父王と娘(一) 父と母の真実
ついにタルンシュタットを離れる時が来た。
ルーはオットマー侯爵のもとで身なりを整え、ローラント直々の迎えを待っている。
「侯爵、今まで大変お世話になりました」
「あなたはもうルディカ王女殿下なのです。その話はなしにしましょう」
「ではこれで最後に。リンツァギルド一同、影で支えてくださった侯に心よりの感謝を」
背筋を伸ばし、真摯な眼差しを向けた。自分は今、ルディカではなくルーであると示すために。
高雅なドレスに不釣り合いなほどの義理堅さ。侯爵は暗殺者ルーからの深い敬意を受け止め、頷くとともに、不敬ながらも僅かに惜しんだ。
「寂しくなりますね。良いギルドがいなくなるというのは」
この言葉を受け、ルーは静かに目を伏せる。
「そう言って頂けると、手を汚してきた自分が少しは誇らしくなります」
タルンシュタットは騎士貴族オットマー侯爵領地内の都市だ。良く収められ、裏社会との付き合いも巧み。王都から離れていてもここまで発展したのは、エルミア伝統貴族である基盤に加え、柔軟な手腕あってのことだ。
「それでは姫様、これまでのことは明かしてはなりません。我が家も他言はせず、あなた様を支える立場となりましょう。ギルバート氏は表の稼業にて宮廷に顔が利きます。我が娘を連絡役としてお側に置いていただけたならば、姫が孤立することはございますまい」
「過分な計らい、ありがたくお受けいたします。私に仕える者達をあなた様の遠縁としてくださったこと、心より感謝致します」
セス、ジョゼ以外の男メンバーは侯爵縁の者となり、ベルはギルバートがどこぞの未亡人に仕立てあげた。
後はギルバートとローラント王子、国王が上手くやるだろう。まさかあの殺戮天使が……オットマー侯爵は感慨深い思いだ。
ルーも駆け抜けた日々に浸りつつ、ローラントの来訪に向け待機している。
待機していたのだが……。
「国王陛下御一行、ご到着です」
「はぁぁぁぁぁぁ?!」
知らせが来た途端、思わず素っ頓狂な声を上げたルディカをオットマー侯爵は急ぎ宥めた。拒絶反応は必至と聞いていたことで、口を噤んでいたのだ。既に人払いもしてある。
「姫、お行儀が悪うございます」
「悪くもなります! あーー!」
ハーフアップに美しく結い上げられた髪に手を当てかけ……いや、頭を掻きむしりかけたが、ルーは何とか耐えた。
これは一体何の手違いか。
控えているギルドメンバーを見ると、皆事情を知っていたようだ。
「酷くない?」
セスが笑いを堪えつつ、恭しく答える。
「殿下はデュラン公爵が治めるメーアシェール港にてお待ちするとのことです」
やっぱり知ってるんじゃん! という言葉を思い切り飲み込んだルーは、渋々と王を迎えることにした。
(不味いわ……あの子ったら顔に出てる)
(気持ちは分かるが、何とか踏ん張れ)
皆の激励を背に受けてるとも知らず、ルーは少しも楽しくない顔になりながら、腰をかがめた。
扉が開き、靴の音が聞こえ、自分の前で止まった。
「顔を上げよ」
この一言でルーは爆発した。
顔を上げ、王をグイッと睨みつける。
「勝手に迎えに来て、なんです? その態度。本当に父親の自覚あります? 平民にでも下って父親の勉強してきたら良いんじゃないですか?」
周囲が真っ青になる中、顔を思い切り歪めているルディカに、王はしばし沈黙した後、失笑する。
「相変わらずだな。我もできることなら民に習ってみたいものだが、そうもゆかぬ。許せ」
王女の立場となっては突っかかってくることもないかと考えていた王は、変わらぬ様子が小気味良かった。
「ルディカ、迎えに来た。積もる話もある。そなたは嫌そうだが、付き合ってはもらえぬか」
「別に嫌じゃないですよ。態度が嫌いなだけで。そうやって普通にしてればいいんです。面倒臭いので」
「やれやれ、本当に王宮なんぞに連れて大丈夫かのう。オットマー侯爵よ」
尋ねられた侯爵も、若干どころか相当の不安が湧いたが、ルーを社交界で見掛けたことはあった。どこの大貴族かと見まごうほどであり、本来はしっかりできるはずだ。……たぶん。
