殺戮天使(一)暗殺者ルー登場
煌びやかなホールに、軽快なガヴォットの調べが通り過ぎる。
生成りの銀糸サテンに身を包んだ可憐な少女は、グラスを持ち談笑する紳士淑女の間を長い黒髪を揺らし、軽やかに歩む。
少女に付き添いの影はない。自然、視線が向かう。
すれ違いざま、見惚れた紳士が声を掛ければ、ふわりと微笑み返し、するりと通り抜けてしまう。
振られたな、と紳士の隣の男はからかうも、彼もまた少女の後ろ姿を目で追っていた。
微笑みはあまりに清く、ひっそりと揺れるスズランのようだった。享楽の場には似つかわしくないほど儚く、胸を掴まれる。
そんな事を男が考えている間に、少女は人垣の中へ消えて行った。
あの姿が忘れられない。
残り香に導かれるまま、喧騒から静かな月夜の庭園へ出た。先ほどの少女が噴水に腰掛け、歌っている。
──シャンと鳴らせば 霞立ち
なぜひとりで。問いかけようと近付くが、美しい歌声に用意していた言葉を忘れ聴き入る。
男に気付いた少女は、歌いながらふわりと立ち去ってしまった。
夢見心地のまま、男は少女を追い掛けた。
春先の庭園は、気付けば花々が咲き乱れていた。木々の隙間から木漏れ日が差し、小鳥の声が聞こえる。少女の歌声が耳に響き、景色がさらに美しさを増す。
──シャンシャン鳴らせば 大地生まれる
この世のしがらみから解き放たれるような、心地良さ。
「ああ、なんとこの世は……」
──大地に精霊 舞い降りて
素晴らしいのだろう。涙が頬を伝った。
──ネベルム ネベルム 我らの地……
その言葉を頭の中で呟き、男は真っ白に輝く光の中へ入って行った。
「あー、簡単だった。ただの民謡が呪いみたい」
歌っていたはずの可憐な少女は、手に鋭い短剣を持ったままさらりと血を拭き取り、倒れている男を一瞥する。
暗がりから優艶な女が現れた。
「まさか大陸創世の歌なんて出してくると思わなかったわ。さて、予定通りの位置で死んでくれたし、夜会を楽しみましょう」
「ぜーんぜん楽しくないけどね。最後までちゃんとご令嬢やっとくよ」
面倒くさそうにしている少女に、女は苦笑する。
接触と陽動をやっていた時の彼女は、どこからどう見ても身分の高い令嬢だった。そんな彼女が大の男を一撃で仕留めてしまう姿は、見事と言う他ない。
女はあらかじめ香りに仕込んだものを使い、男の呼吸と視界を僅かに狂わせていた。誘導は少女に任せ、噴水に至ったところで、幻惑作用のある薬を密かに嗅がせる。
あとは歌にのみ集中した男が、少女にふらふらとついて行き、庭園の暗がりで死ぬだけだ。
本来、互いに単独で任務に当たるのだが、今回は念には念をということで、二人で依頼に当たったのだ。
「早く離れよーよー。じゃあ、また後で!」
少女はヒラヒラと手を振ると、あっという間に暗がりに消えた。
「メインターゲット、完了」
どこに掛けるでもなく声だけを残し、女も闇に消えた。
***
カランカラン
扉に付けた小ぶりの鐘が鳴り、可憐な少女が軽やかに店内に入る。
「マスター、おはよ」
「おはよう、ルー。昨夜の確認は取れたよ」
「ふーん、上手くできてた?」
ルーと呼ばれた少女はエプロンを付けると、マスターと呼んだ長身の男性に、元気な笑顔を向ける。
とても殺しをするようには見えない愛らしさだ。
「完璧だったらしい。お陰で向こうも調べ物が首尾良く運んだとさ」
「密偵員達にはお世話になってるから意識したよ。ベルおねーさんも付いてくれたから、すごく楽だった」
グラスを磨いているマスターはふむと考える。暗殺依頼は単独でさせていることが多いが、効率を考えると複数も良いかもしれない。
ここはネベルム大陸エルミア国の南部、海風香る貿易大都市タルンシュタット。
