第一話 都合のいい女
「……今日も、来てくださらないのね」
私の向かいには、冷めきった紅茶だけが残されていた。
暖かい春の陽気が、その姿をやけに空しく見せる。
「フィーアお嬢様。申し上げにくいのですが……先程、“今日は急用が出来たため、茶会には参加できない”と、ご連絡がありました」
「そう……わかったわ。教えてくれてありがとう、リーベ」
今日は、私の愛する人とのお茶会の日だ。
何日も前から楽しみにしていたのに……今回も、約束を破られてしまった。
「……今年に入って、すでに二十四回目です」
「まあ、リーベったら。そんな細かい回数まで覚えていたの?」
「当然です。はぁ……先月のフィーアお嬢様の大切なお誕生日パーティーも、当日になって急に来られないと連絡がありましたし……婚約記念日にも、彼はお越しになりませんでした」
今年の誕生日――あの日、雪がしんしんと降る中、少しでも早く彼に会いたくて、外で待ち続けていたけれど、結局彼は来なかった。
「彼のせいで、風邪まで引いてしまう始末……フィーアお嬢様。やはり彼のように、簡単に約束を破る方は、相応しくないと思いますわ」
「そんなことを言ってはいけないわ。優しい彼のことだもの……きっと、何か事情があるのよ。もしかしたら、私に何か原因があるのかもしれないし」
「……フィーアお嬢様は、お優しすぎるのです。数回ならともかく、何十回も約束を破るような人間が、優しいとは思えませんわ」
リーベの表情は、わずかに歪んでいる。
それだけで、長い付き合いの私には、彼女が激しい怒りに苛まれているとわかった。
「せっかく時間が空いたのだから、勉強でもしようかしら」
「なんて前向きな……フィーアお嬢様のお心は、まるで海のように広くて美しいですわ」
「褒めても何も出ないわよ? さてと、この前の続きから……あら? ペンとインクがないわね」
そういえば先日勉強したとき、ちょうどペンが壊れて、インクも切れてしまったのだった。
「では、倉庫からお持ちいたしますわ」
「ううん、大丈夫。気分転換も兼ねて、町に買いに行ってくるわ」
「かしこまりました。では、すぐに馬車の準備をいたします」
「歩いて行ける距離だから、いらないわ」
今日は快晴。こんな日に、馬車ではもったいないもの。
「付き添いも結構よ。少し、一人になりたい気分なの」
「……かしこまりました。では、せめてお見送りだけでもさせてください」
「ありがとう、リーベ」
玄関まで見送りに来てくれたリーベに深く頭を下げられながら、私は屋敷を後にした。
屋敷から最寄りの町までは、歩いて十分ほど。散歩にはちょうどいい距離だ。
「今日は、暖かくて気持ちいいわね……」
こんな素敵な日は、愛する人と一緒に過ごしたい。
――でも、私のささやかな願いは、いつも直前で壊される。
この前も、町で一緒に買い物をしようと誘って、町の噴水の前で待ち合わせていた。
しかし、彼は時間になっても来なかった。
日が沈み、人通りが少しずつ減っても、私はその場を離れなかった。
――何かあって、遅れているだけ。きっと来てくれる。
そう信じて、笑顔を崩さずに待ち続けた。
……けれど、彼が来ることはなかった。
「最近は、ほとんど会話もしてくれませんし……他のお方には、とても優しいのに……やっぱり、私に何か不手際があったのかしら……?」
もしそうなら、早く謝って、仲直りがしたい。
そんなことを考えているうちに、町に着いていた。
私の気持ちなんてつゆ知らず、今日も町は多くの人で賑わっている。
「……そうだわ! 彼になにかプレゼントをすれば、きっと喜んでくれるわ! その時に、一緒に謝れば……うん、これでいきましょう!」
私は、行きつけの高級文房具店で、インクと一緒に、自分用のペンと、プレゼント用のペンを購入した。
ふふっ……こっそり、お揃いのペンを買っちゃった。喜んでくれたら、嬉しいな……。
「あら……あの馬車は……」
帰り道にたまたま通りがかった、オシャレなカフェの前に、大きな馬車が止まっていた。
その馬車に書かれた家紋は、私の愛する婚約者様の家のものだったわ。
……どうしてこんなところに? なにか急用があって、話し合いでもしているのかしら?
