慈愛
教会の鐘が鳴る頃には、いつも決まって誰かが彼を訪ねてくる。
神父・ヨハネスは、この街で「聖人」と呼ばれることを何より嫌ったが、それでも人々は陰でそう呼んだ。三十半ばという若さでありながら、その語り口には老練な穏やかさがあり、告解室の薄暗がりの中で彼と向き合うと、どんな罪深い者でも不思議と肩の力が抜けた。
「神はあなたを見捨てたりしません」
それが彼の口癖だった。言葉に嘘はなかった。彼自身、心の底からそう信じていたからだ。
その日の午後も、教会の裏庭では近所の子供たちが彼を取り囲んでいた。
「神父さま、また折り紙教えて!」
「今日は難しいのにしようか。鶴、もう飽きただろう」
彼は膝をつき、小さな手に紙を持たせながら、折り目の付け方を丁寧に教えていく。木漏れ日が彼の黒い司祭服に斑模様を落とし、子供たちの笑い声が響いた。その輪の少し離れたところで、彼の妻・エレナが洗濯物を干しながら微笑んでこちらを見ていた。腕の中には、まだ二歳になったばかりの息子――トマスが眠っている。
夕方、子供たちが家路につくと、彼も裏庭の椅子を片付けながらエレナのもとへ歩み寄った。
「今日はよく笑う子たちだった」
「あなたが一番楽しそうだったけどね」
エレナはそう言って笑い、トマスの頬をそっと撫でた。トマスは小さく身じろぎしただけで、また眠りに落ちていった。
夕食の席で、エレナがふと言った。
「あなたは本当に、誰にでも優しいのね」
彼は苦笑して答えた。
「優しいわけじゃないよ。ただ、みんな同じだけ神に愛されているというだけの話だ」
「それを優しいって言うのよ」
エレナは笑い、トマスの小さな手を握った。窓の外では夕陽が沈みかけ、食卓には温かいスープの湯気が立ち上っていた。
食後、彼はトマスを寝かしつけながら、小さな声で聖歌を口ずさんだ。トマスの瞼がゆっくりと落ち、規則正しい寝息に変わっていく。その様子を、エレナが戸口に寄りかかって見つめていた。
「将来この子も、あなたみたいな人になるのかしらね」
「なってほしいとは思わないな。もっと自由に生きればいい。ただ――誰かを大切にできる人になってくれたら、それで十分だ」
エレナは何も言わず、ただ彼の肩に頭を預けた。
ありふれた、しかし何より尊い夜だった。
彼はこの瞬間を、後になって何百回、何千回と思い出すことになる。取り戻せるものなら、魂と引き換えにしてでも取り戻したいと願う夜として。
だがこのとき、彼はまだ知らない。この穏やかな日々が、あと三週間しか残されていないことを。




