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君がいる奇跡  作者: トウリン
サイドストーリー:キミと歩く明日

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そして、キミと歩き出す

 ナナの胸は、街中で不意に見かけたその姿にドキリと高鳴った。

 こんなふうに感じるのは、初めてのことで。

 今まで普通に見ていられたのが、不思議なくらいだった。

 弾む足取りで見失ってしまわないうちに彼の元へと急ぐ。

「福井さん!」

 名前を呼ぶと彼はすぐに振り返って、ナナを見つけると笑顔になった。

「よう、仕事帰りか?」

「そう」

「どうだ? 今度は続きそうか?」

 一所ひとところにあまり居つかないナナに、福井が苦笑しながら訊いてくる。出会った頃から何かとナナの世話を焼いてくれていた彼は、彼女が成人した今でもやっぱりその動向が気になるらしい。会うと三回に一回は同じ質問をしてくるのだ。

 ナナは肩をすくめて頷く。

「まあ、イヤなことはあるんだけどさ、これからはすぐ辞めちゃわないでちょっと頑張ってみようかなって思って」

「へえ?」

 ナナの答えが意外だったと見えて、福井の眉が上がった。

「アタシもオトナになってるの!」

 ムッと唇を尖らせて、そっぽを向く。実際のところは、ナナの転職サイクルが長くなった理由として最も大きいのは響の存在だったが。

 以前は少し何かがあるとすぐにその仕事を辞めてしまっていたけれど、今はそうする前に響に愚痴をぶちまけている。彼女がうんうんと頷きながら聴いてくれて、「頑張っているんですねぇ」と言ってくれるだけで、不思議ともう少しだけ続けてみようという気になれるのだ。

「凌もだけど、君も変わったよなぁ」

 感心しきったその声に、ナナは何となく照れくさくなる。話題を変えようと思って頭を巡らせ、重要なことを思い出した。

「あ、ねえ、そう言えば、チョコ……どうだった?」

 響は美味しいと言ってくれたけれど、アレを渡してから三日間、福井がどう思ったかが気になって仕方がなかったのだ。らしくなく怖気づきながらの問いかけに、彼の笑みがパッと明るくなる。

「美味いぞ、よくできてるよな。売り物よりも美味い」

「良かった――って、もしかしてまだ食べ終わってないの?」

 美味かった、ではなく美味い、という言い方に違和感を覚えて、ナナは首をかしげた。

 そしてハッと気付く。

「あ、もしかして甘いの好きじゃなかったんだ?」

 響は、凌はあまり甘いものが得意じゃないから、と少し甘さを抑えたものを作っていた。ナナもそうするべきだったのかもしれない。

 肩を落とした彼女に、福井が慌てたようにかぶりを振った。

「いや、むしろ甘いものは好きだ。けど、何だかもったいなくてな……」

「え?」

 弾かれたように顔を上げると、福井の頬骨の辺りがほんのりと赤く染まっている。

「なんだ、その……」

 口ごもる福井に釣られたように、ナナも何故か顔が熱くなってきた。

(何なんだろ、これ……)

 チョコレートを渡したあの晩、福井に対する気持ちは、響に対して感じるものとよく似ていると思った。けれど、何かが違う気もする。

(――どこが……? 何が違うんだろう?)

 福井は、これまでナナの上を通り過ぎていった数多くの男たちとは全然違う。

 一時は『特別』だと信じていた凌とも違う。

 一番似ているのは、響だ。

 響と同じように喜ばせたくて、響と同じように抱き締めて欲しくて、響と同じように触れて欲しい。

 なのに、何かが少しだけ違う。

 それは何なのだろうと、首をかしげた時だった。

「あれ、ナナじゃん、久し振り」

 馴れ馴れしい声と共に、ナナの肩にどさりと重みが加わる。

「あんた……」

 不躾に肩を抱いてきた相手を見つめて、ナナは眉をひそめた。確か、以前に何度か寝たことがある男だ。

 チラリと福井に目を走らせると、眉間に皺を寄せている。

 ――彼には見られたくなかった。

 そんな気持ちが頭の中をよぎる。

 別に、寝た男と一緒にいるところを誰に見られようが昔は全然気にならなかったのに、今は嫌でたまらなかった。

 ギュッと唇をきつく噛み締めたナナの耳元に、男が囁いてくる。

「今、暇? 久し振りに、いいだろ?」

 男は目の前にいる福井のことなど、まったく気にしていないようだった。ナナは肩の上の腕を力いっぱい振り払い、真っ直ぐに彼に向き直ってきっぱりと告げる。

「アタシ、もうそういうのやってないから。誰とでも寝るっていうのは、卒業したの」

 背中に福井の視線を痛いほどに感じながら、ナナは胸を張って宣言した。そんな彼女に、男は一瞬目を丸くしたかと思うと次の瞬間盛大に噴き出す。

「お前が? ムリだろ、それ。お前、男なしじゃいられないじゃん」

「ムリじゃない! ホントなんだから!」

 男に向けてそう言いながら、ナナが誰よりもその言葉を信じて欲しいと思っていたのは、福井だった。何故かは解からないけれど、以前の自分とは違うのだということを、彼に信じて欲しかった。

