第12話 石鹸作り②
翌日の朝。いつものように朝の支度を終え、朝餉の席に着く。わたしは、景勝の隣に腰を下ろした。
最近、少しずつ体が重くなってきたのを感じる。父上の膝に乗るのが、なんとなく申し訳なく思えてきた。もちろん、父上は相変わらず寂しそうに手を差し伸べてくる。だから「本当にいいのかな……」と戸惑いつつ、それでも膝に乗るのが毎朝の決まりだった。
でも今日は、景勝の隣にいたい気分だった。
父上は少しだけ寂しそうな顔をしていたけれど、許してほしい。明日はちゃんと膝に座るから。
そんな時だった。父上がこちらに話しかけてきたのは。
「最近、虎は台所でなにかしているのか?」
「はい。石鹸を作っています」
「セッケン……?」
聞き慣れないのかわたしの言葉に、与六、千代丸、信綱を除いた周囲の者たちが、ぽかんとした顔で首を傾げた。
「まだ試作中なので、はっきりとは言えませんが……これができれば、手を洗えるようになるはずです」
「手を洗う……とは、文字通りの意味か?」
「はい。手を綺麗にするんです。泥や、ばい菌……ええと……汚れを落とすことができます」
説明を重ねても、なお疑問顔の人たちもいた。仕方がないので、「詳しくは後日、ちゃんとしたものができたらお見せします」と、適当なところで話を切り上げた。
◇◇
「さて、今日も始めよっか。みんな、よろしくね!」
「はい。よろしくお願い致します。虎姫様」
「よろしくお願いします。虎姫様」
今日も台所へやってきて集まったメンバーは与六、千代丸に__
「ああ。よろしく頼む。虎」
「うん。よろしくね! 景勝」
今日は、許嫁である景勝もいる。
彼は、先ほどの「石鹸」の話にも関心を示していたが、それよりも——どうやら、わたしが作り始めた頃から与六を通じて何度か話を聞いていたらしい。ずっと参加したかったのだが、公務が重なって時間が取れなかったのだという。
ようやく今日、少しだけ時間が空いたようで、こうして様子を見に来てくれたのだった。
「それじゃあ、とりあえず取り出してみよっか」
この作業もこの時間を繰り返すうちに慣れてきたのか、与六と千代丸はそそくさと準備を始めた。
「あ、ほとんど全て固まっていますね」
2人が持ってきた升は全てキレイに固まっていた。
「与六は水の入った桶と布巾を、千代丸、刃物を用意してきてくれる?」
「は」
2人が取りに行っている間景勝に近づいた。
「これが、虎の言うセッケンとやらか?」
「そうだよ! まあ、想像していたのとは少し違うけど」
「結構いい匂いだね」
「香油が混ざってるからその匂いかも」
ほのかに花をくすぐる花の匂い。香油は部屋にあった使わなくなったものを適当に使っているけれども、なかなかいい匂いなのは間違いなかった。
「……触ってもいい?」
「与六が水を持ってきてからね」
「わかった」
真面目くさった顔で素直に頷く景勝を見てホッとため息をつく。変に興味を持った彼の手が火傷したとかなったら笑えなさすぎる。
「楽しいか? 虎」
「うん。難しいことはしてるけど……でも、楽しいよ」
にこっと笑ってみせると景勝の手がわたしの髪の上に乗った。
「……え?」
突然の事で何が起こったのか分からなかったがだんだん理解する。……どうやらわたしは景勝になでられているようだった。
「か、景勝……?」
景勝が何を思ってこんなことをしているのか彼の顔を覗いてみるもいつもの無表情。なにもわからなかった。……いや、目元が少し寂しそうだ。
「虎がいつも頑張っているのは知っている。でも、寂しい」
「寂しい……?」
「ああ」
そう、短く返事をした彼はとても幼く見えた。
「僕は虎とずっと一緒にいたい。……ダメか?」
「な、なんでダメって言うの。いいよ。もちろん」
迷い犬のような顔をする景勝になんだか申し訳なくなり、手を伸ばして景勝の頬に添えた。
「……その、ごめん。寂しい思いさせて」
「ううん。虎が謝る必要ないよ」
「……」
「……」
何を言ったら彼の慰めになるのか、なにが行けないのか。どうしたらいいのかわからず、言葉が思うように出てこない。なんとなく申し訳なくて顔も合わせられなかった。
「虎姫様、取ってまいりましたよ」
「……虎姫様……? 景勝様……?」
声にハッとして顔を上げると、与六と千代丸が戻ってきていた。
「あ、取ってきたんだね! ありがとう。2人とも」
景勝には申し訳ないがこのタイミングでやって来てくれて、助かったと思ってしまった。
「それじゃあ、続きやろっか」
わたしは足踏み台の上に立つ。
「与六、この升の中身が崩れないように刃物で削って取り出して。千代丸も同じことして。……あ、もし、間違えて触ったりしたらすぐに水で洗い流してね」
わたしの指示通り2人は石鹸もどきに触れないように気をつけながら慎重に取り出す。
形のバランスは悪いが、昨日混ぜたもののひとつがきちんと固まっていた。
「これが石鹸ですか?」
「うん。たぶん。試しに使ってみるね」
安全性に対する不安はあるものの使えなければ意味がない。わたしは墨で手を汚して、石鹸で洗う。与六に持ってきてもらった桶で洗い流すと市販のようには行かないが手につけた墨が薄く消えかけていた。
「墨が消えた……!?」
「凄いですね! そのセッケンなるものは」
「思ったより効果は小さかったけどね」
それでも2度くらいやり直せば完全に消えるくらいには完成度は高い。初めて作るにしてはよくやった方じゃないだろうか?
「僕もやってみてもいい?」
「もちろん! あ、安全性はまだ取れてないから触ってなんか異変あったらすぐに洗い流してね」
与六に頼んで桶の中にある水を新しいものに入れ替えてもらった。
「使い方はどうするんだ?」
「手を軽く湿らせて。そして、その石鹸を軽く泡立てたら手のひらや甲に塗り広げる。最後に水できちんと泡が手に残らないように洗い流したら完了だよ」
景勝はまず墨で手を汚してから石鹸でわたしの指示通りに洗う。
「本当によく消えるな」
石鹸を洗い流した景勝は感心したように手のひらをよく見る。厳密に言うと墨はまだ青っぽく残っているが、これはこれでいい発明だと思う。与六や千代丸も続いて石鹸を使うと感動したいように目を輝かせる。
「これ、早速上杉商会で商品化しませんか?」
「う~ん……ぜひそうしてくれと言いたいけど、問題点も多いからまだ難しいかな? それにもし商品化するなら量産のことも考えないとね」
問題点は言わずもがな多くある。上記にあげたような量産だけでなく、安全性に見た目などがある。与六は意気揚々と提案してくれるところ悪いが、それを解決しなければ、のちのちに問題が起こった時に責任を負うのは上杉家だ。それは本当に申し訳ないけどごめんだ。
「わかりました。ですが、経過報告だけでも中井殿に報告致しませんか?」
「そうだね。報告書まとめるの手伝ってくれる?」
「もちろんです」
時間はかかるが、このままいけばきっと必ず成功する。そんな期待を抱きながらわたしは台所を後にした。




