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極楽地獄還魂記  作者: 有嶺 哲史
第三章 ラッピのハルマゲドン
13/13

理性の神殿

 ハルマゲドンの勝敗は無かった。

地獄も極楽も紙が千切れるように千切れ、最後は粉になって消えた。

ラッピだけが残された。

なぜ自分だけが、と思っていると声が掛かった。



 敷布団シーツのような白い布を巻いた、老いた白い男がいた。


「あなたは?」


「お前の父だ。肉体は大分前に滅びて今は理性の一部が残っているのだ。衣装を替えなさい」


ラッピは生まれて初めて父に出会った。

憧れていた男性に見られたように下半身丸出しの武具を初めて恥ずかしく思った。

すぐ老人と同じような白い布を着用した。

頭から布を被ると有名宗教画の女のスタイルになった。

メギドの丘の上に二人並ぶと遠目には中東の巡礼に見えた。

このとき地獄で戦った背の高い美しい女の想いが分かった。

申し訳ない気持ちになった。

ラッピの手の電気スパークも出なくなっていた。


 ラッピは少女時代から地獄で過ごした。

友達と過ごしたり旅行に行ったり、という遊びや勉学の記憶がほとんどない。

それでも無くなると寂しい。


「懐かしい私の地獄はどうなったの?」


「すべての幻想とともに滅びて消えた。心の安定を幻想に頼ることはできない。そのうち同じことが繰り返される。次の災がきて再び滅ぶまでの間に新たな幻想が少しずつ溜まってゆき、やがて地獄も再建されるであろう。しかしラッピよ、見よ」


振り返ると巨大な白亜の神殿が朝日を浴びて壮麗に輝いていた。

その白さの勢いは青空にハレーションを起していた。

ギリシャ神殿のような列柱が壮観だった。


「理性の神殿だ。幻想の時代は終わった。もはや幻想に(いん)していてはいけない。これからは理性によって世が支えられる。独りよがりを克服し確立された個人は理性で動き、宇宙の論理(ロゴス)と響きあう」


老人は手でさし示し


「古代の哲学者たちは神殿の列柱の下で議論することを好んだ」


そこから白い父の話は哲学的になった。


「心のよりどころが身近に無く遠く離れていても、如何なる時も自分の理性を信じておれば心の平安(アパティア)を得ることが出来る」


「アパティア?」


「自分に制御できない外的なものに善悪はなく論理で動いている。それに自分の心が振り回されることはない」


「ロゴス?」


「世界が崩壊する大厄災でも自分個人に突き刺さるのは一人分の災いにすぎない」


「……」


「終りとその後は考える意味が無い」


「……」


「常に自分の振る舞いの正しさを考えよ」


「……」


「分らないものや、どうしようもないものは、よく観察することだ」


「……」


「ただし理性で全てが解決するとは思わない」


膨大な思考の結果をいきなり言われたような気がしてすぐには理解できなかった。



二人は神殿の高い所へ登っていった。

父は言った。


「理性を知ることは階梯を登るようなもの。苦悩と努力の先に素晴らしい眺望が開ける」


登り切ってラッピは聞いた。


「私はこれからどうなるの?」


「お前の体には人間の血が半分流れている。この人間界を生きる資格は十分ある」


「私でも、子を産むことが出来て?」


すると父はにっこりして力強く言った。


「できるとも!」


ラッピは笑顔になった。しかしすぐ表情が曇り


「会ったばかりのお父様と別れるの?」


「肉体がないので仕方がない。悲しくも不安もあろう」


「別れるのが悲しい」


「いずれ全ての悲しみは癒される」


さらに白い父は言った。


「理性を働かせすぎると病気になることもある。そんなときには瞑想(めいそう)がよく効く。昔から伝え聞くのは内観の秘法と軟蘇(なんそ)の法だ。それらを教えよう」


ラッピは二つの瞑想法を学んだ。

内観の秘法によってラッピは気力が充実するのを感じた。

軟蘇の法によって体内に浄化の妙香が流れるのを感じた。



 神殿の最高点にいた。

世界を見渡す素晴らしい眺望のなか、父に寄り添ってラッピは安らいだ。

時間は留まっているように思われ、極楽や地獄で過ごした日々は美しい記憶となった。



 神殿の上から白い父は見送った。

さながら白幽子(はくゆうし)のよう。

ラッピは未知の人間世界に旅立っていった。



            (極楽地獄還魂記 終わり)

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