「ちょっとくらい、様子を見たって、罰は当たらないわよね。それに、さっそくプレゼントが渡せるかもしれないわ」
私は、そーっとカフェの中に入ると、店の奥に見慣れた男性が、満面の笑顔で座っていた。
サラサラで美しい金の髪に、誰でも虜にしてしまいそうな、蒼い瞳……彼こそが、私の婚約者である、ルーカス・マスフェルト侯爵子息様だ。
……そして、向かいに座る女性も、目に入った。
「いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ~」
私は、見つからないように、でも会話が聞こえるちょうど良い席に腰を下ろし、聞き耳を立てる。
心臓が、ドクンドクンと早く打つが、気にせず観察をする。
一緒にいる女性……見覚えはあるが、お話はしたことがない……一体誰なの?
「今日は、君のおかげでとても楽しい時間を過ごせている。これは、そのお礼だよ」
ルーカス様は、懐から小さな箱を取り出して、彼女の前でそれを開ける。
少し遠いから、確証はないけど……あれって、銀のブレスレット?
「……ど、どうして……それをそのお方に渡すの?」
少し前に、珍しくルーカス様とお話する機会があった。
その時に、欲しいものはあるかと聞かれたことがある――それが、銀のブレスレットだ。
てっきり、それは私にプレゼントしてくれると思っていたのに……。
「ああ、よく似合っているね。用意した甲斐があった」
「でも、いいのかしら? あなた、婚約者がいらっしゃいますのよね? なのに、私と会って……」
ドクンっと、今日で一番心臓が大きく高鳴った。
そ、そうよね。普通は気になるわよね。きっとルーカス様のことだから、何か事情が――
「ああ、そのことかい? フィーアなら理解してくれるさ。だって、あいつはさ……」
一瞬、言葉が途切れる。
――その沈黙が、私には異様に長く感じられた。
「都合がいいし、便利なんだよ」
「っ……!?」
嘲るルーカス様の言葉に、息が詰まった。
婚約者なんだから、愛しているとか、好きとか、良い人とか、そういう言葉かと思っていたのに。
出た言葉は――便利?
「そうでしたのね。まあ、彼女の誕生日も、私と会っているくらいだもの。でも、それなら婚約を破棄してしまえばよろしいのでは? あなたのお家は侯爵家、婚約者は、子爵でしたよね?」
「いくら爵位の差があっても、婚約破棄は面倒だからね。それに――あれは、手元に置いておく方が、なにかと都合がいい」
「なら、私も便利な女?」
「まさか。君は俺の、愛しい女性だよ。さあ、今日はまだ長い。蜜月の時間を過ごせる場所に、一緒に行こう。もちろん、二人きりでね」
あっけにとられている間に、二人はカフェを後にしていた。
「…………」
残された私は、手の中のプレゼントの箱を、ぼんやりと見つめていた。
「そっか……私、とっくに愛される人間から、便利な人間にされていたのね」
――ずっと待っていた。
約束を破られても、誕生日に来てもらえなくても、笑って許し、支え続けてきた。
その全部が、彼にとっては“便利”なだけだった。
「…………」
――ああ、不思議だ。
もっと悲しいかと思ってたけど、心はとても静かだ。
胸の奥にあったはずのものが、すっと消えていく。
「……もう、終わりにしよう」
私はプレゼント用のペンを、静かに机の上へ置いて、その場を立ち去った。
――さようなら、私の愛しかった人。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
読んでいただいた方々に、お願いがございます。5秒もかからないので、ぜひ⭐︎による評価、ブックマークをよろしくお願いします!!!!
ブックマークは下側の【ブックマークに追加】から、評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタッチすることで出来ます!