「まあまあ、いいから。ほら、行こうぜ」

 ナナの言葉には全く取り合わず、男が彼女の腕を取ろうとする。

 刹那。

「うわ、イテ、イテェ!」

 情けなくもあがった悲鳴は、男からのものだ。きょとんと見つめるナナの前で、福井が男の背中に捻じり上げた腕を更に捻る。

「彼女は行かないと言っているだろう?」

 優しげとすら言える声音で、福井が男の耳元で囁いた。

「わかった、わかったから放せって!」

 男の懇願に福井はパッと手を放すと、目じりに皺を刻んで微笑んだ。

「彼女にはもう近付かないようにね?」

 ごま塩頭をした無害そうな中年男の笑顔だが、目だけは鋭い。

「頼まれたって、近付いてやらねぇよ。女は他にいくらでもいらぁ」

 地面に吐き捨てられた男の台詞には力がなく、人混みの中に逃げていく足は速かった。

 完全にその姿が消え去るまで見送って、福井がナナに向き直る。その眼差しに軽蔑の色が含まれているに違いないと、彼女はとっさに顔を伏せてしまった。

 けれど。

「また困るようなことがあったら、僕に言いなさいよ?」

 耳に届いたその声は、優しくて。

 おずおずと目を上げると、彼女に向けられている福井の眼差しにあるのは案じる気持ちだけだった。

「アタシ……ホントに今は誰とも寝てないんだよ?」

 男に言った台詞をもう一度繰り返すと、彼は笑った。

「それは、良かった。いつ変な男に引っかかるか、わかったもんじゃなかったからな」

 福井の笑顔に、ナナの胸がキュッと握り締められたようになる。

(――ああ、もしかして)

 彼に抱く気持ちが何なのか、ナナは解かったような気がした。

 大好きな響へのものとよく似ていて、だけど、やっぱり違うもの。

「アタシ……福井さんのこと、好きなんだと思ってた。けど、違うみたい」

 唐突に、ポソリと呟かれたナナの言葉に、福井の笑顔が一瞬引きつった。が、すぐにそれは取り繕われる。

「それは、そうだろう。僕は君の年のほぼ倍だよ?」

 ハハ……と続いた、妙に乾いた笑い声。

 ナナは予想通りの返事に俯いた。

「だよね……福井さんは、アタシに触ろうとしないもの。アタシのことは、あの事件の被害者だから気にしてるだけなんだよね……」

「え?」

 落ち込んでいたナナは、その時の福井の声に含まれていた戸惑いの響きを、聞き逃した。聞き逃したまま、続ける。

「でも、アタシ、アタシは、福井さんのこと、愛してるんだと思うんだ。好きなんだと思ったけど、ちょっと違うし。これって愛なんじゃないかな。アタシ、今まで散々間違えてきたけど、これはちゃんと合ってる気がする」

「は? ちょっと、待って、僕には話の筋が……」

「あ、いいの、アタシにこんなこと言われても困るよね。だって、アタシに触りたくないってことは、そういうことでしょ? 福井さん、刑事だし、ちゃんとした人だし、ヘンに勘違いされたら困るんだよね。わかってる、アタシ、昔よりはモノが見えるようになってるから」

 ナナが男性にあげられるものは、この身体くらいだ。けれど、福井はそれを欲しがらない。返せるものがないのに好きになって欲しいなどとは、とてもじゃないけれど、言えやしない。

「チョコレート、美味しかったんなら良かった。じゃあね」

 自分でも何を言っているのかよく判らなくなってきて、一方的にまくしたててナナは踵を返して彼の前から立ち去ろうとした。その彼女の腕を、力強い手が引き止める。

「ちょっと待ちなさいよ、少しは僕にもしゃべらせてくれないかな」

 福井のその声にあるのは、困惑と戸惑いと、それから――何だろう?

 恐る恐る振り返ってみると、彼の口元には苦笑が刻まれていた。

「君は、まだまだ全然、モノが見えてはいないと思うよ」

 言いながら彼はナナの腕から手を放し、胸ポケットから手帳を取り出した。そこにサラサラと何かを書き付けて破ると、彼女に差し出す。

「この件については、もっとちゃんと時間をかけて話したいよ。二時間したら仕事が終わるから、電話してくれる?」

「え……?」

「僕が君をどう想っているか――どう想ってきたか、知りたかったら君の方から電話をしてよ」

「でも……」

 今戸惑っているのはナナの方だった。

 ――福井が、ナナをどう想っているか……?

 どうとも想ってなどいないと、思っていた。

(――だけど、違うの?)

 微かな希望が胸に湧いてしまうことを、彼女は止められなかった。

「待ってるよ」

 彼はそう言って、ポカンと見つめるばかりのナナの頭をクシャリと撫でる。そうして、彼女に向けて微笑んだ。

 それは、凌が響に向けるものと、どこか似ていて。

「じゃあ、またな」

 彼はそれを最後に足早に去って行った。

 もしかして、響が凌を、凌が響を見つけたように、自分にもこれから先を一緒に歩いていける人を見つけたのだろうか。

「アタシに……? 期待、しちゃうよ……?」

 とっくに見えなくなっている相手に向けて、そっと呟いた。

 ナナは手首を裏返して時計を見つめる。

 二時間。

 その二時間は、きっと二年間にも感じられるだろう。

 ナナはそっと時計を撫でて、小さな吐息をこぼした。


取り敢えず、ここでおしまい、です。

響と凌を普通に(?)イチャつかせたかったのと、ナナを幸せにしてやりたかったので書いたお話でした。

ナナと福井がくっつくのは本編を書いている時から決まっていたので、福井のナナに対する気持ちはごくごく微かに匂わせてはいたのですが、あまりに微香なのでお気付きいただけてないかもしれません。


虎徹の義母、涼子さんのお話とかもありますが、需要は低いだろうなぁ。


では、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

お気に入り登録してくださった方、評価を入れてくださった方、ありがとうございました。とても励みになりました。

また、他のお話でお目にかかれたら幸いです。

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