてくれた。その記憶だけは、今もはっきりと残っている。
後に伯母上から聞いた話では、わたしは生まれたばかりの頃、あまり泣かない子だったそうだ。そりゃそうだ。中身は成人女性で、泣くという行為にすら戸惑いを覚えていたのだから。
けれど、不思議なことに、ある時ふいに泣き声を上げたという。
「うああぁ〜!」
なぜその時だけ泣いたのか、今となっては思い出せない。だが、きっと――突然、知らない暗闇に投げ出され、不安の中で初めてぼんやりと見えた女性の姿に、わたしは安心したのだろう。そうして、初めてこの世界の「人の温もり」というものに触れたのだと思う。
そして――そんな頃だった。わたしは、許嫁である景勝に出会った。
「あなたが、トラヒメ様ですか?」
その声に、わたしは思わず応じた。
「……あうっ」
言葉にならない声だったけれど、それがわたしの、この世界での最初の返事だった。まだ薄ぼんやりとしていてよく見えないが、自分の目の前には青い袴を着た少年がいたのは感じ取れた。
「まあ、トラってば、まるで私たちが言っていることがわかっているようね」
そりゃ、わたしは中身は成人済みですから。と言っても信じて貰えないだろうけど。
「……随分と大人しい子ですね」
「ええ。なんだか、この頃のウノマツを思い出すわ」
「その名前で呼ぶのはおやめ下さい。母上」
「あらそうね。あなたはもう元服してアキカゲ、と名乗っていたわね」
「そうです。その名前でお呼びくだされ」
「はいはい。あなたも気がつけばすっかり大人ね」
「ええ。この間初陣を終えたばかりなので」
「全く。あなたってば、愛想くらい覚えなさいよ」
「私に必要ありませぬよ」
「そんなことないわよ」
「あります」
薄ぼんやりとした視界の中はっきりと聞こえたのは「母上」と「アキカゲ(ウノマツ?)」という名前の男女。生まれてすぐの頃は何も見えなかったので、状況を把握できなかったが、この会話を聞いて何となく感じたこと。
なんか、会話が古めかしい。なんというか、時代劇を見ている気分になる。アキカゲと呼ばれた男は女性の方を敬語を使って「母上」と呼び、女性はそれに答える。
それにわたしを見てアキカゲは「トラヒメ様」と読んでいた。トラヒメ様。咄嗟に漢字が予測できないが、書いて字のごとくならば「虎姫」か「寅姫」だろう。そして、女性の方はわたしを「トラ」と読んでいたので間違いなく虎がわたしの名前で、姫様は敬称なのだろうと感じた。現代は姫様を敬称として使うことはあまりない。しかし、その昔、明治維新よりも前の時代ならば使っていたはずである。特に良家の大名ならば。つまり、わたしは何らかの事象により過去の日本の誰か姫に逆行転生させられたのだろうと悟った。
しかし、今の会話だけでは今がいつでなんなのかがはっきりとしなかった。もう少し話の内容を探ってみる必要がありそうだ。そういえば、わたしとアキカゲ、そしてこの女性の関係は一体なんなのだろうか。皆目見当もつかないが。
「あ、姉上、こちらにおられましたか」
「ええ。お仕事は終わったのかしら?」
「ええ。終わらせてまいりました」
また、見知らぬ男が現れた。一体誰だ。この男は。アキカゲが母上と呼んだ女性を「姉上」と呼んでいるからアキカゲの叔父に当たる人物なのだろう。
「ほら、あなたも虎を抱えてみなさい」
「ええ、ぜひそうしてみます」
突然わたしは不思議な浮遊感を感じた。この男に抱えられたのだ。
「……随分と大人しい赤子ですね」
「ええ。きっとあなたに似たのよ。この子は」
「いえいえ。伯母であるあなたに似たのでは無いですか?」
恐らく2人とも若くないはずで、姉弟というには仲が良すぎる気がする。気のせいかな?わたしは前世のわたしに関する情報がほぼないから、兄弟がどういうものか知らないけれども。
この会話ではっきりしたことは、この「母上」や「姉上」と呼ばれた女性はわたしの「母」ではなく「伯母」なのだと。
そしてこの男は恐らくわたしの父だ。




