第3話 工房の日常と弟子の成長
冬の終わりを告げる雪解け水が、工房の脇を流れる小川のせせらぎに変わる頃、榊原花火の日常は、重苦しい空気を纏ったまま続いていた。
早朝、仁が工房に入ると、すでに光が玉の中詰め作業を始めていた。小さな木製のへらを使って、星と呼ばれる火薬の粒を、慎重に玉の中へ詰めていく。
その手つきはまだぎこちなく、仁は眉間にしわを寄せた。
「芯がずれてる。これじゃ開かねぇぞ」
仁の声に、光はぴくりと肩を震わせた。光が詰めた玉を受け取ると、仁はそれを割って中を確認する。案の定、中心からずれて火薬が詰まっていた。
これでは、夜空で花火が開いた時、いびつな形になってしまう。
「もう一度やり直せ」
仁はそう言い捨て、玉を光に突き返した。
光は唇を噛み締め、悔しさを押し殺すように再び作業台に向かった。その表情には、まだ職人としての自覚が足りない、甘えのようなものが見て取れた。
「派手さがなきゃ、人は集まりません」
会議での宮坂の言葉が、仁の脳裏をよぎる。そして光の提案した「音楽同期やドローン演出」という言葉。仁は、花火の伝統を軽んじているようにしか思えなかった。その腹立たしさが、光への厳しい態度となって現れていた。
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光は、高校卒業後、この町を出ていく同級生たちを横目に、たった一人、榊原花火に弟子入りを志願した。
仁は最初、断るつもりだった。こんな地味で辛気臭い仕事は、若い奴には務まらない。ましてや、今の時代、花火師になりたいなどという若者はほとんどいなかった。
しかし、光の真剣な眼差しに、仁は根負けした。
「俺は、ここの花火が好きなんです。あの、最後の、昇り牡丹の花火が…」
光の言葉が、仁の心を動かした。あの昇り牡丹は、父が若き頃、全国大会で賞を取った伝説の玉だ。
仁は、その玉を完璧に再現することはできても、父のような「間」や「余韻」を出すことができなかった。
昼休憩、仁が河原で煙草をふかしていると、父の泰三が火鉢のそばで、古い玉を眺めているのが見えた。光もまた、泰三のそばで、その玉に視線を注いでいる。
「これは、俺が作った、昇り牡丹の玉だ」
泰三がそう言うと、光は目を輝かせた。
「すごい…こんなに美しい構造があるんですね」
光は、泰三の作った玉を手に取り、まじまじと見つめた。その玉は、仁が作る玉とは違い、どこか柔らかく、優しい雰囲気を纏っていた。光は、その玉の美しさに、伝統の重みを感じ始めているようだった。
「花火は、構造だけじゃねぇ。玉を上げるまでの『間』も大事だ」
泰三はそう言って、光に花火の奥深さを説いた。光は、泰三の話を食い入るように聞き、メモを取っていた。
その真剣な眼差しは、会議室で仁に怒鳴られた時の、打ちひしがれた顔とは全く違うものだった。
夕方、春の風が心地よい河川敷の試射場。仁は、いくつかの試作玉を打ち上げる準備をしていた。 そこに、光が作った小さな玉を手に、駆け寄ってきた。
「社長、これも、一緒に打ち上げてもらえませんか」
光の顔は、期待と緊張で、わずかに紅潮している。
仁は、光がこっそりと作った玉を手に取った。ずっしりとした重み。だが、仁が作る玉のような、張り詰めたような緊張感はない。
「派手な色を使ってるな」
仁がそう言うと、光は少し俯いた。
「…はい。俺、派手な花火も、好きなんです」
仁は何も言わず、その玉を筒に装填した。そして、点火の合図を出す。
--ゴォォォォ…
低い轟音とともに、玉が夜空に打ち上げられる。そして、夜空に、小さな、いびつな花火が咲いた。色は派手だが、開花が甘く、形も定まらない。仁は、予想通りの出来に、ため息をついた。
「これじゃ駄目だ。花火は、ただの色じゃない。形、大きさ、開花のタイミング…全てが揃って初めて、人の心を打つんだ」
仁の厳しい言葉に、光はうつむいたまま、何も言い返せない。その肩が、かすかに震えている。
「…俺は、どうしても、綺麗な花火を打ち上げたいんです」
光は、俯いたまま、涙をこらえながら言った。
「…俺は、母が好きだった曲を、花火と一緒に聞かせたかった。母は、病気で…もう、あの日の花火を見ることができないから」
光の言葉に、仁は驚き、言葉を失った。
光が派手な色にこだわる理由、音楽と花火を同期させたいと願う理由。それは、ただのミーハー心からくるものではなく、母親への深い愛情からだった。
仁は、光が母親を想う気持ちと、花火への愛情が、本物であることに気づいた。そして、自分の頑なさが、光の真剣な想いを踏みにじっていたことを悟った。
「…もう一度、挑戦します」
光は、涙を拭い、仁に真っ直ぐな眼差しを向けた。その眼差しに、仁は胸を打たれた。
「…そうか」
仁は、それだけを短く答えた。その言葉の中には、光への許しと、ほんの少しの尊敬の念が込められていた。
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その日から、二人の関係は少しずつ変わっていった。
仁は、以前のように光を怒鳴ることはなくなった。光も、仁の作業を黙って観察し、職人としての技術や精神を、少しずつ学んでいった。
仁が、夜空に咲かせる花火は、父の言葉通り、まだ「硬い」かもしれない。だが、その花火に、光の母親への想いという、柔らかく温かい感情が加わろうとしていた。二人の間に、花火という共通の言語が生まれ、それは、互いの心を繋ぎ始めていた。
河川敷の土手には、新芽が芽吹き始めていた。
それは、仁と光、二人の間に芽生えた、新しい関係の始まりを告げているようだった。