そんな不安を微塵も出すわけにいかない侯爵は、恭しく答えた。
「ルディカ様ほどエルミア王女に相応しき方はいらっしゃいません。今は陛下との再会に大変驚いていらっしゃるのでしょう」
最後は説得力がないが、前半は事実である。王は愉快そうな顔付きになった。
「では王宮にて確かめるとするか。その前にメーアシェール城となるが。ルディカ、手を」
王から差し出された手にルーは渋々と手を重ねる。
が、その一挙一動は流れるように優雅で、王すらも見惚れる美しさだった。
「ではゆこうか」
「はいはいはい」
「返事は一度で良い」
「はーい」
優雅さに気だるさが混在しているルーを終始笑いながら、王はオットマー侯爵邸を後にした。
港に着くと、見物人が多く押し寄せていた。「行方不明だったルディカ王女が、オットマー侯爵に保護され、陛下自ら迎えに来た」との噂で人々は沸き立っている。
王はルーをこれ以上ないほど大切に馬車から降ろす。ルーもこの時ばかりはさすがに人目を気にし、愛らしい微笑みを浮かべる。王は内心胸を撫で下ろした。
だが、船に乗り陸が遠ざかると、一礼しすぐに欄干へと離れてしまった。ルーの気持ちを思えば声を掛けるのも躊躇われたが、王は従者を遠ざけ近付く。
「それでは取り付く島もないぞ。そなたには話しておかねばならぬ事があるゆえ、我が迎えに来たのだ」
訝し顔を向けるルディカを王は船内へと誘い、一室に落ち着く。
「そなたの母マリエルのことだ」
給仕は王の従者ではなく、セスに任された。
あの時のコーヒーが美味かった、との理由を付け人払いもしてある。
セスは手を止めそうになりながらも、二人にコーヒーを出し、後ろに控える。
ルーは母のことを聞くのが怖かった。今まで誰にも尋ねてこなかったことだ。
ペンダントをギュッと握りしめ、小さく呟く。
「……教えて」
「少し長くなる。そなたが生まれる前のことからだ」
***
国王フリードリヒは、マリエル妃を初めて目にした瞬間、恋に落ちた。
言葉を交わしその心根にも強く惹かれ、愛して愛して、顔を合わせぬ日はなかったほどだ。
いつも控えめで心優しく、神秘的な歌で心を癒し寄り添ってくれるマリエルの存在は、陰湿な宮廷で疲れた王の支えになっていた。
そして、マリエルは身ごもった。
「報せを受けた際、あまりの嬉しさに急いで駆け付けたものだ。メロヴィアにも報せ、両国の関係はますます良くなると、向こうの王から書簡と心のこもった贈り物が来てな」
「メロヴィアが?!」
この最悪な父が母を愛していたこと自体信じ難いが、身体反応は嘘をついている者のそれではない。
それよりも、とルーは頭を急いで切りかえた。ルーにとってはメロヴィアが祝福した、という方が信じられなかった。だったらなぜ……。
王は複雑な面持ちで問いかけたルーに優しく答える。
「そなたは病床のマリエルしか見ておらぬだろう。だが、元来は活き活きとした輝きを放っておった。メロヴィアは国随一の美しさを誇るマリエルをエルミアとの友好の証として、我に嫁がせたのだ。当時は良い関係だった」
「最低だね。それ、単なるエルミアへのご機嫌取りじゃん。お母様を贈呈品にしただけだよ」
ルーはメロヴィア国自体が嫌いな訳ではない。母や自分やセス、虐殺した巫女、そして皆殺しにしようとしたジョゼ達スティーン。その犠牲の上で、平然と生き長らえているメロヴィア王族と上層部が大嫌いなだけだ。
「そうだな。我も妃とはそういうものと考えていた。だがな、我は心からマリエルを愛し……二人でそなたが産まれるのを待ち望んだ」
「……。」
王は懐かしみ噛み締めるように話す。その瞳の中に深い哀しみを感じたルーは、目を逸らしカップを両手で持った。
王は話をゆっくりと続ける。一言一言が大切であるかのように。
「我は幸せであった。だが……マリエルは病に倒れた」
苦痛に耐えるように、王は拳を握る。
ルーは手を伸ばしかける自分を感じた。カップから僅かに指が離れる。そして、眉をしかめるほど胸の奥が痛かった。痛くて痛くて、先を聞くのが怖くなった。