その一角にひっそりと構えられているカフェ・マリエル。今二人が物騒な会話をしている店だ。
見た目は閑静な路地に佇む洒落た店だが、裏では暗殺ギルド『リンツァ』として知られている。
依頼者が直接訪れることはなく、受注と報告はギルド員の役目だ。
格式を重んじるこのギルドは、上流階級の依頼のみ。そのため入団試験は厳しく、社交の場に出ても恥じない教養と技量が求められる。
そんなギルドだが、カフェとしてはそこそこ人気がある。
「パン良い匂い!」
「あまり摘み食いするとなくなってしまうよ」
「ちょっとだけだもん」
やんわり窘めつつ、心底美味しそうに食べているルーにマスターは頬を緩める。
今年で15歳。もう恋でもする頃だと言うのに、まだまだあどけない。
「おはようございます。ルー、また摘み食い? 卵の支度は終わったの?」
「ほへはらー」
「もう! 開店の時間になっちゃうじゃない」
ルーより大人びた優艶な魅力のある女が、急ぎエプロンを付ける。
「昨日のは完璧だって。またベルおねーさんとやりたいよ」
ベルと呼ばれた女は、楽しそうにしているルーにふふっと笑う。
「殺戮天使にそんな風に言ってもらえるのは光栄ね」
「その変なあだ名、嫌なんだからやめてー」
賑やかに笑い合う二人が、昨夜の惨劇を作り出したなど誰が想像できるだろう。だが、これが彼女達の日常だ。
──殺戮天使
この二つ名は2年前、ルーがたった一人でとある組織の館を殲滅した事件により付いた。
ただ、実際のところは、圧力を掛けられ困っていたマスターと、家族同然であるギルドメンバーを守りたくて独断で動いただけだった。
が、勢いづいたルーは悪い癖が出てしまい、得意の花火まで上げてしまったことで、「リンツァのあいつがやった」と裏社会を震撼させるほどの噂になった。
当然、帰ってきたルーは、マスター以下皆にこっぴどく叱られた。「もし命を落としていたらどうするんだ」と。
仲間に心配をかけたことに気付き、ルーは大泣きした。
見た目に似合わず、破天荒な凄腕暗殺者の彼女だが、リンツァギルドの皆は、末っ子として可愛がっている。
「オーダー、白パンとスープ!」
「はいよ」
開店するとカフェで朝食が日課の常連がふらりと訪れる。
ルーもベルも、あまり客がいない時にはゆったりと会話を楽しみながら給仕をしているので、看板娘と評判だ。
可愛らしいルーと大人びた色気のあるベル。彼女達が目当ての客も少なくない。
「今度のマンデルブリューテ祭りに国王陛下がいらっしゃるらしい」
「ご病気という噂だったが、デマだったのか」
「だが、王子は4人いらっしゃるのに、まだ王太子が決まらないのも不安だよな」
「王女もいなかったか? 全然見かけないって噂の」
ルーは常連達の会話に耳を傾けながら、給仕に当たっている。噂には真実が含まれていることもある。それを人々がどう感じているかを知ることが重要なのだ。
ただ、今の話はルーにとってあまり聞いていたいものではない。
「片付けお願いしてもいい?」
察したベルが声をかけた。
「あ……うん」
テキパキと片付け始めたルーに少し視線を向け、ベルは給仕に回った。
ルーの生い立ちを知ってしまえば、遠ざけたい話題だ。
(今でも不思議よ。どうして私に打ち明けてくれたの?)
それは絶対に知られてはならず、息を潜めるように生きているルーにとって、誰かに漏らすなど命取りでしかない。
(王女殿下……。そんな風に呼んだら、あなたは嫌がるでしょうね。でもね、隠せていないのよ。昨夜みたいな場所では特に)
常連に話しかけられ朗らかに笑うルーは、ただの可愛らしい女給だ。
それがひとたび社交界に出れば、潜んでいようと匂い立つ気品は隠せない。
ルーことエルミア王女ルディカは、王宮から逃れ、この地で暗殺者の道を歩んでいる。




