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漫画や映画には、主人公が異世界に迷い込み、その世界で活躍するといった作品がよくある。少年誌では言わずもがな、少女漫画でさえ、アニメ化して魔法騎士がロボットに乗るようになるものまで存在する。
俺には今、そうした物語を書いた作者の人たちに、ぜひ聞いてみたいと思っていることがある。
それは、物語の後、元の世界に帰ってきた主人公たちはどのように暮らしていったのか、ということだ。
ネバーエンディングストーリーや前述の魔法騎士のように、続編が製作されたものは確かにある。けれど、それらはもう一度異世界に行くことになるようなものばかりであって、当然ながら現実世界での日常は主題ではなかった。多少の変化があったとしても、どれも普通の学生としての生活を送っていた。
しかし、もし、異世界で手に入れた特殊な能力が、現実世界に帰ってきても使えるままだとしたら?
彼ら彼女ら主人公たちは、普通の生活に満足していただろうか。
俺は、それが知りたくてたまらない。
いや、実際はチカラの有無なんて関係ないのかもしれない。世界を救うような大冒険をした後で、〝生きる〟という言葉の本当の意味を知ってしまったその後で、毎日が約束されたこの平凡な世界に帰ってきて、彼らはこうは感じなかったのだろうか?
向こうの世界の方がマシだったと。
俺は今、痛切にそれを感じている。
菖蒲力也という名の高校一年生は、幼馴染の塚本勇一、相田美貴ら二人と同時に同じ異世界へと召喚され、数ヶ月の後に再会を果たし、通算一年をかけてその世界の危機を救い、現実世界へと帰ってきた。
その世界の勇者として讃えられたのは俺ではなく勇一であり、仮にその一年を冒険譚として綴ったならば、主人公に選ばれるのは間違いなく彼であったことだろう。
しかし、彼を主人公たらしめていた無二の宝剣は、こちらの世界には存在しない。俺たちに残されたのは、美貴が持つ身体能力の強化と俺の万能魔法、あとはあるはずのない一年の経験だけだった。
勇一が持つ、精霊の力を増幅するという能力は、精霊が存在しないこちらの世界では意味がなかったし、俺たちが異世界を救って帰ってきたとき、この世界ではまったく時間が経過していなかった。
だから、俺や美貴の異能力が残っていなかったら、俺たちは集団催眠か何かにかかっていただけだと勘違いしていたかもしれない。
ともかく俺は、一年という非日常を同級生よりも長く生きている。突然何もわからない世界で独りぼっちという状況に立たされて、魔物から身を守りながら人里を求めてさ迷い歩いた。街に辿り着いてからは、現地の人々の信頼を得て自分の生活を守りつつ、その世界で自分に何ができるのかを模索した。
自分のことはすべて自分で決めなければならず、そこには確かに、〝生きる〟ということへの実感があった。
それは、この世界にはないものだった。
皆が必死で、だからこそ活力があり、それだけに笑顔が輝いていた。電気もガスもなく、文明レベルは低かったが、原始的でも野蛮ということは決してなく、義理と人情に厚かった。街全体が一つの家のように温かく、そこに暮らす人々は例外なく、全員が生活の仲間だった。
それは、この世界にはないものだ。
だからこそ俺は、誰かに教えてほしいのだ。
俺はこの世界で、いったいどう生きていけばいいのかと。
元の世界に帰ってきてから、平凡な一年が過ぎた。
それは本当に平凡な日常で、何か変わったことがあったとすれば、勇一のバカが単独で剣道部に勝ち抜き戦を挑んだ挙げ句、ほぼ全員を打ち負かして帰ってきたことくらいだ。「体力さえ続いていれば最後まで勝てた」というのが、その時の本人の談である。
俺たちは一年多く歳を取っているということもなく、戻ってきた時の肉体の状態は異世界に召喚された時点のままだったので、今の俺たちには向こうの世界で鍛えた筋力がまったく残っていないのだ。
急激に腕に力が入らなくなったことが寂しいのか、勇一は「身体をイチから鍛え直す」と決意して、そのまま剣道部に入部した。奴は奴なりに、この世界の日常を楽しんでいるようだった。
美貴は通っている高校が違うが、彼女には平和な日常の方が性に合っているようだった。俺と勇一という二人の男の間で揺れ動いていた恋心に、向こうの世界で決着がついたことがプラスに働いているのだろう。誰であろうと恋人ができたからには、その生活に安寧を求めるものだ。美貴はこの世界の〝平和〟という名の退屈を、良いものとして受け入れているように見えた。
べつに、悔しくなんかはない。
俺が向こうの世界で二人と合流したときにはもう、二人は恋人になっていた。自分が蚊帳の外にいる間に身近にいた方とくっついていたというオチにこそ腹が立ったが、あいつらが付き合っていること自体は良いことだと思う。
俺だけが今の生活に違和感を持っているのは、そこに原因があるのだろうか、とも考えた。恋人ができれば、俺も現状に満足できるようになるのかもしれないと。
だが、答えはまだ見えていない。
そもそも、俺たちの物語はもう終わってしまっているのだ。
伝説の剣を手にしたヒーローがヒロインと結ばれつつ魔王を殺し、もう一人の仲間と共に自分の世界へと帰っていった。
ほら、言うなれば今の生活は、ただのエピローグだ。そこにはドラマが生まれる余地などなく、〝勇者様ご一行〟の一員に過ぎなかった俺のことなど、「彼も元の世界でいい人を見つけ、平和な生活を送りました」くらいの一文しか書かれないだろう。いや、下手をすればそれすらもなく、まったく触れられないまま終わるのかもしれない。
これでも、べつにスネているつもりはないのだ。ただあの頃のような充実感を求めているというだけで、だがそれはこの世界では得られないものなのだと、諦めてしまってもいるというだけで。
だから将来の職業は、意外と農家とかが合うのかもしれないと思った。自然の中で充実した日々を過ごしたいと望むのなら、作物を育てるのが一番いいと。乳牛や鶏卵もいいかもしれない。だけど豚や肉牛だけは駄目だ、あれはトラウマになってしまっている。
どこか、跡取りがいなくて困っているようなところにスッポリ収まることはできないだろうか。そんなことを考えながら、夏休みは牧場見学なんかをして過ごしていた。
そして、今日から二学期が始まる。明日というものが約束された退屈な日々だ。時間割どおりの毎日が変化なく続いていく、無益な四ヶ月間だと思う。
いや、そう思っていた。
「あー、今日はいきなりだが、転校生を紹介する」
始業式の後、ホームルームの冒頭で、そんなことを言う担任の、隣に立っている人を目にするその時までは。
男子も女子も含めて、クラス全員の視線がその一名に集中していた。時が止まってしまったかのような錯覚の中、自分が持っている全神経を動員してその人物の挙動を観察〝させられている〟ような感覚。それは向こうの世界で経験した、魔物の爪が自分に振り下ろされている最中の、極限状態によく似ていた。
その人の柔らかな唇が開かれ、並びの綺麗な白い歯が顔を覗かせる。あ、いま口から息を吸ったな、という細かな動きすら、席に座ったままの距離から知覚できてしまう。このとき、確かに世界はスロー再生のように動いていた。
「支倉瑛美、ハーフです。できればエイミィって呼んでください。しばらくアメリカにいたんですが、日本育ちの日本人気質なんで、気兼ねなく話しかけてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
さて、どうしたものか。あとはもう、エピローグを消化するだけの人生だと思っていたのに。
俺はつい、心の中で隣の教室にいる親友に語りかけてしまっていた。
おい、勇一。
なんか、俺には続編が用意されていたみたいだぞ。